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TALK

自然の法則を解く問いを求めて

大栗博司カリフォルニア工科大学教授
中村桂子JT生命誌研究館館長

1.自然科学の方法

中村

人間が自然を基本としてずっと考えてきたのは、人間とはなんだろうという問いと宇宙とはなんだろうという問いですね。

大栗

根源的な問いですね。自分を自身と自分がいる世界を理解したい。

中村

問いの始まりは哲学でしょうか。今は自然科学が、物理学とそこから生まれた宇宙科学や生命科学の知識が大きな意味を持っていると思うのです。先生のご専門の宇宙のお話を伺って考えたいと思います。

大栗

素粒子物理学の理論を研究しているのですが、素粒子の理解が宇宙のはじまりや宇宙の大きな構造を理解するのにも必要なので、宇宙を研究する研究所にもいるわけです。

中村

そこが面白いのです。宇宙の理解を蛇で描いたウロボロス(註1)の図がありますね。

大栗

蛇が尻尾をくわえて、頭とつながっている。ミクロな究極の世界と、宇宙の大きな構造とか宇宙のはじまりというようなマクロの極限の構造が、実はつながっていると見ることもできます。

中村

生きもののゲノムをみると私たち人間を含む動物が一番複雑ですが、それが一番単純なウイルスのゲノムを取り込んでできていることがわかっています。まさにつながっている。自然界というのは、大きなものと小さなものが直線的に並んでいたり、複雑なものと簡単なものが一方向に進んでいたりするのではなく、それらがつながった特殊な構造が基本かと思います。

大栗

物理学の場合は還元主義と言いますが、昔から直線的にミクロな世界に向かって研究を進め、小さな世界ほど基本的な法則という考え方をしてきました。生物学では、簡単なものに還元してそれから導いてくるというのは、必ずしも有効ではないのですか。

中村

生物学でもDNAをベースにした分子生物が20世紀の半ばから出てきて急速に進展しました。これは分子に還元して考えますので、分子生物学での科学の方法としては物理学が先生です。

大栗

科学として物理学の方法が最初にうまくいったからですね。

中村

人間の頭にとって一番自然で一番共有しやすいのは因果律の考え方ではないかと思うのです。それを物理学はうまくやってきたのですよね。

大栗

因果律で説明できるのは、その現象を説明する法則が全部わかっているときです。たとえば、ニュートンの法則は、量子力学やアインシュタインの一般相対論で上書きされましたが、太陽系の惑星の運動については、そのほとんどがニュートンの理論でうまく説明できるので、太陽系は因果律で理解できるわけです。

中村

生きものは、因果律で解けるのはほんの一部で全体を見るのは難しいです。

大栗

生物はもっと複雑なシステムなので法則が完全にはわかっていないのですね。例えば、複雑な生物の行動は予測できませんよね。

中村

簡単な生きものでも難しいです。フランソワ・ジャコブは、パスツール研究所で分子生物学の大本を作った一人ですが、「生きものは予測不能という性質を持っている」と言っています。

(註1) ウロボロス

古代より用いられるヘビまたは竜が自らの尾を飲み込み環となった図。シェルドン・グラショー(Sheldon Lee Glashow、1979年ノーベル賞)が、素粒子研究から宇宙を理解する関係をウロボロスに例えている

2.物理の階層、ゲノムの階層

大栗

物理学の場合は、階層構造(註2) になっていて、素粒子や原子を知らなくても惑星運動がわかるように、違う階層のことを知らなくても法則が決まります。なおかつより深い階層の法則からは上位の法則を導くことができます。生物の場合に、例えば何センチから何メートルのように大きさで階層が自明に分かれて、ある階層だけで成り立つという法則はありますか。

中村

物理学のように大きさによるものではありませんが、生きものにも階層があります。基本は細胞です。細胞で、しかもその中にあるゲノムがその細胞を規定しているので、細胞と言ったときには、そのゲノムが表現する細胞です。

大栗

ゲノムが生物の基礎になるわけですね。

中村

ゲノムはDNAという分子です。分子が集まって細胞という階層を作る。多細胞生物の身体はたくさんの細胞からできていますが、同じゲノムの入った細胞が脳を作ったり、心臓をつくったりします。

