月の動きが音楽を奏で、天空の太陽が不思議な8の字を描き出す。
意識の外を流れる時間に耳を傾けるアーティストが、無作為の作為で写し出したものは…

©Nomura Hitoshi
北緯35度の太陽 1982-87年 写真、プラスチック 125×320×60cm
©Nomura Hitoshi
赤道上の太陽 1989年 写真、プラスチック 140×352×60cm
©Nomura Hitoshi
北緯65度の太陽 1989-91年 写真、プラスチック 130×350×90cm 魚眼レンズを天空に向け、日の出から日の入りまでの太陽を撮影。それを365日分つなげて現れた不思議な図形(紙焼きをプラスチックで補強し、天井から吊してある)。

まだ学生だったころ、僕は永遠という概念に疑義を感じていました。美術作品、たとえばモニュメント等がよい状態を永く保つことは稀なんです。だったら、つぶれてもかまわないような作品も可能ではないか、と思ったんです。

あるとき、プラスチックの旧作をダンポールに入れ、ピニールシートをかけて軒先に置いていました。それが雨風にあたり、ダンポール自体の重みでぐしゃっと変形してしまったのを見たとき、形は勝手にできるものだ、意志とは関わりのない形態があるんだと実感しました。そうしてできたのが、つぶれていくダンポール、僕の卒業作品『Tardiology』です。つぶれていく過程を写真に収めましたが、これ以降、写真と組み合わせるというのが僕の制作スタイルの一つになりました。

ドライアイス、ヨウ素、液体窒素、そして人間…。さまざまなものを撮りました。カメラで撮りきれないときは、映画用の16ミリカメラを使ったりもしました。彫刻において、時間と空間をともに際立たせたいと思っていましたので、時間変化の顕著な物質を素材にしました。

卒業制作から6年ほどたった1975年の秋でした。出勤途中に朝の白い月が残っていて、ちょうど電線と電線の間に見えたんです。少し歩くと、別の電線の間に月がある。ああ、楽譜なんだ、というわけで、電線の間にかかっている月は音符になったんです。

フィルムに五線を写し、巻きもどしてから月を撮影すると、ムーン・スコア=月の楽譜ができる。ある展覧会の会場でムーン・スコアをハミングしている人がいたんですが、驚いたことに音楽になっていました。それで、5年間撮りためたムーン・スコアを1月1日から順にう段に並べ、弦楽五重奏の楽譜にしました。音符の長さはたとえば、満月を一番長く、半月をその半分、三日月はもっと短くなどと決めて演奏しました。

これがなんと曲になっているんです。こんなにアトランダムに撮っているのに音楽になるということは、われわれはすごい秩序の中にいるのではないか。少々の乱れは吸収されてしまうようなすごい秩序。そうでなければ僕の行為の結果が音楽になるはずはない、と考えさせられてしまったんです。

1980年からは180度の魚眼レンズを使い、朝から晩までシャッターを開き放しにして、一日の太陽の軌跡を撮るようになりました。そのころ僕は高槻市(大阪府)に住んでいて、天気のよい日は、北緯35度の上空を通りすぎる太陽の跡を撮り続けていました。

春分・秋分の日は太陽が真東から真西に動くから、180度の魚眼レンズの中を太陽が一直線に移動した跡が残る。そこから1日経過するたびに、太陽の軌跡も北や南に少しずつずれてカーブを描くようになり、1年後にまったく同じ軌跡に戻る。このカーブが示すとおりに、注意して写真を日付けI頂に並べてみたら、365枚の写真は不思議な図形を描いたのです。両端でカーブがきつくなる、無限の8の字。1年間の太陽の軌跡が一つにつながったとき、音を聞いて秩序だと感じた、あのときと同じ不思議な気持ちになりました。

そうして、この形態が持続してくれればという思いが芽生えるのです。日常経験することですが、時間はたとえ意識されない瞬間があったとしても確実に刻まれていて、宇宙を貫く大いなる秩序の上に、あらゆるものが「自ずから然り」という位置に、しばし腰を下ろしているのですね。これほどのことがなければ、人間はとても生まれてこられなかったのではないでしょうか。時間を写し、それを視覚化できたならば、自然が息づいている形を通して、われわれを包含する見えない秩序が実感されるのではないかと思います。


のむら・ひとし
1945年兵庫県生まれ。京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)専攻科修了。同大学美術学部美術科彫刻専攻助教授。時の経過に目を向けた独特の作風の写真や彫刻、インスタレーションなどで知られる。国内外を問わず、多くの個展やグループ展を実施。94年8月に作品集『Time-Space』を発行。