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Music

サイエンティフィック・イラストレーションの世界

生命の響きが聴こえる 石笛の世界:鎌田東二

ときに貝殻がついたいくつもの穴のある石を砂浜で見かけたら、口元で吹いてみるとよい。
天地から湧いてくるような澄んだ音がするだろう。
宗教学者の鎌田東二さんが奏でる石笛(いわぶえ)との出合いと生命の協奏曲。


25年前の冬、横笛の響きに魅せられた僕は雅楽の龍笛(りゅうてき)を習いはじめた。

「越天楽」「五常楽」といった神前結婚式でおなじみの初歩の曲から、「鶏徳」「陵蘭王」などに進んでいき、曲もしだいに難しくなっていった。その間、各地の聖地巡りをするときには必ず龍笛を携えて奉奏するのを常とした。

その過程でいつしか自然に曲が生まれ、「産霊(むすび)」と名づけた。その土地土地の自然や場所、神々や仏菩薩、そしてその道行きの中で出会った人たちとの結び、その幾重にも織りなされた結びが発現してくる力と様態を、日本神話の産霊神(むすびのかみ)からの名を借りて「産霊」と命名し、事あるごとにその曲を吹くようになった。

石笛を吹く蒲田さん。太古の香りを伝える。
埼玉県大宮市の氷川神社近くの森にて

 

 

雅楽は、もともと中国において、天を祭るための祭礼の音楽として生まれた。孔子は仁を身体的・儀礼的に具体化する方法として礼楽の道を説いた。そこでは雅楽は天に通ずる音楽であり、天の楽のまねびだった。礼楽としての雅楽は、それゆえ天への通路としての響きを奏でるものとされたのである。

そのような孔子を批判したのが、かの老子であった。老子は「大道廃れて仁義あり」と喝破した。仁義などという、人間がつくりあげた人智のはからいは、本来もともと存在していた存在の根源であり発現であった自然の大道と感応して生きる知恵と力がなくなったから生まれてきたにすぎない。それゆえわれわれは仁義などという人間世界のはからいを捨てて、より本源的な自然の大道の世界に立ち戻らなければならない、と老子は説いたのである。

この老子の「大道」ではないが、僕も龍笛の中にいつしか人智の限界を感じるようになった。人類が何千年もかかってつくりあげ、洗練させてきた龍笛の響きの、あまりに人間的な響きに飽きたらなくなってきたのだ。もっともっと自然で、力強い、野生の響きがほしい。人智の音ではなく、もっと原理的・原初的で、生(なま)な音がほしい。切にそう思うようになった。そして以前から探し求めていた石笛が手に入ることを心待ちにするようになった。

じつは20年来僕は、龍笛を学びながら、その一方で、石笛を探し求めてきた。しかし、いっこうにそれは僕のところに訪れてはこないのだった。

切望する気持ちとあきらめにも似た気持ちが相半ばする冬のある日、僕は沖縄・久高島の聖域である御獄(うたき)を巡拝した。島の人に案内されて御嵩を全部巡り終え、クボーノ御獄で龍笛を奏でたあと、白い壷の中に入った五穀が流れついたところと伝えられる伊敷浜(いしきはま)へ案内された。その聖なる渚を歩いていたとき、ふと白い石が目に飛びこんできた。ドキッとした。見ると、その白い石には穴が開いていた。胸が高鳴るのがわかった。一瞬にして、その石が音を奏でることができるのを察知した。「石笛だ!石笛がやっと僕のところに来てくれた!」そう思った。手に取って吹いて承ると、かすかに音がした。美しい、白い珊瑚石だった。この石は、いまはこれしか音が出ないが、いつか必ずいい音が出るようになると確信した。

久高島の神々に感謝し、丁重にお断りしてその石を胸のポケットに入れた。3年前の12月23日の夕刻であった。

その足で石垣島や西表島の御獄を巡り、帰りがけに和歌山市の真言宗の寺院・延命院に立ち寄って南方熊楠の墓参りをした。住職は古くからの親しい友人だった。彼と一緒に墓前に詣で、龍笛と石笛を奉奏したが、いまだ澄んだ響きにはならなかった。

そのあと、奈良県吉野山中にある天河弁財天社に詣で、別の友人の禅僧と拝殿に上って石笛を奉奏したとき、空間を切り裂くような、すさまじい、まさしく神鳴り(雷)のような音が響きわたった。「ああ、この音、この響きだったのだ、僕が求めていたのは!」
 

それはまさしく原初の響きだった。センコウ貝が触手を伸ばして穴を掘り、そこに棲んでいたのだが、やがて貝が死に絶え、穴の開いた石が残り、波風にさらされていつしか渚に打ち寄せられたのである。縄文時代の遺跡からこうした石笛がいくつも出土している。その石笛を実際に吹かせてもらったことがあるが、同じようなすさまじい、そして澄明で美しい響きを奏でた。

1万年以前の自然石が奏でる響き。貝の棲む家(巣)であった石が、いま、僕の手の中で石笛となって蘇える。それは縄文の青い空と海の香りを伝えてくれる。太古の生命の響きを伝えてくれる。

①石笛の中に雅楽の横笛「龍笛」を置く

それ以来、僕のところにはもう30個以上もの石笛が集まり、わが家の神棚も床もその石笛でいつも賑わい、毎朝太古の響きを発して止むことがないのである。

②石笛でにぎわう鎌田邸の床の間
③〜⑥さまざまな形の石笛
(撮影=田中耕二)

鎌田東二(かまた・とうじ)

1951年、徳島県生まれ。国学院大学大学院修了。宗教学・神道学。武蔵丘短期大学助教授。国際日本文化研究センター客員助教授。著書に、『神界のフィールドワーク』(青弓社)、『翁童論』(新曜社)、『場所の記憶』(岩波書店)、『聖トポロジー』(河出書房新社)、『人体科学事始め』(読売新聞社)など多数。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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