大栗

違う臓器にも同じゲノムが入って、違う表現をするということですね。

中村

ゲノムはまた私という個体、先生という個体を特定します。

大栗

先生と私は違うゲノムなわけですね。

中村

個人同士の間で少しずつ違いますが、ヒトゲノムという概念があります。種のゲノムです。チンパンジーとはちょっと違う。けれど先生と私は同じヒトゲノムです。

大栗

ゲノムの種類の空間があって、その間に距離があるようなものですね。

中村

そういうゲノムをもつ生きものが集まって生態系をつくっています。例えばカエルとトンボを比べて、翅のあるなしという比較ではなく、ゲノムで比べるのがよい。そういう意味では、生態系までも扱えるわけです。つまりゲノムが分子、細胞、臓器、個体、生態系という階層を貫いていると言えるのです。

大栗

だからゲノムというもので生物全体を理解しようということですね。

中村

階層性の異なる対象を扱う進化学、発生学、生態学(エボ・デボ・エコ)が、ゲノムで考えると共通の言葉で書ける。

大栗

なるほど。ゲノムというのは言葉だと。

中村

そういう学問を作りたいというのが生命誌です。

大栗

物理学の場合は、ニュートンの頃から数学を基本言語としています。たとえば、あるシステムがどのように時間的に発展しているかは方程式で表します。ゲノムを共通の表現として生物を理解したいとのお話ですが、例えば、僕らが物理学からゲノムを理解しようとすると、最初に考えるのは、ゲノム全体というのはどういう空間だろうかとか、ゲノムの空間に距離が定義できるかとか、そういうことに興味があります。多分ゲノムの空間の幾何学のようなものです。

中村

空間と距離という視点は大事ですね。ただ、これは数学ではないのではないかとも思えるのです。数学をわからずに言っているのですが。

大栗

既存の数学ではないかもしれないですね。

中村

ですから同じ科学と言っても、もしかしたら考え方を変えなければいけないときが来ているのではないか。今までは科学は物理学がつくってきた歴史の延長上で考えてきたけれど、そろそろ違うことを考えないといけないのではないかというのが、私が今思っていることなのです。先生の場合、宇宙は数学で解けるはずですね。

大栗

僕が東大で参加しているカブリ数物宇宙連携機構(Kavli IPMU)は、既存の数学では理解できないこともあるので、数学の専門家も入れて、新しい数学を作りつつ研究していこうという研究所です。ガリレオは「宇宙は数学の言葉で書かれている」と有名な言葉を残していますが、それは古代ギリシアの数学を指していて、実は惑星の運動を説明するためにはニュートンによる微積分の発見が必要でした。同じように、僕の研究している超弦理論を宇宙のはじまりに応用しようというときには、これまでなかった数学をまた作る必要があると思っています。だから数学で説明できないだろうというのは、確かに既存の数学ではできないかもしれないけれど、数学を作っていく必要があるのだろうと思います。

中村

物理学の場合は、そういうテーマが出てくることによって、また新しい数学を生み出して学問が相互作用してうまくまわっているのですね。

大栗

物理学が求めて、それを刺激にして数学が新しい技術を作って、そうすると物理学が更に進歩してというのが、ニュートン以来の350年ぐらいの物理学と数学の関係です。

(註2) 宇宙の階層構造

階層 スケール 対象とする物理学
光で見える宇宙の果て 10億×10億×10億メートル 一般相対性理論/量子力学
銀河の大きさ 10億×10億メートル 一般相対性理論
月の軌道 10億メートル ニュートン力学
人間の大きさ 1メートル ニュートン力学
ナノサイエンス 10億分の1メートル 量子力学
素粒子の標準模型 10億×10億分の1メートル 素粒子論

3.複雑な問題を解く

大栗

物理学の世界でも難しい問題はあって、それを僕らは「強い相互作用」といいます。物理では階層に分かれていて、より基本的なミクロの世界から少しマクロな世界を説明しようとするとき、原理的には説明できるはずなのですが、実際にそれを既存の数学で説明しようとすると、人間の知力ではなかなか難しいということがあります。その原因が「強い相互作用」です。例えば太陽系だと太陽があって、その周りで惑星がお互いに引力を及ぼしながらぐるぐる回っています。地球が一個だけ回っているなら簡単ですが、実は火星もあって、水星もあってと惑星全部を入れるとそれらの相互作用を考えなくてはならないので、もう解けません。

中村

物理の基本でニュートン理論を習いましたが、この坂を下りるときどういう力が働きますかという問題では、必ず摩擦はゼロとしますと条件がついていました。ここに摩擦を入れると解けないからですね。

