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生命誌再発見 - ギリシアから言葉の源流を求めて:藤澤 令夫 × 中村 桂子

ギリシア哲学の視座から、人間が自然をどうとらえるか、を研究をしてきた藤澤さんを迎えて、今回は徹底的に“言葉”にこだわりました。

「科学」の壁を越えて生命誌とフィロソフィーが共鳴します。

本館中央ホールにて。二人の背景に見えるのはギリシア古典建築三様式の一つ、コリント式の柱

言葉の原点へ

中村

生命誌という形で生命を考えていくとどうしても哲学、思想に触れざるを得ません。ところが、哲学の本は、カントとかヘーゲルとか難しいのです。悩んでいたところで先生の『ギリシア哲学と現代』に出合いました。そこには“日常の中で生きること”をどう考えるかが書いてあり、しかもそれは、“世界や自然を知ること”と一体であるとありました。そこで先生を応援団に引き込んで教えていただこうと決めたのです。

藤澤

私のほうでもそういう科学者が現れてくるのを待ち望んでいたわけです。おっしゃるように、科学全般が哲学とはある時期からまったく別々の道を歩みはじめたという感じがあります。けれども、もともとどんな科学も哲学と呼ばれていた知の営みのなかから分かれて出てきたものなのだから、当然その母体にあったモチーフを分けもっているはずです。それにいくら殺風景な科学者だって、人間として生きているわけですから。

中村

科学者は殺風景ですか(笑)。

藤澤

生きているわけですから、 専門のことがらの追究と同時に、当然その人間としての関心を片方にもっているはずなんですよね。最近の生物学でおもしろいのは、生物学そのものの発展によってゲノム(遺伝物質の全体)の存在が浮かび上がってきた。そこでよく考えてみたら、科学が前提としていたことがらでは片付かないという感じが専門の領域そのものから出てきたということですね。

中村

生物学はとことんDNAを突きつめていったら、たんなる還元論、普遍論だけではないということがはっきりわかったのです。

藤澤

科学というと文字どおり「科の学」で、 史学科とか数学科とか、分かれた科の学問という感じが強い。昔は、自然科学と言わないで、自然哲学と言っていたんですけどね。

中村

サイエンスはもともと学問とか知識という意味ですからもっと広いはずですよね。言葉というのは怖いですね。

藤澤

いちばん怖いのは「哲学」。日本語としてはまったく何の意味だかわからなくなっている。「フィロソフイー」を西周(あまね)が「希哲学」、「希賢学」と訳したのがいつの間にか希が抜け落ちてしまった。「フィロソフィー」は知を求めるという意味ですから、全体の学問の母体であって、そこから関心の向かう方向に応じていろんな学問が出てきたというのが本来のありかたなのです。

ヒストリーの語源は「探求」

藤澤

生命誌はギリシア語でいうと、 ビオスまたはゾーエーについてのヒストリア、ラテン語ではヒストリア・ビターリスということになるんでしょうが、「誌」を中村さんは歴史性ということを表面に出して説明しておられますね。

中村

歴史性と物語性です。

藤澤

ギリシアをやっている人間としてのイメージですが、「生命科学」の「科学」を「誌」に置き換えると、クローズドであったものが、オープンになったという感じを受けるんですよね。「科学」といったら、どうしてもいままでの観念がこびりついていますが、「ヒストリア」というのはもともとギリシア語で「探求する」という意味ですから。

中村

「ヒストリア」は「探求する」という意味なんですか!これは嬉しい驚きです。探求し、それを記録していくことから歴史になったんですね。探求そのものはまさにオープンですね。

藤澤

そのオープンというのが"生命は自己創出するものである”という中村さんの考え方にいちばん直接に結びつくイメージをもっているように思います。歴史性を取り入れると科学の普遍性だけでなく個別性、多様性も語れるということも大事だれど、そういうものを超えちゃってまさに本質の探求、「ヒストリア」なんだということでやったら・・・応援団としてはそう言いたい。

