季刊誌「生命誌」通巻12号

Special Topics

ゲノム解析から進化が見える—粘草菌の全DNA配列

小笠原直毅
 私が研究対象にしているのは、納豆菌の仲間の枯草菌である。枯草菌は12億年前に大腸菌から分かれた細菌で、そのたんぱく質や糖を分解する酵素を生産する能力が、世界的に活用されている。そのゲノム(遺伝物質の全体)は、1本の環状DNAで、全長が420万塩基対ある。私は、日本とヨーロッパによる共同研究として進行中の枯草菌ゲノム配列の全解読プロジェクトに、日本側の一員として参加している。
 現在までに、すでに50%以上のDNA情報配列が明らかになった(うちの日本の7グループで100万塩基対を解読)。95年に、すでにインフルエンザ菌(170塩基対)とマイコプラズマ(60万塩基対)の全ゲノム配列が明らかにされた。現在進行中の国際プロジェクトのなかで、大腸菌と酵母が96年度中に終わり、98年には簡単な多細胞生物である線虫(1億塩基対)の全ゲノム情報解読も終わると思われる。2005年までには、ヒト(30億塩基対)の全解読まで終わるといわれている。ゲノム解析計画がスタートした5年前にはとても考えられないスピードだが、それだけDNAの解析技術の向上がすさまじいということである。
胞子を形成中の枯草菌 分裂中の枯草菌
胞子を形成中の枯草菌
枯草菌は長さ1〜2ミクロン、幅0.5ミクロン。環境の栄養状態が悪くなると胞子をつくる(矢印の楕円形部分)。(電子顕微鏡写真=小林泰夫/東京農工大学農学部、『細胞工学』Vol.14 NO.6, P.667, 1995年より)
分裂中の枯草菌
複製開始点を人為的にずらして行った枯草菌増殖実験。細胞は分裂を始めたが、DNAの複製がうまくいかないため、増殖部分はDNA不在で結局死んでしまう。死んだ部分は蛍光色素に染まらないので黒く沈んでいる。
枯草菌ゲノム解析の国際協力
枯草菌ゲノム解析の国際協力
遺伝子地図に基づいて,枯草菌ゲノムを10万〜20万塩基対の領域に分けて,世界10カ国(日・米・英・独・仏・伊・オランダ・ベルギー・スイス・アイルランド)で25の研究室が配列決定に当たっている。日本は7研究室が参加。
 遺伝情報の並びをただ解読するだけで、生物の何がわかるのか、という声がある。だが、現実にDNAの配列が詳しくわかってくると、さまざまなことが見えてくる。たとえば、進化という視点で見てみよう。インフルエンザ菌は進化上大腸菌に近い細菌で、複製を始める複製開始点の遺伝子構造は非常に似ている。共有している遺伝子も非常に多い。ところが、ゲノムのなかの遺伝子の並び方はずいぶんと違うことがわかってきた。つまり、同じような機能を持つ遺伝子が進化の中で保存されながら、違う場所へと再編成されているのだ。
 これはどういうことを意味するのだろうか。私は、遺伝子の位置の並べかえは進化の時間のなかで、頻繁に起きうるのが基本なのではないかと考えている。ほうっておけば、バラバラの並びになってしまう。しかし、何かの制約があって、無制限にバラバラになることを防いでいるのだろうか?その制約とは何かを追求することは、生物の基本原理を知ることにつながるだろう。
 解析されたゲノム情報を比較することによって、生物にとってどの遺伝子が共通で、どの遺伝子が多様性にからんだものなのかを知ることも可能になってきた。ヒトなど哺乳動物に寄生するマイコプラズマは、アミノ酸などの生合成遺伝子を欠いている。遺伝子の数は471個。これに対して、インフルエンザ菌は1727個、枯草菌は4000個にのぼる。細胞という構造をつくって、分裂し増殖するだけなら、500個前後で十分、ということだ。マイコプラズマはおそらく、普通の細菌が寄生生活をするうちに、アミノ酸などの生合成能力を失っていったものなのだろう。
胞子を形成中の枯草菌
複製開始点の共通構造
進化の系統樹上では互いに離れている(下図参照)にもかかわらず、共通する複製開始点の構造を持っている。ただし、その位置、並び方は異なり、インフルエンザ菌は大腸菌の黄色部分と赤部分の間の遺伝子が変化するなど、微妙な差がある。
oriC 複製開始点(黄色部分)
dnaA 保存されている共通構造(赤部分)

枯草菌進化上の位置
大澤ほか(1992)より改変
 大腸菌は基本的に分裂だけで増殖するが、枯草菌は周囲の栄養状態が悪くなると、自分の体の中に胞子を形成できる。栄養状態が良くなると、この胞子が発芽して、次の世代が生まれてくる。胞子を形成する遺伝子系は、進化のなかでゲノムが獲得した多様性の一つである。胞子ができるときは、そのための特別な遺伝子群(シグマ・ファクター)が発現して、胞子をつくるための遺伝子をオンしている。その結果、普通は中央で分裂するものが、このときは端のほうで不等分裂し、それが大きい母細胞部分に呑み込まれて胞子になる。このとき、母細胞と胞子になる細胞の双方で各々特有のシグマ・ファクターがはたらき、双方が会話(情報交換)しながら胞子をつくっていくのである。
 なんという巧妙な仕組みだろう。このように遺伝子は、他の遺伝子と協調しながら発現していくカスケードの流れをつくっている。たくさんの遺伝子が、どのように制御されて形づくりや生命維持に関与していくのかを調べることが、私の最大の関心事である。そのためには、一つ一つの遺伝子が現実にどのような機能をもっているかを調べていかなければならない。ゲノム解析が終了したら、遺伝子破壊マップの作成にうつりたいと思っている。解析でわかった遺伝子を壊した細胞レベルのミュータントを作り、その遺伝子の機能を調べる。これをヨーロッパと一緒にやっていこうと考えている。
 遺伝子の塩基配列を決めるという基礎的なアプローチは終わりに近づいている。この成果を生かした「ゲノム生物学」が、いま幕を開けようとしているのである。
(おがさわら・なおたけ/奈良先端科学技術大学院大学教授)

(編集部注)
酵母の全ゲノム配列の解読は96年4月に終了しました。
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