宮田 隆
宮田 隆の進化の話
最新の研究やそれに関わる人々の話を交えて、
生きものの進化に迫ります。
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眼で進化を視る
2006年6月1日
宮田 隆顧問
 俗に、「眼は口ほどに物をいう」とか、「眼は心の窓」などといわれるように、眼は古くから視覚器官以上に特別な対象として関心を集めてきた。ヒトに限らず、光を感じることができる能力は多くの生物にとって生存上重要な能力であって、視覚器官には生物の長い進化の歴史を通じてさまざまな自然淘汰が働き、多様な眼が進化した。下等な無脊椎動物にみられる、小型で簡単な眼から、ミミズの分散光感覚器官、頭足類のレンズ眼、昆虫の複眼、さらには脊椎動物のカメラ状の眼など、その形態はさまざまである(図1)。
図1. 動物のさまざまな眼
クリックすると拡大図が見られます。

こうした多様な視覚器官も、もとはといえば原生生物から哺乳類に至る広範囲な生物種に存在する繊毛から進化したらしく、今でも脊椎動物の視細胞にその痕跡 が認められる。最近、眼に関する分子生物学的研究が進み、それに伴って眼の進化を遺伝子レベルで理解することが可能になってきた。ここでは眼の構成分子であるレンズのタンパク質(−その1−)と網膜の視物質(−その2−)から、眼の進化について考察を加えてみよう。また、眼が生物の進化にどのような役割を演じたのか、最近の研究を紹介しながら考えてみる。

 さまざまな眼
 創造神話とダーウィンを悩ませた2つの問題
 眼がカンブリア爆発の導火線?
 内職するハウスキーピング分子:脊椎動物のレンズクリスタリン

さまざまな眼
 動物は彼らが生活する環境に応じて、さまざま眼を発達させている。眼の数から見ていくと、我々ヒトを含めて脊椎動物は頭の両側に左右一対の眼を持っている。そのほかにトカゲの仲間には頭のてっぺんに「頭頂眼」または「正中眼」と呼ばれる「第三の眼」がある。頭皮に隠れてはいるが、カエルにもこの第三の眼がある。ヒトでは第三の眼は失われているが、その痕跡は松果体に存在していて、いぜんとしてりっぱに光を受けとめ、「体内時計」として機能している。無脊椎動物にはもっとたくさんの眼を持ったものがいる。クモの仲間は普通8つの眼を持っている。例えばハエトリグモでは、頭の前方に4つ、後方に4つ眼がある。前方の中央にある一対の眼は特に大きい。この8つの眼で周囲を監視し、えさを探している。眼の数ではホタテガイが群を抜いていて、外套膜の100以上の眼がずらりと並んでいる。
 一つ一つの眼の大きさもさまざまで、頭を持つ動物としては最も原始的な扁形動物の一種、プラナリアは非常に小さい一対の眼を持っている。反対にイカの眼は極めて大きく、37センチにも及ぶ眼を持ったイカがいたらしい。普通動物の眼は頭全体に占める割合が大きいようで、それだけ眼は動物にとって重要な器官ということなのであろう。
 構造的にも多様で、もっとも単純な眼はプラナリアなどの扁形動物にみられる眼で、これはピンホール型の眼である。この眼は色素眼杯と呼ばれ、ピンホールカメラのように、たんに陰影だけからなるぼんやりした、おおざっぱな像を形成する。ヒトを含めた脊椎動物やイカ、タコなどの頭足類の眼にはレンズがある。レンズを採用したことで、効率よく光を集め、焦点を合わせることが可能になり、はっきりした像が得られるようになった。こうした眼は動物の祖先が海で生活していたころに完成したのだが、陸に上がった一部の脊椎動物では、角膜という重要な像形成機構を発達させた。これは、光の屈折率が水と空気では違うため、どうしても開発しなければならない装置であった。例えばヒトでは、レンズは集光の3分の1だけを行い、残りの集光は角膜の表面で行う。だから焦点を合わせることがレンズのおもな機能ということになる。昆虫や、カニ、エビの仲間の甲殻類は、上で述べた単眼とは違った、複眼と呼ばれる別の光学システムを発達させた。複眼は個眼と呼ばれる小さな眼の集合で、例えば、ミツバチの複眼では5000個ほどの個眼を持ち、360度の視野をカバーできる。
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創造神話とダーウィンを悩ませた2つの問題