大栗

難しい問題を解けるように簡単にするのが物理学の方法です。太陽系の中の地球の軌道を考えるときにも、まずは影響が小さい火星は無視して、地球の楕円運動を決めます。これに火星を入れて補正するというように後から加えて考えるのを摂動と言います。摂動が使える問題は分けて考えられるので扱いやすいのです。ところが、素粒子論でクォークから陽子や中性子をつくる問題は、クォーク同士をくっつけるグルーオン(註3)という別な粒子の力が強いので、「相互作用の強い」難しい問題です。

中村

惑星の運動はサラダのように別々に分けて食べられるけれど、クォークの場合は白和えのお豆腐のようにグルーオンがいるのですね。

大栗

 

クォークがほうれん草で、グルーオンがお豆腐で混ざっていて分けて食べることができない、和えられた状態が「強い相互作用」の世界です。そういうものは既存の数学ではなかなか解けません。惑星の話でも太陽と地球だけなら3次元ですが、火星を入れると地球と火星とでは公転面がちょっとずれているので相互の関係が生じ、火星の位置も加わるので合わせて6次元です。次元が高くなると問題は難しくなります。

中村

次元ですか。3次元はわかるし、それに時間が入って4次元まではなんとなくわかります。でも、先生の「ひも」理論は9次元だとおっしゃる。先生が監修された「9次元からきた男」(註4)は一体どんな世界なのかと拝見しました。

大栗

 

ゲノムの次元はきっともっと高いのではありませんか。ゲノムの空間を考えると10の何乗次元にもなるように思いますが。

中村

実体があるのだから、3次元で納まっているのだと思っていました。

大栗

 

もちろん3次元の世界にあるわけですけど、ゲノムを分類する空間というのを考えた場合、もっと次元が高いはずです。

中村

なるほど。次元はそう考えればいいのですか。学問の世界でどんどんミクロになっていく場合、顕微鏡で見たな、電子顕微鏡で見たな、見えないけれどその先は化学反応で知るというように想像できますが、3次元の空間が膨らむというイメージは難しい。

大栗

確かに、なかなか難しいです。僕がどういうイメージを持っているかですが、例えば空間とは何かというと、この世界の中の僕の位置を与えることです。京都の街は碁盤の目で2次元ですから、四条河原町というと四条通りと河原町通りと二つの数字で位置が決まります。さらに建物の何階と高さも加えて3つの数字で決まるのが3次元の空間です。でも、人のことを表すときに、もっと数字がいるときもありますよね。僕が誰かとデートをするとして、どこで会うかは3次元のデータでいいけれど、待ち合わせの時間を3時とするとそれで4次元です。会ってからレストランに行こうと思ったら財布の中にいくらお金が入っているかも重要ですよね。そのとき財布の中のお金というのは、もう一つ僕のデータになりますから5次元になります。

中村

そういう次元の増え方になるのですね。なるほど。

大栗

要するに次元の数というのは、物の状態を表すために必要なデータの数です。

中村

それでは虫一匹調べようとしても、すごい次元になりますね。

大栗

次元が高いというのは、ただ単にその対象を指定するためのデータがどれだけいるのかということです。ですから中村先生は「10の100乗次元からきた女」くらいになるのではないですか。生物学は、そういう世界を理解する話になるので、難しいのだと思います。

中村

今のやり方を使うとあまりにも大きな次元だから、ちょっと立ち位置を変えて考えなければいけないということでしょうか。

大栗

多分そうでしょう。物理には有効理論という考え方があります。例えばクォークでもいろいろなものがたくさん相互作用する次元が高い問題なので、その中で重要なものだけを抜き出してきて、特定の現象にだけ使える理論を作るのがエフェクティブ・セオリー(有効理論)です。近似ですが、精度をきちんとコントロールできるものをいいます。階層構造と有効理論というのは、物理の二つの重要な考え方です。階層に分かれているだけでなく、その違う階層の間の相互の関係は、有効理論で結ばれています。例えば、原子の中の陽子や中性子の理論というのは、クォークの理論の有効理論だと考えます。

中村

物理学はそうやって学問を作り上げるのがとても上手だと思います。それで、物理学というシステムを作ってきたのですが、生物学は、生きもの一つ一つを見てしまいますから、それができていない。

大栗

有効理論というのは、どういう問題が解けて、どういう問題が解けないかをまず見極めることです。例えば坂道の問題でも、まずは摩擦を無視した近似なら解ける、そういう問題選定をすることが重要なわけです

中村

「摩擦はゼロとします。」と言われるから、中学生でも解けますが、生物学で、「蝶々がいます。触角があって、目があって、翅があって、しかし翅はないものとします。」とはいきません。生物は無視できるものがなかなか見つからないのです。

