母蝶を騙して卵を産ませる実験の舞台裏


COVID-19 拡大前に行っていたオープンラボではほぼ毎回、アゲハチョウのメス成虫を騙してプラスチック製の模造葉に卵を産ませる実験を行っていました。
次の動画では、ニセモノの葉っぱにアゲハチョウのメス成虫が卵を産みつける様子をご覧いただけます。



この模造葉には、アゲハチョウが食草を見分ける手がかりとして使っている植物化合物(産卵刺激物質)を塗布してあるんです。そのせいで見事に騙されて、ミカンの葉だと勘違いして卵を産んでしまっています。

この実験に使っている透明な箱は、アクリル板を貼り合わせて作ったお手製の「行動実験チャンバー」です。実際の研究での産卵行動実験にも使っている、“ホンモノ”の実験器具なんです。
実験者からみて中のチョウを観察しやすく、それでいてチョウが自由に飛び回るのに十分な空間がある大きさです。



さて、ここでひとつ、不思議に思うことがありませんか?

なぜ狙い通りに産卵するのか

アゲハチョウは研究者の気持ちに忖度したり、見学に集まっている人たちの空気を読んだりはしてくれません。本物の実験器具を使っているからといって、なぜ人間の都合に合わせて見学者がいるタイミングで卵を産んでくれて、「実験ショー」として成立するのでしょうか?

このように、何度同じ実験を行っても同じような結果が繰り返し得られることを「実験の再現性が高い」と言いますが、生き物を使った行動を観察する実験では、様々な理由で結果のバラつきが大きくなってしまい、高い再現性を維持することはとても難しいことなのです。
科学の現場では、実験のたびに異なる結果が出ているようではその結果を信用できませんので、誰がやっても同じような結果になるように担保された実験方法を用いなくてはなりません。研究結果を論文として公表するときには、材料と方法(Materials and Methlds)の項目に、誰でも再現できるくらい詳細に実験手順を書く必要があります。
我々が、チョウが食草を見分けるしくみに関わっている遺伝子を発見し、機能を解明して報告した論文(概要はこちら)にも書いてあるのですが、実はとても高度な行動実験技術が背後にあって、オープンラボの「実験ショー」を支えているのです。


オープンラボでの産卵実験ショーを行なっている様子

今回は、実験結果としての産卵行動ではなく、オープンラボの時には見ていただくことができない、再現性の高い産卵実験を行うための高度な実験技術・準備段階の部分を覗いてみましょう。

産卵実験は事前準備が大切

条件をできるだけそろえる

行動の実験を行う場合、研究対象の条件をできるだけそろえることが大切です。
当研究室では、高槻市内(生命誌研究館の周辺)で採集したナミアゲハに卵を産ませて、24℃安定(±2℃)・16時間照明・8時間暗黒という条件の飼育室内で、人工飼料を与えて幼虫を飼育して、羽化した成虫を実験に使っています。野外で採集したチョウを、そのまま実験に使うことはありません。羽化後何日経過した蝶なのかといった条件がわからないので、もしちょっと違う行動を見せた個体がいた場合に、違いの原因を特定するのが難しいのです。

季節による違いもできるだけ抑えたいと思いますが、当研究室では人工飼料を使うことで、一年中同じ条件で幼虫を育てることが可能になりました(人工飼料のレシピは、ラボページからダウンロード可能です)。生の葉で飼育した場合、季節によって葉の硬さや栄養価などの条件が変わってしまうので、年間を通じて同じとは言えなくなります。また、人工飼料を使った飼育で一年中安定してチョウを飼うことができているので、2月や3月といった野外では見ることができない時期に元気なチョウを使って「産卵実験ショー」や普段の研究を行うことができるのです。

ちなみに、25℃はほとんどの昆虫が最も効率よく発育する温度(発育適温)です。16時間照明・8時間暗黒は、アゲハチョウが蛹になった時に休眠しない長日条件です。


人工飼料で育つナミアゲハの終齢幼虫
 

交尾させる

産卵行動を観察するために、交尾をさせる必要があります。ある程度の広さがある空間でオスとメスを自由にさせておくと交尾をしてくれることもあるのですが、とても効率が悪いですし、ずーっと観察していないと交尾済みかどうかわからないという問題があります。

