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SPECIAL STORY 生きもののつながりの中の人間

21世紀の
比較発生学的
世界観

倉谷 滋
理化学研究所 生命機能科学研究センター チームリーダー

1.自分にとっての不思議

僕の研究は、自分にとっての不思議は何か、どのような問いを自分がもっているのかを常に起点としています。例えば「ゴジラはどこから来たのか?」という問いも含めて、一体これは何? どうしてこうなっているの? とこれまで色々な謎を解き明かしました。そういうわけで、主に顎の獲得とカメの甲の進化、最近ではヌタウナギの発生を研究してきたわけです。

生命活動を司る一般原理というよりも、博物学的な問いといえます。形態進化学として、顎やカメの甲羅はどうやってできたのか。その個別のトリックをとにかく知りたい。それがどんなに不思議な進化のように見えても、この世には魔法はないのです。それは精々手品のようなもので、そこにトリックがあるからこそ、どのような細胞の動きや組織の成長によってこの新しい形態ができたのかがわかる。カメが甲羅をもつという進化は一見不可能に思えるけど、実は可能だったんだと納得できるわけです。人は普通、その背景にあるしくみとかインフラを知りたがるけれど、実際、当時のカメがどの遺伝子制御ネットワークを使ったかを知らなくても-それはもう今のカメからは失われているかも-祖先からどのような形態を経て甲羅になったか、それが可能だとわかれば、僕としてはとりあえずは安心できるわけです。

ヌタウナギは以前、まったく発生が知られておらず、その発生を観察するというのは、誰も見たことのないものを知るエキサイティングな経験でした。分子系統解析ではヤツメウナギとの分岐後、何億年も経ているようですが、発生形態の視点で見ると両者は近く、我々と袂を分かった一系統の中で二次的に二分したのがヤツメウナギとヌタウナギであり、ヌタウナギが原始的というわけではありません。円口類については、これまでヤツメウナギの情報しかなく、ヤツメウナギがもつ偏りや特殊化を払拭できませんでした。まるで、ヤツメウナギが顎をもった脊椎動物の祖先であるかのように言われることも多かった。しかし、そもそも円口類とはどういう生きものかを知りたければ、ヌタウナギも見て比べなくてはなりません。そうすることによって、脊椎動物の進化の黎明にあった、重要な進化イベントが正確に見えてくる。 例えば、ヤツメウナギとヌタウナギは同じ円口類でありながら幼生型の有無という大きな違いがあります。ヌタウナギは、直接発生するので幼生型をもちません。では、円口類はもともと幼生型をもっていて、ヌタウナギが二次的に幼生型を失ったのか、あるいはもともと幼生型がなく、ヤツメウナギの系統で独自にそれを獲得したのか。ヤツメウナギの幼生が二次的に発明された新しいボディプランだとすれば、それはきわめて不思議で魅力的な問題です。しかし、この幼生は原始的な特徴として「内柱」をもちます。これは、有機物を濾し取って餌をトラップするための器官で、脊索動物のナメクジウオとホヤに見られます。これと同じものをヤツメウナギの幼生がもっていて、しかもその形態や遺伝子発現がナメクジウオの内柱とよく似ている。ならば、この幼生は、祖先状態を示すのか。そして、ヌタウナギがこの幼生段階を失ったのか。そういうところで今、非常に悩んでいます。やはり僕の原点は、19世紀末から20世紀初頭にかけての比較発生学的、ヘッケル的な世界にありますね。その文脈から脊椎動物の起源と進化過程を明らかにしたいという気持ちが強いのです。

2.博物学的自然観と比較発生学的観察を統合する

エルンスト・ヘッケル(1834-1919)の『人類進化論』の系統樹。モネラ界(原核生物)から複雑な生物に向かって枝を伸ばし、頂点にヒトが描かれている。

ヘッケルは、祖先の発生過程の最後に新しいイベントが加わることによって、子孫の形態が進化すると考えました。だから彼の系統樹は、体制の複雑さが上に向かって段階的に増してゆくように描かれていました。例えば原始的なバクテリアのような生物から、単純なプラナリアや線虫、そして節足動物、環形動物へと体制が複雑になり、その一番上にヒトが置かれています。脊椎動物では、ヒレのない脊椎動物に胸ビレができ、胸ビレをもつ動物の発生過程の後に、それを腕にするプログラムを加えると陸上動物に、腕を翼に変えるプログラムを加えると鳥になるわけです。単細胞生物から徐々に複雑な脊椎動物へと至る過程は個体発生の序列と平行的で、この階梯を分類学的段階、あるいはボディプランの進化レベルになぞらえたのがヘッケルの反復説です。彼の反復説が細胞から組織構築へ、組織から胚葉の獲得へと至る過程には飛躍があるように思いますが、博物学的な自然観と比較発生学的な観察を統合するという考えはとても魅力的です。