 こうした眼は動物の進化に重要な役割を果たしてきたに違いない。18世紀までヨーロッパを支配していた世界観はプラトンのイデア説とキリスト教の創造神話が合体した静的な世界観であった(例えば、ロバート・カスパー著、養老孟司 坂井建雄訳「リンゴはなぜ木の上になるか」岩波書店)。ゲーテは、「われわれが見聞きする現実の姿は変化するが、そうした移ろいゆくもろもろのものは、その背後にある、永遠に存在し続けるイデアの似姿なのである。」(上記カスパーの本の養老-坂井訳より)と、彼が生きた当時の世界観をこう表現している。この静的な世界観においては、「種は変化しない」という考えは実に自然なことであったに違いない。19世紀に入って、ラマルクによって生物が進化するという概念が導入されたが、ダーウィンの時代になってもいぜんとして進化が確かに起きたと考えた人は限られていた。多くの人は、地球上の生物は神による創造であると信じていた。生物は進化の所産であると説いたダーウィンにとって最大の論敵は創造論者であったとしても不思議ではない。
 5億4千年前に爆発的に動物の化石が顕在化する。このことをカンブリア爆発と呼んでいる(本シリーズ、「カンブリア爆発と遺伝子の多様性」および「古い遺伝子を使って新しい形を作る:カンブリア爆発と遺伝子の多様性」を参照)。カンブリア爆発は古くから生物学者の関心を引いてきた。ダーウィンも強い関心を持った一人で、進化は徐々に起こると考えていたダーウィンにとってこの問題は深刻で、現時点では説明不能とするしかないと認めている。一方、創造神話を信じる人たちからみれば、カンブリア爆発は謎でもなんでもなく、まさに神が生物を創造した瞬間だったのだ。もちろん現在ではダーウィンが正しかったことを化石の証拠が示している:多細胞動物と思われる化石が、カンブリア紀よりずっと古い、9億年前の地層から見つかっている。また、20億年前に棲息していた単細胞真核生物の化石もあれば、35億年前に生きたバクテリアと思われる痕跡さえある。今ではカンブリア紀と先カンブリア時代の境で突如生物が誕生したのではないことは誰もが認めていることである。
 ダーウィンを悩ませたもう一つの問題は、眼のように高度に完成された器官がどのように進化したかという問題である。さまざまな距離に対して、焦点を調節したり、虹彩中の筋肉の伸縮により、瞳孔から入ってくる光の量が調整される。また、光学的な収差を防ぐために、眼のレンズは異なる屈折率を持つ複数の素材からできている。こうした精巧な装置を持つ眼は、その装置の一つでも欠けると、眼としての機能が果たせない。すべてが揃ってはじめて眼としての機能が果たせるのであるから、ある時期に一瞬にして完成されたに違いない。これは、生物の進化を排除し、地球上のすべての生物は神によって創られたと信じる創造論者 によって、繰り返し取り上げられてきた古典的問題である。
 ダーウィンは、彼の著書「種の起源」の中に「学説の難点」と題する一章をもうけて、「眼が自然淘汰で作られたと考えることは、正直いって不合理であると思われる」と述懐する一方で、「太陽が静止していて、地球が回転するということが最初に唱えられたとき、人類の常識はこれを虚偽の学説だといった」と述べ、常識的判断を排し、理性による判断の必要を説いている。
 生物が神の創造ではなく、進化の産物なら、歴史があるはずで、祖先のさまざまな段階で保持していた不完全なものや痕跡的なものを現在の生物に残しているに違いない。こうしたものは、昔の生物が今とは違った姿をしていたことの証拠になるはずである。眼のような完成された器官ではなく、不完全なものに注目することで、もし神が生物を作ったのなら、こんな不完全な生物(あるいは器官)を作るはずがないとダーウィンは考えた。スティーヴン・ジェイ・グールドはこの視点の重要性を繰り返し彼の著書で力説している(例えば、「パンダの親指」、櫻町翠軒訳、早川文庫)。また眼についても、下等な動物から高等な動物までの眼 を比べることで、眼が自然淘汰によって徐々に進化したことが分かるはずだとダーウィンは考えた。上でも述べたように、プラナリアなどの扁形動物は単純な構造をした眼を持っている。さらに原始的な単細胞生物のミドリムシにはべん毛のつけ根に光を感じる部位があるが、ここに光をあてると運動の方向を変える。これは、眼という範疇に入れてよいかどうか疑問だが、眼の起源となった感覚器かも知れない。ダーウィンは、精巧なカメラ眼や複眼などはこうした単純な眼から徐々に進化したに違いないと考えた。
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眼がカンブリア爆発の導火線?
