更新情報

20.05.16

研究員レクチャー(ハエとクモ、そしてヒトの祖先を知ろうラボ )公開中!

映像が語る、未知なるクモの世界(小田広樹, JT生命誌研究館)

研究員レクチャー 2020年5月16日(土) オンライン公開


私は今から約20年前に、自分が取り組んでいた学術研究の流れの中で節足動物の多様性に対する関心が芽生え、クモという動物グループに目が向くようになりましたが、それまではクモに対する興味も知識も全くありませんでした。ところが、ひとたび関心が芽生えると、身の回りのあちこちでクモが目に付くようになりした。なかでもオオヒメグモ (Parasteatoda tepidariorum) は最も身近で、そのうえ、研究室での生活にも見事に適応してくれました。このクモ種は、クモの中のキイロショウジョウバエ (Drosophila melanogaster) とも言えるほどに、モデル生物としての価値を認められつつあります。
「節足動物だから昆虫ともそう違わないでしょ」、と思われがちですが、想像以上に違う世界がクモにはあります。「節足動物としての共通の形態的特徴を保ちながら節足動物がどうして多様に進化できたのか?」 そのメカニズムをクモを使って追究したい、それが私たちの思いです。しかし、今回のレクチャーでは難しい問題には深入りせずに、映像をもとに純粋にクモの世界を感じていただきたいと考えています。オオヒメグモ以外に、イエユウレイグモ (Pholcus phalangioides) やアダンソンハエトリ (Hasarius adansoni) も身近なクモ種です。映像が映し出す卵の中の現象で、細胞の振る舞いが見えるところがクモの売りでしょうか。
それぞれの映像の注目ポイントを解説していきます。ご覧になられる方によってその他いろいろな発見や疑問があるかと思います。今後の研究員レクチャーで直接お会いしてお話しできるのを楽しみにしております。

(以下に掲載の各映像のファイルサイズは、YouTubeに登録の映像以外は10メガバイト以下となっております。再生ボタンをクリック後にダウンロードされる設定になっており、接続環境によっては少し時間を要する場合がございます。)

オオヒメグモはどこにいるの?

 
オオヒメグモはどこにいますかとよく聞かれますが、ひとたび気づけばいろいろなところで見つかります。家屋の外壁や、学校や公園などの建造物、階段や塀の角など。あまり探していると怪しまれるので安全なところで見つけたい、そんな例をこの映像は示しています。手入れが行き届いた場所ではなかなか見つけられません。成体が卵のうとともに見つけられるケースはそんなに多くはありません。

ハエを仕留める見事な足さばき(オオヒメグモ)

 
オオヒメグモを研究室内で飼うとき餌はキイロショウジョウバエとコオロギです。目にも止まらない巧みな足さばきで糸を操り、絡めて餌を仕留めます。映像の最後に鋏角を使って餌に吸い付いています。大人しさと積極性のバランスの良さが飼育を楽にしています。餌あげは週に2回。
 

触肢を使った生殖行動(オオヒメグモ)


雌成体に産卵させるには雄と交配させる必要があります。普段はカップの中で交配させますが、撮影のためにふたを持ち上げて交配させ、映像化に成功しました。交配の瞬間が分かりますか? 最初左側のスリムな体をもつ個体が雄です。その雄の頭部から、2本小さく突き出た触肢に注目してください。雄はその触肢にあらかじめ精子を溜めておいて、それを雌の生殖器に挿入します。挿入した触肢と反対側の触肢の先に精子と思われる白い液体が見えているのも分かります。雄と雌は脚で直接叩き合ったり、糸を弾いたりしてコミュニケーションしているのでしょうか。(音は自宅脇の森から聞こえてきた小鳥のさえずりを合わせています)
 

産卵と卵のう作り(オオヒメグモ)


産卵の様子を撮影できました。卵を産む前に卵のうの一部を編んで準備します。お尻の先の糸出突起から4番目の歩脚を使って糸を紡ぎだしているのが分かります。卵を押し出すのに繰り返し力んでいる様子が見えます。卵をお腹から出す最初の瞬間を撮り損ねました。
 
卵がお腹から出始めて出切るまでに5分ぐらいかかっています。産み終えると同時に卵のうを編み始めているのが分かります。第4歩脚に加えて、頭部の触肢もリズミカルに動かしています。右下に産み終えてからのだいたいの時間を記してます。産卵と卵のうづくり合わせて2時間以上かかっています。
 

