13. 女性作曲家の作品を聴く 1998年18号

 生きものの雄と雌の別が生命誌の視野の中での根本的な間題であることはいうまでもない。人間の創作活動における性差を生命誌として論ずるのは、いかにもこじつけであろうが、際立って性差のあるジャンルは事実として存在する。極端な例として作曲がある。演奏家や聴衆にはかくも多くの女性が存在することをみると、女性作曲家の希少さの原因を考察してみたくなる。
 セシル・シャミナード(Cecile Chaminade、1857-1944、フランス)の名は古くから知られていた。男性の女性に対する期待そのもののような、デリケートで小味な、サロン風ピアノ小曲を作曲した。同じく古典的な意味の女性的という形容詞を冠するのにふさわしいのだが、しかし大規模な音楽を作ったのがアウグスタ・オルメス(Augusta Holmes、1847-1903フランス)。彼女は大交響曲やオペラなどを次々と作り、男性どもを大慌てさせた。さらに彼女は格別な美貌にめぐまれた魅力的な女性であったようで、サン・サーンスもフランクもしつこく言いよって、肘鉄を喰らわされた由。『恋の夜』と題するオーケストラ曲など、一度聴いたら耳について離れない、ベルリオーズを女性化したような美しい音楽だ。
 もう少し近年になると、まったく別の意味で、女性ならではの作曲家が現れる。イギリスのエセル・スマイス(Ethel Smyth、1858-1944)が代表的。彼女の作品のCDの表紙に、彼女が女権拡大の街頭デモに加わって、ポリにひっぱられている写真が使われているのだから、おして知るべきキャラクターだ。『難船略奪者』と題したオペラは筋書きも面白いし、気合い十分の力強い音楽だ。この海を取り扱ったオペラは、数年前にイギリスで久しぶりに演奏され、CDが発売されて、多くの人を驚かせた。かのブリテンの『ピーター・グライムス』はこの二番煎じではないのか、というわけだ。ブリテンの傑作が傷つくわけはまったくないが、そういう話題が出るくらいすごい。スマイスは『小管弦楽用のニ調のセレナーデ』なんていうやさしい曲も書いている。しかし、ここにはフランスのサロンから生まれた女性作曲家たちの脂粉の出番はない。
 さらに20世紀後半になると、サロン的とかウーマン・リブ的とかも超えた女性の作曲家が生まれてくる。ロシアのグバイドゥーリナ(Sofiya Gubajdulina、1931-)はわが国でもすでによく知られている。しかし、エリザベス・マコンヒー(Elizabeth Maconchy、1907-、アイルランド)の名はまったく知られていない。私に彼女の音楽を紹介してくれたのは、高名な免疫生物学者、神経生物学者で、趣味の域をはるかに超えたヴァイオリニストであるエーデルマンであった。彼女の弦楽四重奏曲から聴ける凝集された、強烈な迫力はバルトークに匹敵する。
 女流作曲家は、音楽の歴史のなかでじつに少ない。ほかの芸術や学術の分野と同じく、これを遺伝子的差に還元することはまったくできない。また、彼女らの問に女性的と一括していえる傾向も、もはやない。つまりこれらは社会的、文化的な影響が大きいのだ。しかし、世の男性どもはともかく、女性方も女流作曲家の作品にサロン的な芳香を期待しているのは、しばらくは事実であろう。

(おかだ・ときんど/生命誌研究館名誉顧問)

[参考]
『セシル・シャミナード/ピアノ作品集』
ピアノ=エリック・パーキン
(CHAN 8888)

『エセル・スマイス/セレナーデ他』
オダリン・マルティネス指揮、BBCフィルハーモニック
(CHAN9449)

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