(註3) グルーオン

クォーク同士を糊(グルー)のように貼り付ける強い力を伝える素粒子。距離が近づくほど力が弱まり、離れるほど強くなる特別な性質をもつ。陽子などにグルーオンがクォークを閉じ込める問題は「ミレニアム問題」とされ未解決である。

(註4) 「9次元からきた男」

日本科学未来館が製作、大栗博司教授が監修した科学映像。マクロな世界の重力の法則とミクロな世界の素粒子の法則を統合する「万物の理論(セオリー・オブ・エブリシング)」の有望な仮説としての「超弦理論(超ひも理論ともいう)」を追う物理学者を描いている。

4.見えてきた宇宙の謎

中村

物理学ではマクロからどんどんミクロにいって、量子論へ入っていき、素粒子まで行きました。一個の原因にたどり着くのかと期待していたのに残念なことに素粒子が17個あるそうですね(註5)となると17という数字がよくわからない。

大栗

なぜ17なのかは、既存の理論では説明できません。

中村

もっと先があるように思いませんか。

大栗

19世紀から今まで自然界の基本単位を探してきて、最初は原子ですがメンデレーエフの頃にはもう60も見つかって、とても基本とは思えない。そこでよく調べてみると電子がいて、原子核がいてとなり、それが陽子と中性子になり、さらに細かくしてクォークまでいきつきましたが、標準模型では17個の素粒子で表します。これも基本的なものとは思いにくいですね。今は標準模型で説明できる物質の5倍ぐらいの量の暗黒物質というものが見つかり、宇宙を膨張させている暗黒エネルギーの存在も確認されました。明らかに標準模型だけでは足りないということがわかっています。

中村

それを解くのが「ひも」になるのですね。

大栗

その一つの候補が「ひも」、超弦理論ということです。今の素粒子の標準模型には、重力を無理やり入れると、数学的に矛盾をきたしてしまうので、重力が入っていません。しかし実際にはあるので、重力が入った理論がないといけない。するとクォークや電子というのも、最も基本的なものではなくなるのかもしれません。

中村

新しいものを入れたら、また次の基本的な法則が必要だろうということですね。暗黒物質、暗黒エネルギーをわかるために。

大栗

そこはまだわかりません。暗黒物質があるという理由の一つは、遠方の銀河の回転を観測すると、ニュートンの法則と矛盾することが見つかったことです。それがどういう振る舞いをしているかを予想して、それと矛盾しないような粒子を探しています。いろいろ説があり、超弦理論から説明できることもできないこともあります。実際に観測しないと話にならないので、世界各地や日本でも実験が行われていますが、まだ見つかっていません。CERNでは大きな加速器を使って、暗黒物質の粒子を人工的に作ろうしています。

中村

それは、クォークのように今わかっている素粒子でできているものではないのですね。

大栗

粒子がぶつかって、1回純粋なエネルギーになり、違う物質として出てくるのではないかと考えられています。素粒子の実験ではこれまでも例えば陽子や電子をぶつけて、それで新しい素粒子を作る、発見するということが行われていて、17個もそうやって見つかってきたのです。地球に飛んできた暗黒物質の粒子を捕まえようということは、例えば神岡鉱山の中でされています。もう5年ぐらい待っていますけれど、なかなか来ないですね。

中村

待っていても来ないものかもしれないですよね。

大栗

未発見のアクシオンという電場の仲間のようなものの波が暗黒物質だという説もあって、実験や理論から証拠をつかもうとしています。実験するにしても宇宙を見るにしても、見えないものを見ようというのはなかなか難しいです。宇宙観測では、遠くのほうの天体を見て、星もなにもないはずのところで光が曲がって見えたらそこに重力をもつ物質があるだろうと予測します。

中村

今までも光が曲がることでいろいろなもの見つけましたよね。

大栗

重力レンズと言い、見えないけど重力を持っているものがあることは疑いのないことですが、何者であるかはわかりません。そういうものがあるから素粒子の標準模型の世界というのは、まだ宇宙のごく一部しか見ていないことになります。

中村

それが4%ぐらいと言われるのですから不思議です。

大栗

地球の上にあるものはほぼ説明できるわけですが、実は宇宙の中にあるものはそうではない。ガリレオの重要な貢献の一つは、地上の法則と天上の法則が同じものだと指摘したことです。ニュートンも勇気を出して、地球上の万有だから、リンゴが落ちるのも月が回るのも同じ法則だと言ったわけです。物理学はそれで400年ぐらい進んできましたが、よくよく調べてみると、地球の上にあるものと宇宙を作っている物質は実は全然違うかもしれないのですから、とても衝撃的な発見と言えます。