 現在では、カンブリア爆発も精巧な眼も神の創造ではなく、進化の産物であることに異議を申し立てる人はほとんどいない。ところで最近、カンブリア爆発と眼を結びつけた興味深い本の翻訳が出版された。カンブリア爆発に関する最大の問題は、その要因はなにかという問題であろう。これまでさまざまな要因が提唱されてきたが、いまだに意見の一致をみていない(本シリーズ、「古い遺伝子を使って新しい形を作る:カンブリア爆発と遺伝子の多様性」を参照)。アンドリュー・パーカーは、眼の獲得こそがカンブリア爆発の原因であるという「光スイッチ説」を提唱し、彼の著書「眼の誕生」で紹介している。まさにダーウィンの2つの悩みを結びつけてしまったわけである。
 カンブリア爆発の解釈に対して従来2つの異なる考え方がある。一つは、カンブリア爆発で起きたことは、“種(現在の門に対応するグループ)”が急激に多様化したという立場で、一般に信じられている考えである。もう一つは、種が急に増えたのではなく、急に化石として顕在化するようになったというのである(本シリーズ、「古い遺伝子を使って新しい形を作る:カンブリア爆発と遺伝子の多様性」を参照l)。パーカーは後者の立場に立っている。パーカーは、カンブリア爆発で起きたことは、固い殻のような化石化し易い外部形態上の変化を伴った多様化であって、内部構造の多様化はすでに進んでいたと考えている。さらにパーカーは、この本でいう“眼”とは、単なる感光性の、未発達な眼点のような光受容器ではなく、像を結ぶためのレンズ、網膜、視神経を備えた、視覚を持つ器官に限定している。この視覚を伴う眼こそが捕食を確実にし、一方で捕食者からの攻撃を回避するための形態(例えば装甲)を発達させたというのである。こうして眼を軸に「食う・食われる」の関係が成立し、それによって形態的多様化、すなわちカンブリア爆発が招来したというのである。化石化しやすい外部形態の出現が結果として後に化石として顕在化したというのである。
 これはなかなか大胆な興味深い仮説だが、最近の分子のデータに照らして見たときにどこまで合理的な仮説になっているかどうか、考えてみるのも無駄ではあるまい。パーカー自身も彼の本の中で述べているように、「眼が誕生したのはいつか」という重要な問題が残されたままになっている。彼の仮説が正しければ、眼が誕生した時期はカンブリア爆発が起きた時期に一致するはずである。
 ところで最近の分子系統学によると、三胚葉動物の最初の分岐は新口動物と旧口動物の分岐で、後者はさらに節足動物などを含む脱皮動物と軟体動物などを含む冠輪動物の2つのグループに大きく分かれる。もし、パーカーの言うように、カンブリア爆発は外部形態の急速な多様化という立場を取るなら、新口動物、脱皮動物、冠輪動物の大きな分岐はカンブリア爆発に先行して起きたと考えられる(図1)。各グループは像を結ぶ眼を持つ系統を含んでおり、それらの系統では眼の形態形成遺伝子Pax6を中心とした眼を誘導する分子機構が保存されている。すなわち、眼の基本的デザイン、パーカーの言葉を使えば眼の内部形態はカンブリア爆発のはるか以前、すなわち三胚葉動物の共通の祖先の段階で完成していた推定される。ひとたび視覚を持つ眼の原型ができると、眼には強い自然選択 が働くので、パーカーの推定に従えば一瞬(~10万年ほどの間)にして高度に完成された眼が出現することになろう。すなわち、像を結ぶ眼が誕生したのは三胚葉動物の進化の初期の頃で、カンブリア爆発の遙か以前ということになる。これはパーカーの説を支持しない。もちろん各グループで独立に眼が進化した可能性はあるが、分子機構までも互いに共有する可能性は小さいであろう。さらに二胚葉動物のハコクラゲ類には高度に発達した眼があるという最近の報告まである。従って、カンブリア爆発当時眼に起きたことは、他の形態と同様に、単にピンホール型の眼、複眼、カメラ眼などの外部形態の多様化だけなのかもしれな い。眼の誕生時期の問題は「光スイッチ説」の正否に関わる重要な問題であろう。
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内職するハウスキーピング分子:脊椎動物のレンズクリスタリン
 上で述べたように、「高度に完成された眼は、部品のどの一つが欠けても眼としての機能を果たすことができないから、神によって一瞬にして創られたに違いない」、とは創造論者がダーウィンに突きつけた挑戦状である。では神は眼の部品の一つであるレンズをどのように創ったのか?実は、他で使っている材料をこっそり借用してレンズを作っていたのである。こんな想像力のない、怠惰な人間がしそうなことを全能の神がするであろうか?
