波、鍾乳洞、臓器、そして-
何千何万枚と集積することで、まったく違った表情に変化する布。
生命の創始を見はるかす新進造形作家のモティベーションの軌跡。


1 Untitled (ディテール)
1993年 18×7×7cm
綿布・アクリル塗料・樹脂
2 Untitled
1993年 10.5×7.5×7cm
綿布・アクリル塗料・樹脂
3 Untitled(ディテール)
1994年 16×8×9cm
綿布・アクリル塗料・樹脂
4 Untitled
1992年 各210×50×60cm
綿布・アクリル塗料
5 Untitled
1993年 400×800×600cm
綿布・アクリル塗料
6 Untitled
1993年 各 195×85×70cm
綿布・アクリル塗料
(4〜6 山本寛斎総指揮 KANSAI SUPER MUSEUM 「HELLO! RUSSIA展」)

大学2年の夏、四国一周の旅に出た。穏やかな瀬戸内の海に親しんで育った私は、高知で初めて目にした太平洋の途切れることのない水平線に、少なからず心を打たれた。浜から車を小1時間も走らせると、この旅で最大の収穫となった鍾乳洞に出くわした。奥深く続く原始の洞穴に入るのは初めての体験だった。数十万年も様々のかたちに創造された鍾乳石や石笥(せきじゅん)の艶めかしい起伏に眺め入りながら、それらが無数に配された空間にしばし身を置いた。

大学に戻ってから、さっそく鍾乳石をイメージしながら手を動かしてみることにした。当時すでにテキスタイルを専攻していた私は、必然的に素材として布を選択することになった。しかし、鍾乳石の表面の起伏をただ布に置き換えるだけでは、自然の模倣にすぎない。いろいろと手を動かしていくうちに、かたちを見つけ出す前に一つの考えが浮かんだ。雨水や地下水に溶け込んだ石灰が滴り落ち、時間をかけてあの独特のかたちをつくりだしたように、素材としてごく普通の布を用いながら、それらが何千何万枚も集積することにより、また別の容姿をもつ何かをつくりだせるのではないか。既存の技法を試すよりも、素材としての布の可能性を探っていこう。そう思い至った時、布とのかかわり方が決まった。それからほぼ10年、作品の外観は変化してきたが、細かく裁断した布片を延々と縫い合わせるという手法は、まったく変わっていない。

親の大反対を押し切って大学院へと進学した頃、ある本で読んだ「生命記憶」という言葉に妙に心魅かれた。原始の海で生命が誕生して以来、細胞の中に延々と蓄えられてきた生まれる以前からの記憶。その記憶のおかげで、我々は母の胎内で進化の過程を再演することができるともいわれている。それをキーワードとして、かたちを導きだしたいと考えたが、具現化するのはたやすいことではなかった。結局、その後の数年間はギャラリーの壁面を作品で覆い尽くしたり、巨大な壁に見立てたりと、実験的な制作を続けることになった。

卒業して3年目のある日、思いがけない転機が訪れた。父親が胃を切除することになったのである。手術後、取り出されたばかりの胃や腹膜を目にした。心境は複雑だったが、きれいに洗浄されていたおかげで、さほど抵抗は感じなかった。それどころか、それらの質感と色に、ある種の感動すら覚えた。その後は作品のことを考えようとしても、そのことが頭から離れなかった。そして、以前から気になっていた生命記憶とこの出来事が、自分の中で次第に有機的に絡み合っていくのを感じた。臓器から細胞、そしてその中に封じ込められ、原始から受け継がれてきた生命記憶。そんなことを想いながら制作したのが1993年以降の作品である。

鍾乳洞と父親から摘出された臓器。別物のようにも思えるが、造形的に共通している部分もある。しかも、ともにその創始に遡ろうとすると、我々を遥かなる太古へといざなってくれる。自分自身、悠久の流れの中の極微な個体としてしか存在していないのだが、じつはこの身体にも大きな宇宙が封じ込められている。近頃、日常の煩わしさに追われ、そんなことに思いを馳せる時間も十分にとれないのだが、ふと気がつくと意識の裏側に遠いまなざしを向けている自分がいる。そんな自分を認識できたこと。それがこれまでの制作を通しての、最大の収穫のように思える。

しまだ・きよのり
1964年香川県生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科修了。現在岡山県立大学デザイン学部助手。柔和な表情とはまた違った、素材としての布の可能性を追って創作している。92年第15回国際ローザンヌビエンナーレ、93年 KANSAI SUPER MUSEUM 「HELLO! RUSSIA」展、96年コラボレーション/ヴィア・クルシス ~永遠への道程などに参加。キリン コンテンポラリー・アワード '96 優秀賞受賞。