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Special Story

バクテリアから生きものの基本を探る

ゲノム分析からわかってきた
生命現象の基本と多様性:中村桂子

バクテリアという目に見えないものを使ったDNAの世界の話をまとめたので,ちょっと面倒と感じられたかもしれませんが,ゲノム(DNA)は,私たちの身体の中でも基本的には同じように働いているはずです。それに現代生物学で本当に面白いのは,遺伝子が性格を決めるのかどうかというようなことではなく,DNAという物質のもつ性質ゆえに起きる変化や働きが,生きるということになんともうまくつながっていることではないかと思うので,面倒がらずに読んでください。もっとも,見えない世界に近づくには,イメージする力が必要です。科学に抵抗感をもつかもたないかの分かれ目は,このイメージを楽しめるかどうかだということもわかっていただきたいのです。

じつは,何度も繰り返していることですが,生きものを見る切り口は,同じ(共通性)と違う(多様性,個性)というところにあります。その基本がゲノムとして見えてきたのがバクテリアです。40種ものゲノムをすべて分析し終わって比較できるようになったからです。もちろんこれからゲノム解析が進んでいけば,もっと複雑な生物でもそれが可能になり,面白いことがわかってくるでしょう。

じつはヒトの場合は,すでに―塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism)といって,個人によって塩基の配列が違う部分の解析が進められているのはよく知られています。この微妙な差が病気や薬への感受性と関係があることがわかってきており,この知識を個人に合った医学へ結びつけようということで,各国でプロジェクト研究が進められているわけです。とはいえ,生物学としての比較研究は,実験室でのモデル生物で進めることになるでしょう。

その始まりがバクテリアというわけです。4つの研究を通して感じることは,やはり,共通と多様のなんともいえぬ組み合わせが生きものを作っているのだということです。複製開始という基本のところさえまったく同じということにならず,必ず変化を取り込んでおりながら,なお基本の能力は失わない。そこまで変わってしまったものは生き残れないのだともいえます。今ここに存在しているものは,どんなに変わって見えようとも,その生物として存在できることを保証されているということです。別の言い方をすれば,これぞ大腸菌,これぞヒトというものはなく,どれも大腸菌であり,ヒトだというわけです。生物の多様性はそのような保証のうえで成り立っているわけで,生きものにはそれ以上の価値判断は不要ということでしょう。

それにしても変異と呼ばれるDNA上の変化は,意外に速く,大きいと感じられませんでしたか。変異というと特別のことのように思われがちですが,DNAは細胞内でもダイナミックに変わり,細胞の外へも動いていっているわけで,変わってはいけないということは,生きてはいけないということと同じだとさえ感じます。

生きているという現象を細胞まるごとで見ることについて,ここでは大腸菌での挑戦の始まりを紹介しましたが,さて,これでまるごとがわかってくるか。たとえ4000個と,ヒトの10分の1の数の遺伝子で見ていくとしても,各遺伝子がどんなタンパク質を作るか,またできたタンパク質が他の物質とどんな相互作用をするかということをていねいに調べていかなければなりません。さらに,そこから全体像を作り上げていくためには,コンピュータの力が不可欠でしょう。でもまだ,そこは先が見えておらず,今バイオインフォーマティックス(生物情報学)の必要性が叫ばれているところです。

しかも,そこまで解けたら,生きものがすべてわかったことになるかというと,恐らくそうではないでしょう。この半世紀のDNA研究を追っていくと,次々と新しいことがわかってきたという気持ちと,どんどん問題は難しくなってわからなくなってきたという気持ちとが共存しています。じつは,これが研究というものであり,この組み合わせを楽しむことが大事なのだと思います。生命誌研究館で,科学の普及といわずに「研究を伝える」という言葉を使っているのはここなのです。科学の普及はわかっていることを教えることになりますが,「研究を伝える」は,わかることとわからないことの組み合わせを楽しむという知の喜びの共有を意味しています。

それぞれバクテリアの遺伝子構成を模式的に示し,生物全体の系統樹に配置したイメージ図。バクテリアでは,今40種ものゲノムが分析され,比較できるようになってきている。今後ゲノム解析が進めば,古細菌や真核生物なども含めて,生きもの全体の基本と多様性が探れるようになっていくだろう。(系統樹の図案は,小笠原直毅『実験医学』Vol.17, No.19,1999より改変。)

(中村桂子)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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