(註5) 素粒子の標準模型

物質を構成する最小単位である素粒子を説明するモデル。40人以上の研究者のアイディアを集め、特殊相対論、量子力学などこれまで知られている理論や実験結果に基づき、素粒子現象を表す。重力を除く3つの力と17種の素粒子などが矛盾なく説明できるが、未解決な問題を含んでおり「超弦理論」などの新たな説の研究が進められている。

5.ゲノムを解く文法

中村

この世界が95パーセントも知らないものからできているのに、ずっと平気で生きてきたとは、なんだか変ですね。

大栗

それは宇宙のことがよくわかるようになってきたからです。銀河系の外に宇宙があるということがわかったのも実はこの100年ぐらいのことです。太陽系しか知らない時代には、そういう問題があることすら知らなかった。宇宙全体の進化や銀河系の運動がわかるようになってきて初めて、「ああ、そういう問題があったのか」とわかるのです。まだまだ研究することがたくさんあって、これからわかってくるはずです。生物学でもゲノムのまだまだわかっていないところが同じようにたくさんありますよね。

中村

人間のゲノムを調べたら、たんぱく質をつくる遺伝子はたった1.5%しかないと、最初知ったときはちょっと驚きでした。それではどうなっているのだろうというのが次の問いです。進化は、法則があるわけではなくて、様々な原因でDNAに変異が起きる。その変異が選択されたり消えたりいろいろな過程を経て、残った結果がこれなのです。

大栗

歴史的なものでもあるのですね。

中村

何か法則で動いたというよりは偶然が入った歴史の記録です。ゲノムの面白いのは、ATGCというヌクレオチドが、ヒトでは30億並んでいると言っても、全部決めることができます。全体が解析できる対象は自然界では他にはないと思い、興味深く思っています。

大栗

ここの中に全てがあるということですね。だからこれを理解すれば原理的には全てわかるはず。

中村

私たちは、具体的には宇宙にあるものの5%しか説明できないけれど、それが化学や物理学の法則で動いていることはわかっているわけです。ならば、ゲノムのデータは全部がわかるのですから、その歴史を踏まえて、具体的に動いているしくみを解きたいです。言葉の文法のような、何かこれを動かしていくための約束ごとが探せるはずだと思うのです。

大栗

やはりそれは数学ではありませんか。ゲノムというのは一つの有限な数のデータなわけで、それがどう変化しているかというのは、数学の問題です。

中村

そうすると言語の文法も数学ですか。

大栗

数学というのは基本的に言語であり文法です。だから今おっしゃっているのは、ゲノムにあった数学を作ろうということではありませんか。数学は、ルールがきちっと決まっている言葉です。まさしくゲノムの文法とはそういうものだと思いますが。

中村

こういう歴史的なものを解く数学はあるのですか。

大栗

例えば宇宙の歴史はアインシュタインの一般相対性理論で説明して解けたわけです。宇宙のはじまりのところはまだわかりませんけれど、宇宙が誕生して3分後から現在までの宇宙の進化というのは一般相対性理論と、あとは知られている素粒子の性質でほぼ全て説明できると考えています。これは、有効理論があって、近似がうまくいく場合なので、生物の場合はもっと難しいだろうとは思います。

中村

そうですね。物理学は有効理論を探してきた歴史ですよね。

大栗

そうです。まさしく解ける問題を解いてきたということです。

6.究極の理論への道

中村

超弦理論は、究極の理論「セオリー・オブ・エブリシング」に限りなく近いと思ってらっしゃいますか。

大栗

それは検証しないとわかりませんが、量子力学と重力を統合する理論として今僕らが考えつくもので、理論的にも整合性があるのはそれしかないので、とりあえずそれを研究しようということです。

中村

「ひも」って、本当に「ひも」がこうしてあるイメージでいらっしゃるのですか。

大栗

例えばCERNの加速器で素粒子の現象を実験しますが、よくエンジニアリングの世界で言われるナノテクノロジーのナノというのは、10の9乗、10億分の1メートルですが、CERNの実験は、ちょうど10億かける10億分の1メートルです。超弦理論で考えているスケールというのは、その更に2乗。だから、10億かける10億かける10億かける10億分の1ぐらいになります。ナノナノナノナノメートルというくらいのスケールです。

