カエルやワニやイグアナたちが、ときにコミカルに、ときにユーモラスに、新しい生命(いのち)を与えられて蘇る。新進造形作家が、樹脂とガラスで創り出す生き生きした有機的フォルムの世界。

昼下がりの散歩(写真=山村紀之) 番人(フクロウ)(写真=須藤陽) 時間(とき)に留まるⅠ(写真=梶浦政善) 雨あがりの青ガエル(写真=岡村義和) 時間(とき)に留まるⅡ(写真=梶浦政善) ワニ欺く(写真=梶浦政善) アンモナイト(写真=岡村義和)

私が子供のころ、母が洋裁を教えたり、服を仕立てていた我が家では、いつも軽やかな足踏みミシンの音がしていた。子供心に、車輪の回転運動や2枚の生地が縫い合わさるのが不思議で、「指をミシンで縫った話」や、「折れ針が体の中に入る話」などで戒められても、見よう見まねで幾度も挑戦してみたものだった。しかし、一踏みするかしないかのうちに、”ブチッ”と音がして、糸の絡んだミシンは二度と動かなくなった。次に使う母は呆れていたはずだ。

母を呆れさせる話はほかにもいくつかあって、3歳の七五三の前日、「特別な日だから椅麗にしなくては」と思った私は、広い玄関の三和土(たたき)に動かした椅子に座り、割烹着を首に巻きつけ、髪をカットしたのだった。折よく帰って来た母が、驚き落胆したのは言うまでもない。手が届く左右の髪はジャキジャキに短く、後ろだけがヒョロッと元の長さのまま残っていた。アルバムに写っているようにごまかすには苦労したはずだ。

子供向けの軽いつくりの商品が好きになれない私は、先端の尖った長い柄の大人用傘を欲しがったり(これは危ないというので買ってもらえなかった)、高級品店で、白い皮にシルバーの金属で編んである円筒形のハンドバッグを欲しがって、座り込みをして困らせた。でも、そういうものは流行にとらわれることなく、丈夫で長持ちだった。引っ越しの際に処分してしまって残念に思っている。

服の出来上がっていく様子を眺めながら、仕事部屋のゴミ箱から集めた端切れは、私のものづくりの最初の素材だった。布に、人形の首と腕の穴だけあけた服づくりから始まり、ひも、落ち葉、釘に板などと布を組み合わせて遊んでいた私にとって、捨てられていた椅麗な布を再生することは、密やかな楽しみだった。いまは使い勝手のよい材料が豊富にあり、素材の幅が広がったが、素材を組み合わせてつくるやり方は、このころのものである。

子供のころ住んでいた熊本では、ヘビやトカゲやムカデが春になると庭に出てくる。ときには寝室の壁にヤモリがいて「ヤモリが落ちてきたらどうしよう。絶対に眠りたくない」と思っていても、翌朝には消えている。嫌いなはずなのだが気になるし、独特の動きは印象強い。東京へ移ってから、それらに出合うことが少なくなっていたが、太陽光線を受けてキラキラとくれる動作は、ずっと気になっていた。

あるとき、写真集で出合ったガラパゴス諸島のウミイグアナは、恐竜のような風貌で子供のころの感覚を思い起こすものだった。時間の止まったような楽園で承せるユーモラスな姿に、生き物の基本(自然体)のようなものを、そして、永く地球上で生命を伝承しているプライドのようなものを感じた。光と影で浮かび上がる有機的形態からは完成された調和も伝わってくる。いまは、私の過去の記憶とからめながら、そんなことを表現したいと思い、制作をしている。

まだ・じゅんこ
1959年、熊本県生まれ。日本大学芸術学部美術学科卒業。広告制作会社のグラフィック・デザイナーを経て造形作家として独立。第4回オブジェTOKYO展(1988年)で大賞受賞。樹脂にガラスや鏡を張り合わせてつくる独特のオブジェを開発している。