中村

たいへんなことになりました。“言葉"の重みを感じます。

生成と創出

藤澤

中村さんの“自己創出する生命”という考え方を知ってまず連想したのは、プラトンのプシュケーでした。ギリシア語のプシュケ一は「命」、「魂」、「心」をカバーする広い意味をもった言葉なのですが、プラトンはこれを「自らを動かすもの」と定義して万有の動と変化の始原だと考えたのです。中村さんの考え方と非常によく似ていると思います。

中村

ギリシアの時代からそういう考え方があったわけですね。DNAの発見以来、生物は物質に還元して非常に決定論的に見られていたのですが、ゲノムの中にはつねに新しいものを生み出すポテンシャルがあります。その見方が大事だと考えて、それを表現するのに「創出」、ギリシア語では「ポイエーシス」を使ったのです。しかし、いままで生物学では生まれるという意味で、日本語では「生成」ですが、「ゲネシス」という言葉が使われてきました。新しく「ポイエーシス」でまとめるのか、それとも「ゲネシス」の中にそのポテンシャルをはめ込んでいくのがいいか、いま、迷っているところなのです。

藤澤

「ゲネシス」を基本にするのは結構なことだと思います。それでどこまでやれるか、やれなくなったとき、所を見定めて、そこで初めて「ポイエーシス」を使ったらいいということなんです。これはちょっとたんなる「ゲネシス」と違うな、というのが出てこないと「ポイエーシス」を使う必然性がないわけだから。

中村

ギリシア語を勉強するのはたいへんですが、生命に関係する言葉だけでもきちんと整理する必要がありますね。

藤澤

いまの科学者のなかではそういうことをするということだけでも、ずいぶん存在理由があると思います。学問上の言葉はたいていギリシア語から出ていますからね。

ミューズの館に向けて

藤澤

僕はいま「博物館」という言葉で悩まされているわけですけどね。欧米各国はみなミュージアムを「ムセイオン」というギリシア語をそのまま使って音訳しているのですが、日本だけ「博物館」なんて訳しちゃった。「ムセイオン」といったらクレオパトラなんかも一生懸命通って研究したような一大研究機関だったわけです。日本の場合はそういう目で見られないから研究費もこない。

中村

私が今度の場所を「研究館」にしたのは、「研究所」だと閉じてしまう、「博物館」はオープンだけど研究と遠いと考えたからなのです。意識せずに「ミュージアム」の本来の姿を狙っていたんですね。

藤澤

日本の場合、明治の初期に廃仏殿釈というやたらと大事なものを壊した時期があって緊急処置で保管したということから出発しているので、ものをとにかく収集して人にも見せるというところで止まっている。学芸の女神ミューズが虐待されて悲鳴をあげているんですよ。生命誌研究館は学問から内発する意味でのミューズの館にしてほしいですね。

中村

「学問と同時に音楽、 文学などもともに司るミューズが楽しんでくださるようにしたいと思います。

①意匠の神『技芸天』と彫刻の祖と称される『毘首羯摩(びしゅかっま)』をあしらった京都国立博物館本館正面破風の装飾。
②藤澤さんは古都に惹かれて京都で学生生活を送った。徴兵を間近にひかえた戦争末期、見納めのつもりで寺々を一人訪ね歩いて古い仏像を拝観したという。
③銅鐸を挟んで談笑がはずむ。「日本で銅鐸がつくられたころはもうギリシア時代は終わっていたんですよ」と藤澤さん。(写真 = 大西 成明)

藤澤 令夫(ふじさわ・のりお)

1925年、長野県松本市生まれ。旧満州より復員後、京都大学文学部で学ぶ。現在京都国立博物館館長、京都大学名誉教授。著書に『哲学の課題』『ギリシア哲学と現代』(岩波書店)ほか。プラトン『国家』(岩波書店)などギリシア哲学の訳書多数。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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