中村

そのくらいの大きさの「ひも」があるのですね。

大栗

そのくらいのところに基本的な大きさを持ったものがあるという仮説ですが、点だといろいろとうまくいかないことが、ひものようなものを仮定するとうまくいきます。今はそれ基本的なものだと考えていますが、解いていくうちに有効理論だとなるかもしれません。

中村

今とりあえずは全てが説明できるということですね。

大栗

物理学にゴールというものはないのですが、より究極的な理論を見つけて、それで宇宙のより深いところまで理解したいということです。原子があって、原子の中に電子や原子核があり、その中にまた陽子中性子があって、それはクォークからできていると階層的に考えて、そういう階層構造がいつまで続くか、どこかで終わるかという問題がありました。それで量子力学と重力の理論が統合できれば、そういうミクロな方向への進み方が終わり、打ち止めになるという議論があります。するとミクロな世界に向かってより基本的な法則を見つけるという階層構造の一つのゴールになるので面白いのです。でもそれこそ究極の目的で、そこには容易には到達できないだろう。それでもそこに向けた進歩に貢献できれば、非常に嬉しいと思っています。

中村

そうですね。今のクォーク、重力おきっぱなしでは、素人の私でもなんとなく納得できませんもの。

大栗

最終的には究極のゴールに着きたいのですが、暫定的なゴールを設定して個々の問題から進めていくということです。生物学を解くにも、生きているとは何かとか、生物と無生物の違いは何かという問題は究極の理論を見つけるような大問題なので、そこに至るまでのマイルストーンをまず設定するということだと思います。

中村

そうですね。科学はよく真理の探求と言われるけど、ちょっとイメージとして違いますよね。

大栗

科学に絶対真理というのはあり得ないですね。物理の場合はより広いところ、より多様な現象を説明する理論がより基本的であると考えます。

中村

なるほど。それをどんどん次の仮説、次の仮説と進めていくのですね。

大栗

僕らの世界の基本法則を理解することは、最初におっしゃった、人間とはなんだろうという、宇宙とはなんだろう、という二つの疑問に答えるために重要な方向だと思います。しかも宇宙のはじまりのように根源的な問いに答えるためには、基礎科学の問題を一つ一つ解いていくことが重要だろうと思っています。

中村

そうですね。物理学はとても系統立ててできていて羨ましいです。わかったところを進んでは、またわからないものが見つかり、新しい方法を発明していくのが科学ですね。宇宙も生きものもまだまだ奥が深いのだと実感します。

写真:川本聖哉

対談を終えて

中村 桂子

ひも理論という最先端の研究をなさり、物理学全体を見渡す視点で発信していらっしゃる大栗先生にお話を伺ったら科学のこれからが見えるのでは…わからないことの多いこの頃、スッキリしたかったのです。スカッと歯切れの良いお話しぶりに九次元も見えたような気になり、楽しい時間でした。暗黒物質のように分からないものを分からなさの理由から攻めていく方法も含めて有効理論探しの大切さも知りました。でも、新しい学問には新しい見方(物理では数学)が必要とわかり宿題が残りました。

大栗 博司

私の研究する素粒子論は、自然界の基本法則を発見して、それを使って宇宙の謎を解明することを目指します。しかし、朝、大学に出勤して、「今日は新しい法則を発見しよう」と思って研究を始めるわけではありません。日々の研究では、個々の問題についての具体的な進歩を目指します。そのような積み重ねが、大きな発見につながる。それが科学の原動力です。そのためには、本質をとらえた「解ける問題」が何かを見極める力が重要です。「ゲノムの文法」の理解から、生命の問題を考えようとする中村先生とお話をして、そのような本質をつかむ目利きの力を感じました。生物学と物理学のアプローチの違いと共通点に気づかされる楽しい時間でした。

大栗博司(おおぐり・ひろし)

カリフォルニア工科大学フレッド・カブリ冠教授。同大学、ウォルター・バーク理論物理学研究所所長。東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員。アスペン物理学センター所長。1962年岐阜県生まれ。京都大学理学部卒業。東京大学理学博士。京都大学数理解析研究所助教授、カリフォルニア大学バークレイ校教授などを経て現職。 著書に『重力とは何か』、『強い力と弱い力』、『真理の探究』、『数学の言葉で世界を見たら』(幻冬舎)、『素粒子論のランドスケープ』(数学書房)。『大栗先生の超弦理論入門』 (講談社ブルーバックス)で 2014年講談社科学出版賞を受賞。

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