同調した胚発生(オオヒメグモ)


卵のうには約200個から300個の卵が産みつけられます。その卵をオイルの中に移すと卵の中で胚が発生する様子が観察できます。卵の形は球形、直径約0.5ミリです。最初は白く細胞の単位が見えていますが、細胞の数が多くなると個々の細胞は判別できなくなります。白い部分(細胞の密度が高い)が円盤状になり、次に、帯状に転換して前後に伸び、将来の脚になる突起が出てきているのが分かりますか? 円盤が帯に転換するのに先立って白い塊が円盤の中心から赤道に向かって動いているのに気付いて下さい。それはクムルスと呼ばれていて、背中を誘導するシグナルを発しています。他のクモ種の映像でも出てきます。
 

産卵後7日かけて孵化へ(オオヒメグモ)


この映像では孵化直前まで撮影しています。右下に時間を示していますが、産卵から孵化まで約7日かかります。ショウジョウバエの卵が孵化するのに24時間であるのと比較すると、オオヒメグモ胚の発生のスピードはかなりゆっくりです。(オオヒメグモの胚発生に関するその他様々な動画はこちらのサイトでもご覧いただけます)
 

イエユウレイグモの胚発生


イエユウレイグモ(ウィキペディア)を見たことがありますか? 古い家屋の天井や軒、ガレージでもよく見られます。採集してきた成体を研究室内で飼っていると卵を産んでくれますが、オオヒメグモに比べると産卵1回あたりの卵の数が少なく、頻度もトータルで1,2回がせいぜいです。この映像では最初にクムルスが見えています。手前で大きな白い塊ができ、その後、奥の方に動いて行くのが分かります。クムルスの大きさ、迫力がオオヒメグモとは異なります。この映像のもうひとつの注目ポイントは胚のお尻の部分(後体部)が継続的に見えていることです。その部分が一時的に尾のような形状を取っているのが分かると思います。からだの節構造が前(奥)の方から順番に形成されている様子を映像化できている点で貴重です。脊椎動物では類似の映像は多数ありますが、節足動物ではほとんどありません。
 

アダンソンハエトリの胚発生


アダンソンハエトリ(ウィキペディア)は家の中でよく見るクモです。小さな隙間に巣を作っているようです。採取した個体に研究室内で卵を産ませることは比較的容易なクモですが、継代飼育はそんなに簡単ではありません。映像の2つの卵のうち、左側の卵ではクムルスが見えていますが、右側の卵ではクムルスが卵の裏側に動いたために見えていません。どちらの卵も、からだの胸部(歩脚ができる部分)がよく見えています。将来の脚の基になる部分を肢芽といいますが、肢芽が形成される様子やその肢芽が突き出て伸びる様子がはっきりと映像化されています。ショウジョウバエのような完全変態昆虫では幼虫のからだの中で脚の原基ができ、変態時に脚ができるので現象としてはかなり異なります。コオロギのような不完全変態の昆虫であれば同様の現象がありますが、多くの不完全変態昆虫では卵黄や卵殻等に邪魔されてこれほどまでに鮮明に映像化することは難しいです。
 
上の映像の続きです。からだ全体の形がだるま型に変わる様子がよく分かります。卵黄が後体部(腹部)にシフトし、その卵黄を覆うように腹側(手前側)の表層組織がチャックを閉じるような動きをしています。
 

アダンソンハエトリの重複胚形成 クムルスの移植

関連論文はこちら→ 関連記事はこちら→
アダンソンハエトリでは、クムルスを胚の反対側に移植すると重複胚の形成が誘導されます。右側の卵が移植を行った卵です。移植後30分以内に撮影を開始しました。本来のクムルス(intact)と移植されたクムルス(graft)が示されています。重複胚形成を誘導する移植実験は脊椎動物でよく知られていますが、無脊椎動物ではあまり実験例がなく、映像化されたこのアダンソンハエトリの実験は貴重です。詳しくは関連論文関連記事をご覧ください。  

