「木六駄」。太郎冠者・丸石やすし、茶屋の亭主・茂山千之丞

「狂言は、今から650年くらい前に創られた笑いを中心にしたお芝居です。でも、演じているのは、650年間も生き続けているバケモノではありません。今を生きている現代の役者が昔の人が作った演り方、昔の人がしゃべっていた言葉で演じているのです」。これは私が学校公演の解説で喋り出しに使う言葉です。

1973年12月、広島の片田舎から大阪へ出てきた私は、桂米朝師匠の落語会で初めて“狂言”に出会い、すぐにハマッてしまい、茂山千之丞の門を叩きました。叩かれたほうはえらい迷惑やったと思いますが……。その迷惑も顧みず、以来24年と9ヵ月この世界で生息し続けています。

「狂言は難しい」「何言うてんのかようわからん」とはよく耳にする言葉ですが、そう思っていらっしゃる善男善女の皆様方、ぜひ一度のぞきに来てください。なかでも当方・茂山千五郎家の狂言を。

狂言は、中世に興った芝居ですが、現在に至るまで、言葉は、何千人もの役者たちの肉体を通して培われ、演技は、何十万人もの観客の目に晒されて、そぎ落とされ、そぎ落とされて各時代を生き続けたものです。簡素化の妙。たとえば舞台をクルリッと一周すれば、たちまち場面が転換する道行きの動作がそれです。発想の面白さ。役者が科白の中で自前で喋る効果音一ガラリン・チーン、ガラガラ、サラリサラリバッサリ(これをセリフサービスと呼ぶ)。どれをとってもまさに現代のパフォーマンス。男と女、夫と妻、主人と太郎冠者、根底に流れる心情は今も変わりません。古典だあと言っても創られた時は現代劇。今も演じ続けられている狂言は、古くて永遠に新しいエネルギーとパワーをもっております。

皆さ~~~~ん!百度とは言いません。年に一度か二度は、狂言のパワーを吸いに劇場に来て下さい。

「まずは、そろり、そろりと参らばや」ですよ。

(まるいし・やすし/狂言役者)