そこで、ハンドペアリングといって、手作業で交尾をさせる方法をとります。オスの腹部先端にある把握器をこじ開けて、メスの腹部先端に合わせます。



ハンドペアリングで交尾させたナミアゲハ。交尾が始まると、一方から手を離しても離れない。

メスは羽化当日でも、体が固まってしまえば交尾をすることができますが、オスは羽化の翌日か二日くらい経過してからの方が効率よく交尾をしてくれる傾向が強いです。

同じ条件で飼育していると、オスの方が発育が早くて数日先に羽化する傾向があるので、巧くできているなぁと思うところです。

交尾が終わったメスは、しばらくの間お休みです。いつでも自由に餌を飲めるようにして(後述する自動給餌装置)、実験の日までのんびりと過ごしてもらいます。

実験に適切な羽化後の日数と時間帯

ナミアゲハの産卵行動を観察していると、羽化初日からどんどん産卵する個体は滅多にいません。ほとんどの場合、羽化当日から2日後まではあまり卵を産みません。多くは羽化日を0日として3日目から5日目頃に最も元気よく卵を産んでくれますので、産卵実験にはこの期間のメス成虫を使います。

羽化から7日目頃になると、前脚で水分を感じただけで卵を産んでしまったり、やや正常ではない行動が見られるようになってしまいます。

また、午前中よりは午後の方が産卵行動を活発に行ってくれます。野外で採集していると、朝から午前10時過ぎくらいの時間帯は食草がある場所よりも花が多い場所で多くチョウが見られます。そして、お昼が近づくと食草がある場所で多く見られるようになりますので、この習性に合わせて行動実験の時間帯を調整した方が、再現性の高い結果が得られます。


ランタナは色んなチョウが好む吸蜜植物。Ω食草園にもあります。


アベリアも色んなチョウが好む吸蜜植物。公園や道端でよく見かけます。
 

ポカリスエットを飲ませる

成虫用の餌には、市販のポカリスエットを与えています。きちんと比較したわけではないのですが、ポカリスエットを与えた成虫が最も元気に活動してくれるように感じています。論文の材料と方法にも、「大塚製薬のポカリスエットを飲ませた」と(英語で)書いてあるんですよ。

お休み期間中は自由に飲める状態にしてありますが、実験の当日は手作業で餌を飲ませます。爪楊枝を使って、くるっと巻いている口吻を伸ばしてポカリスエットをしみこませた紙に先端を触れさせます。飲み終えて口吻を丸めるまで、そのまま待ちます。

餌を飲んでお腹がいっぱいになると、メス成虫の産卵したいという気持ちがいったん消えてしまうので、産卵実験用の蝶に餌を飲ませるのは実験の1時間前が理想です。



行動実験用の成虫には、爪楊枝を使って口吻を伸ばして手作業で餌を飲ませますが、採卵用や待機中の成虫には「自動給餌装置」を使います。これを使うと何も作業をしなくても置いておくだけで勝手に餌を飲んでくるので、成虫の世話が完全自動化できます。本能的な行動なので、学習させる必要もありません。自動給餌装置の実物は、予約ガイドや週末のギャラリートークといったガイド付き見学の際にご覧いただけますので、興味のある方はぜひご利用ください。

スタッフによる展示ガイド


 

休ませる

成虫はお腹がいっぱいになると、しばらくの間(だいたい30分〜1時間)は翅を閉じて休憩します。お腹がこなれてくると、閉じていた翅を開いてじっとしていたり、個体によってはゆっくりと翅を動かしたりする行動が観察されます。

お腹がいっぱいで休憩中の時には、卵を産む気分になってもらうのはとても難しいので、ひたすら待つしかありません。反対に、お腹が空いている成虫で産卵実験をすると、プラスチック製模造用に付着している水分を飲み始めて、産卵実験になりません。