オオヒメグモの重複胚形成 レーザー照射

関連論文はこちら→
レーザー照射で胚の特定の領域の細胞を殺しても重複胚の形成を誘導できます。移植実験よりもこちらの実験の方がかなり不思議かと思います。細胞を殺した領域(赤色で示している)はかなり大きいです。「1 - 0.2 = 2」みたいな感じでしょうか。クモの卵の中にある細胞社会がどのように統制されているのか、私たちはまだ理解できていません。クモの細胞の柔軟な振る舞いを可能としている仕組みを理解したいと考えています。詳しくは関連論文をご覧ください。  

形づくり前の混沌とした細胞の動き(イエユウレイグモ胚)

 
卵の表層で細胞が動き回っているのが分かりますか? それも、行き当たりばったりに。撮影しているときには全く気づきませんでしたが、タイムラプス動画を再生して驚きました。上のイエユウレイグモの胚発生の映像よりも少し前のステージの胚です。からだの軸が見えるようになる前です。ある時点で隣同士だった細胞がそのあとどこへ行ったかを追いかけてみてください。卵の中での細胞のシャッフルタイムとも言えるような状況です。動物胚では一般的に、近くに存在した細胞はその近い関係を保つ傾向があります。動きが拘束されていることで隣り合う細胞が空間的な位置情報を共有し、それぞれの運命を決めやすいというメリットがあります。イエユウレイグモではそのような位置情報の共有が、観察したその時点ではまだなされていないのでしょうか...
 
上の映像の続き。シャッフルタイムはある時終わり、細胞は同調して一方向に動き始めます。いわゆる原腸陥入と呼ばれる現象の開始です。表層の下の層では、胚の中心部(映像の右端)で陥入した細胞が広がっているのが黒い影として捉えられています。その胚の中心部ではクムルスが形成され、奥側に向かって動
いているのも見えます。  

からだの中に散らばる細胞(イエユウレイグモ胚)


クモ胚においてクムルスは背側領域を誘導する役割を持っていると考えられていますが、クムルスがその役割を果たしてからどうなるのかはあまりよく分かっていません。この映像は、イエユウレイグモ胚のクムルスを構成する細胞を追跡したものです。最初左側に見える細胞の塊が背側への移動を終えたクムルスで、その細胞の塊がばらけて、からだの内部のあちこちに散らばっている様子が分かります。第二の役割を持っていそうな振る舞いですが今後の研究が待たれるところです。
 

まとめ

私たちの生活に身近なクモを材料として、たくさんの映像を見てきましたが、どのようにお感じになったでしょうか?
前半はクモの個体としての振る舞いをとらえた映像で、後半は卵の中でのからだの形づくりにおいて見られる細胞の振る舞いを捉えた映像でした。現象を映像化できることは問題を多くの人と共有化できる点で大きな意義があると思います。個体の動き、細胞の動きを見るとき、その動きを実現する仕組みがどこにあるのかを考えてしまいます。その仕組みがどの程度複雑なのか。比較的単純なことの組み合わせなのか。どのような情報がやりとりされているのか。このような映像は想像力を掻き立て、興味を駆動します。私の専門は発生生物学、細胞生物学ですが、構成要素としての細胞がどうして全体との調和を生み出せるのか、不思議でなりません。
皆さんにとってクモの世界が身近になり、生命誌研究館の研究に興味を持っていただけたら嬉しく思います。クモを材料とした私たちの研究活動は着実に進展しています。今後も、ホームページや研究員レクチャーおよび各種イベントを通して研究活動を発信し続けていきます。
 
 

ご質問のある方へ(レクチャー開催当日のみ)

本日中(5月16日)にいただいた質問は、後日このページに回答とともに掲載します(お名前やニックネームを含め質問者の情報は一切掲載しません)。

御視聴いただきありがとうございました。(2020年5月18日)
以下はいただいたご質問•ご感想(-)とそれに対する回答(>>)です。
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- こんにちは。とても興味深く拝見しました。
お話を聞いてから、自分で何度も繰り返し見られるのが良いですね。クモはちょっとこわいですが、卵の中にクモができてくるのがすごいです。足が背中とおっしゃっていたようですが、裏返っている(えび反り)なのでしょうか。
>> そうですね、えび反りのイメージで間違っていません。卵黄を巻くように頭部から尾部にまで帯状に伸びる胚領域の中で、中枢神経系がその帯の中心部の腹側にできるのに対して脚の基となる膨らんだ領域は帯のへり側の背側にできます。帯状に見えている間はえび反り状態ですが、卵黄が腹部に(お尻側方向に)偏る際にそのえび反り状態は解消されて、少し前屈みのような状態になります。