 タンパク質には、髪や筋肉など、組織の構造体の構成物質である構造タンパク質と、生体内の化学反応を触媒する酵素や反応を制御する因子などがある。動物 の眼のレンズはクリスタリンと呼ばれる構造タンパク質で作られている。クリスタリンはいくつかの成分から構成されている:すべての脊椎動物は、αー、βー、γークリスタリンと呼ばれる3つのクリスタリンを持つ。これらの主要成分の他に種特異的なクリスタリンがある。例えば、鳥類と爬虫類だけで知られているδ−クリスタリン、ワニと多くの鳥類が持つε−クリスタリン、ある種の魚類、爬虫類、鳥類、及びヤツメウナギのτ−クリスタリンなどがある。こうした 種特有のクリスタリンは、知られるかぎりすべて酵素から遺伝子重複によって進化したか、あるものでは驚いたことに酵素そのものらしい。
 例えば、多くの鳥類が持っているε−クリスタリンは、アヒルでは乳酸デヒドロゲナーゼ(LDH-B)という酵素の活性を持っていて、調べたかぎり、両者 のアミノ酸配列は同じである。このことはアヒルのε−クリスタリンが乳酸脱水素酵素からごく最近遺伝子重複で進化したか、あるいは両者はまったく同一のタンパク質で、あるときはクリスタリンとして、あるときは酵素として使われていることになる。どうやらアヒルではLDH-Bを酵素とクリスタリンの両方に兼用しているらしい。ニワトリでもLDH-Bを兼用していると思われる。なぜなら、ニワトリの全ゲノム塩基配列がラフではあるが決定しているが、重複したと 思われる配列が見つからないからである。
 興味あることに、アヒルとニワトリでは、δ−クリスタリンはアルギニノコハク酸リアーゼという酵素をコードしている遺伝子の遺伝子重複で作られたようで ある。いずれの種も配列がよく似た2つの遺伝子delta1とdelta2を持っている。2つの遺伝子は、ニワトリでは完全に分業されているようで、delta1はレンズで、delta2はその他の全組織で発現しているようである。つまり前者がδ−クリスタリンで、後者は酵素というわけである。アヒルでは少し様子が違っている。delta1はニワトリと同様に、レンズだけで発現しているが、delta2はその他の全組織で発現している点ではニワトリと同じだが、レンズでも発現している。アヒルではまだ分業が完全には進んでいないということのようである。他のクリスタリンでも同様のことが報告されている (表1)。
表1.脊椎動物のレンズクリスタリンと酵素の関係
 同じタンパク質が一方では酵素として、他方では構造タンパク質として機能しているという事実はいったい何を意味するのであろうか。脊椎動物の眼のレンズは一度作られると、新しいものと入れかわることなく、一生使われる。それには構造上安定であることが要求される。さらにレンズの透明度のためにはある種の構造が要求されよう。種によって要求される眼の機能が微妙に違う。こうした条件にかなうタンパク質を既存のタンパク質に求めた結果、いくつかの酵素が選ばれたということなのであろう。レンズとして完全なものを求めたというよりも、機能的に少しでもましなレンズで我慢した妥協の産物なのであろう。どの種もすべての細胞で発現している酵素を利用しているということは、そうした酵素が利用しやすいからで、手当たり次第利用してみてうまくいけば採用するというトライ・アンド・エラーの結果であろう。重要なことは、新たにクリスタリンという分子を作ることをせずに、本来別の目的に使われていた既存の酵素を再利用したということである。しかも、クリスタリンの場合では酵素から構造タンパク質といった極端に違うものに仕立てられたわけである。生物の形態進化では、すでにある素材を利用して新しい機能を生み出す便宜主義的な進化がしばしば見受けられるが、クリスタリンの例はまさにそれが分子の世界でもみられるというわけである。