翅を閉じて休んでいる様子
 

光を当てる

休憩がおわって翅を開いたチョウに強い光を当てると、翅をパタパタと動かし始めます。おそらくこれは準備運動で、飛ぶための筋肉(飛翔筋)を温めているのだと思われます。
チョウが飛びたいという気分になるために必要な光の強さは、2,000ルクス以上必要です。室内で机上用のスタンド照明をつけた場合、手元はおおよそ800〜1,000ルクス位の明るさになります。人間の目にはとても明るく感じられますが、屋外では土砂降りの雨が降っている日の大きな木の下くらいの暗さです。おそらく、これ位の光量だと、チョウは「今日は雨が降ってるんだなぁ」と感じているのではないでしょうか。

上記の行動実験用チャンバーに照明を4つ取り付けると、内部の底面付近がおおよそ2,200ルクスになります。これは薄曇りの日の屋外に相当する明るさですので、チョウは「今日は雨が降ってないから飛んでも大丈夫だな」と感じているのではないかと想像しています。


翅を開いた様子
 

飛ばせる

翅をパタパタ動かして準備運動が十分できたら、容器から出して行動実験チャンバーの中を飛び回らせます。そして、飛翔筋を十分に動かしたら、卵を産みたいという気分になります。アゲハチョウに限らず、多くの昆虫は、飛んだ、つまり飛翔筋を動かしたという経験をしないと卵を産んでくれないのです。

ここまでの準備が整って、チョウが卵を産む気分になったら産卵行動実験をはじめます。

この様に、オープンラボの日は、ちょうど見学が始まるタイミングに合わせて餌を飲ませて、チョウたちのコンディションを整えて実験を行っているんですよ。羽化したチョウを交尾させるところから数えたら、実に3日もかかる準備作業なのです。


オープンラボに参加した子供たちが産卵実験に挑戦する様子

オープンラボのプログラムの中では、産卵行動を観察していただくのと同時にチョウが食草を見分けるしくみについて解説し、なぜニセモノの葉っぱに卵を産んでしまうのか学んでいただきます。

蝶の本能を理解する

「チョウが十分な明るさがあったら飛ぶ」とか「成虫は葉を食べないのに幼虫が食べられる植物を見分けて卵を産む」といった行動は、誰かに教わったり練習して徐々に上達したものではありません。生まれながらにして知っている行動、つまり「本能」としてゲノム上にプログラムされた行動です。
この様に、アゲハチョウの本能としてプログラムされた行動を、しっかり理解しているから再現性の高い行動実験が可能なのです。

そして高い再現性を確保できる高度な実験技術があるからこそ、産卵行動に関与する遺伝子の働きを抑制した場合に、行動に明確な変化が観察できます。
次の動画では、産卵刺激物質の一つを認識する受容体(センサー)遺伝子の働きを抑制したことで、ニセモノの葉っぱに卵を産まなくなった様子を観察できます。



我々の研究室では、チョウが食草を見分けて卵を産むという本能行動に関わる遺伝子を見つけ出し、その機能を明らかにする研究を行っています。

実験方法の引用

今回ご紹介した実験方法を引用される場合は、下記の論文をお願いします。
Katsuhisa Ozaki, Masasuke Ryuda, Ayumi Yamada, Ai Utoguchi, Hiroshi Ishimoto, Delphine Calas, Frédéric Marion-Poll, Teiichi Tanimura & Hiroshi Yoshikawa (2011)

A gustatory receptor involved in host plant recognition for oviposition of a swallowtail butterfly

Nature Communications doi: 10.1038/ncomms1548

http://www.nature.com/ncomms/journal/v2/n11/full/ncomms1548.html

終わりに

オープンラボの際にはご覧いただけない、見学の背後にある高度な実験技術のご紹介はいかがだったでしょうか。実際の産卵行動実験は、オープンラボが再開されたらご来館して見学していただきたいと思いますが、オンライン・オープンラボのご感想をぜひ「みんなの広場」にお寄せください。
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