- ユウレイグモの細胞の動きがとても興味深く、ニワトリの原腸陥入にそっくりなので驚きました。節足動物なので神経ができる訳ではないのでしょうか。
>> たぶん、白い細胞の塊として見えているクムルスがニワトリ原腸胚のヘンゼン結節に似て見えていることを指摘されているのかと思いますが、両者は直接関連づけられる組織ではありません。クムルスが影響を与えた側は神経が作られる領域とは反対側の領域を作ります。しかし興味深いことに、ニワトリのヘンゼン結節が体軸形成を誘導する活性を有しているように、クモのクムルスも同様の活性を持っています(「アダンソンハエトリの重複胚形成 クムルスの移植」の映像を参照)。脊椎動物の胚発生との類似性はクモ胚の仕組みを研究する上で重要な視点と考えています。

- 手前の細胞の背後に見える透明な区画も細胞ですか。オオヒメグモの時は、てっきり細胞かと思って見ていたのですが、改めて細胞と比べるととても大きいので、違うような気がしてきました。
>> 「イエユウレイグモの胚発生」の映像についてでしょうかね。「透明な区画」が何を指すか明確ではありませんが、45時間あたりから、手前の尾のように見えている領域の背後で、フォーカスから外れて、新たにできたからだの繰り返し単位(体節と呼ぶ)が見えています。この体節は細胞の集まりでできています。表層の細胞と内側に入り込んだ細胞との組み合わせで、体節が形成されています。

- とりとめもない質問ですみません。
また生命誌に遊びに行きたいです。
>> 是非お越しください。
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- ①クモのオスは交接後は知らんぷりで、次のメス探しをするのですか
>> 野外でオスの行動を追跡したことがないのでこの質問に直接答えられませんが、研究室内では、一度あるメスと交接したオスを別のメスと一緒にすると再度交接します。また、交接後オスとメスを同じカップに入れたままにしておくと、オスがメスに食べられてしまうことが多くあります。

- ②クムルスが出てきて脚の原型ができる時に、卵が回転してますが、これは重力の関係でしょうか
>> 円盤形の胚が帯形へ転換しますが、その際に細胞が動いて大きく再配列します。たぶん、この細胞の再配列で重さのバランスが変化するのだと思います。そういう意味では重力の影響を受けているかと思います。

- ③クムルスが発生した場所に細胞が集まって内側に陥入していく(原腸陥入)この部分が尾になるとのことですが、肛門は普通、尾側にできる? でもクモは前口動物に分類されている。
クモが昆虫類より早い時期に分かれたという記事がありましたが、そんなこととは関係ないんでしょうか
>> たぶん関係するのだと思います。節足動物の誕生後に、クモ類へ向かった系統と昆虫類へ向かった系統は非常に早い時期に分岐したと考えられています。両系統の共通祖先でどのような状態があったのか、広範な比較研究が必要になります。

- ④湧き出るような細胞の動きは何度見ても驚嘆します。
ありがとうございました。
>> これからも細胞の凄さを映像にしていきたいと思います。

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- クモのお食事について。週2回は、コオロギの日、キイロショウジョウバエの日としているのですか?一匹に一体ずつ、生きたままの状態でですか?私の部屋でも、たまにクモを見かけますけど天井にじっとしており活動する場面はないです。クモは全てを食べるわけではないようで、小さなハエの場合ではとても早い動きでしたが、大きなコオロギの場合にはどういう動きをするのか一部始終を観てみたいです。
//先ほど、クモの食事のことについて送信してから、ミニレビューを読んで、少し理解できたところがあります。いろいろ調べてから送ったらよかったですね。しかし名前がオオヒメとあるけど雄ももちろんオオヒメですよね。細い手足、手と足の区別もつきませんがこの細い手足にも神経や栄養分を送る道があることを思うと神秘的です。
>> ミニレビューまで読んでいただきありがとうございます。孵化後の幼生から成体までキイロショウジョウバエだけで育てています。成熟メス個体に産卵させるときだけコオロギをあげています。餌としてあげるコオロギのサイズはオオヒメグモの成体と同程度か、それよりも大きいときもあります。麻酔をかけて巣網に掛けます。オスは最後の脱皮とともにスリムな体形に形態を変えます。簡単に飼うことができるので是非飼ってみてください。

 

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