 クリスタリンが教えてくれる興味ある点は、分子にはさまざまな用途に応じて利用しうる多機能性が潜在的に秘められているということである。無脊椎動物にもレンズを持つ生物がいるが、彼らのクリスタリンも酵素から、それもまったく別の酵素から作られているだろう。例えば、頭足類ではグルタチオン-S-トランスフェラーゼという酵素由来のタンパク質をクリスタリンとして利用している。
 酵素が構造タンパク質に再利用されているという事実は、どこまで一般化できるのであろうか。ポリペプチド伸長因子EFー1αはどの生物にも存在する分子だが、本来のポリペプチドの伸長という機能のほかに、いくつかの目的に利用されているらしい。細胞性粘菌、真性粘菌、テトラヒメナといった単細胞原生生物の研究から、EF1αは本来の機能のほかに、アクチンや微小管を束ねる機能があるらしい。また、微小管の重合中心としての機能も兼ね備えていることが、ウニでも示されている。さらに、テトラヒメナでは、細胞質で細胞骨格として機能している14nm繊維タンパク質はミトコンドリアで働くクエン酸合成酵素であることが明らかになっている。どうやら酵素を構造タンパク質として再利用しているのは脊椎動物のレンズに限ったことではないようだ。
 確かに、最近の報告によると、こうした例は30を超えるようである。ほとんどの場合、酵素のようなハウスキーピング分子が別の機能を果たすためにリクルートされている。こうしたオリジナルな機能(ほとんどが酵素)に加えて付加的な機能を獲得した分子を「Moonlighting Proteins」と呼んでいるようである。
 まだ例が少ないので一般化するのは危険だが、分子が持っている機能は一つに限られているわけではなさそうで、潜在的には多機能的なのかも知れない。全部とはいわないまでも、一部の分子については真実だと思われる。進化の過程で、生物はこうした分子を別の目的に使ってみるという試行錯誤を繰り返してきたのかも知れない。たまたま目的に合えば、その再利用が選択されるのかも知れない。上で述べたいくつかの例では、どの生物にも、どの細胞にも存在し、細胞機能に必須の酵素が再利用されているものばかりだが、これは偶然ではないと思われる。試行錯誤の結果だとしたら、これらの分子はどの細胞でも発現しているので、再利用されるチャンスが多いというのがその理由かも知れない。

 今ではかつての「日本のお母さん」を目のあたりにすることがなくなってしまった。家に居て朝から 晩まで家の万事に追われ、かつたくさんの子供の世話に明け暮れて、まさにハウスキーピングを日課とし、そのうえ家の皆が寝静まると、薄暗い電灯のもとで針 仕事や内職を愚痴一つこぼすでもなく黙々とこなす「日本のお母さん」を忘れて久しい。「Moonlighting Proteins」とは、こんな感傷的なことを思い起こしてくれる名前だなと感じた。上で繰り返し述べたように、生物は神の創造でなく、歴史を持った進化 の所産であるので、眼のような高度に完成した器官ではなく、盲腸のような痕跡器官こそが歴史を良く語る。痕跡器官は廃墟のように、かつては立派に働いていた器官が時代とともに不要になり、かつての繁栄を痕跡的に留めているからこそ歴史を語るというわけである。言葉も人間の歴史とともに生きてきたので、今では意味を失った単語が雄弁に歴史を語る。
 “Moonlight”には“内職”という意味があるが、真夜中でも照明が煌々と照らす現代の都会に暮らす人々には語源が分かりにくいが、昔を振り返れば納得できる。「日本のお母さん」もまたしかりである。

[宮田 隆]

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