最近は、ゲノム解析やシングルセル解析によるトランスクリプトームなどさまざま手法を使えます。それによって例えば、クシクラゲはクラゲと似ているようで異なるなど、人間の自然な思い込みが実は間違っていたということがいくつも明らかになってきています。実際、クラゲのニューロンは脊椎動物のニューロンと比較可能ですが、クシクラゲのそれとは比較できません。ある細胞型をつくるために働く遺伝子制御ネットワークや遺伝子発現プロファイルをクラゲとは直接比べられても、クシクラゲとは比べられない。おそらく板形動物の細胞型と比べるのも難しいでしょう。僕らはクラゲ的な祖先から生まれ、その時に成立した細胞型を今も使っているけれど、これ以前に分岐した動物はそれをもたないようなのです。

多細胞動物から一番最初に分岐した生きものが、体制的に最も単純なカイメンであるか、筋肉や神経系をもつが他の生きものと共通性が低いクシクラゲかは決まっていない。

ジョフロワ・サンティレールは、動物界には共通のボディプランがあり、それを変形することで、イソギンチャクや、ヒトデや、さまざまな動物が生まれると言いました。当時の学者にとってボディプランは重要な概念だったのです。僕も古い人間なので、ある動物を見た時、「どんな素性をもつ動物だろうか」と解剖してボディプランを知りたいと考えます。けれども最新データは、ボディプランよりもっと包括的な保守性が細胞型に表れることを示しています。どんなに風変わりなボディプランをもつ動物でも、古い素性の細胞が数億年、相変わらず連綿と使われ続けている。ボディプランは保守的だと言われるが、それ以上に頑なな保守性が細胞にあり、その背景には、おそらく10億年以上を掛けて原核細胞から進化した真核細胞の成り立ちがあるのでしょう。

3.人間の営為も自然の営為も

ボディプランらしきものをもった動物の出現は先カンブリア紀で、一通りボディプランが出揃ったのがカンブリア紀であるとすれば、基本構造の進化に要したのはたかだか一、二億年。つまりそれほど時間は掛かっていないのです。

動物の体の構造の中で、もっとも難しそうに見えるのは神経系ですが、ニューロン一個一個の形が細胞の機能に帰着するので、脳の形作りは意外と簡単かもしれません。ところが上腕骨や、耳の中で音を伝える耳小骨は、その形を決める責任を特定の一細胞に帰着させることができません。おそらく個々の細胞が多少入れ替わっても大丈夫で、むしろ細胞の塊が全体として特定の力学的構造をつくるということが驚異です。形態形成現象の中でもっとも難しいのは骨格で、ゲノムがどうやって個々の骨の形に帰着するかは今もって謎です。

「人間も機械に過ぎない」と最初に言ったのはラ・メトリですが、その機械とは自動的に発生するしくみをもつ機械で、現代風に言えば、発生のやり方を記すゲノムが読み出されて自動的に形ができあがるということになるわけです。とすれば、遺伝情報とは一体何を決めているものなのか。進化は、エンジニアリングの思想をもちません。ただ表現型を選び出すことだけをやってきた。あるいは、うまく発生できなかった胚は生まれてくることができない、という篩に掛け続けるうちに、今、見るような生きものになってしまったわけです。進化とは、計算づくではなく、その本性は言わば「できちゃった」なのです。果たしてその「できちゃった進化」はエンジニアリングの思想で解けるのか。つまりシステムバイオロジーで進化を理解できるかが、僕は気がかりです。その一方で確かに、機能が求める進化を突き詰めた結果と、エンジニアリングを極めた到達点はよく似ています。哺乳類の耳小骨は、サメの舌顎軟骨と位相的類似性はあるにせよ、音を聞くというはるかに精妙な機能のために特化しており、哺乳類としては、サメなんかと比べてくれるなと言いたくなるほど、進化に進化を重ねた美しい形態をしています。その過程を喩えるなら、ミケランジェロが大理石の塊の中に眠っている像を削り出してくるようなもので、人工という人間の営為も進化という自然の営為も、行き着く先は同じなのかもしれません。

4.形ができるカラクリが知りたい

親の顔とよく似た顔の子どもができるって不思議ですね。その法則性が何らかの形でゲノムにあるならば、一滴の血液からその主の顔が読み出せるはず。でもそのような技術はありません。ゲノムからどのようにして形が生まれるのか、そのカラクリがわかるなら、ぜひ知りたいですね。生命が世代をつなぐ時に受け渡しできるのはわずかに細胞質と遺伝情報のみ。その個体が骨や筋肉や神経をもつ動物になろうとも、卵にはその影も形もなく、ただ遺伝情報があるだけです。そこから形になる論理を、何かアルゴリズムがあるように言うけれど、いったい何をどう導けば形ができるのかは、今もって謎です。

分子遺伝学者は「ゲノムの中の遺伝子の機能と制御のしくみがわかれば、その生きものの形態をシミュレートできるはずだ」と、20年くらい前までは考えていたように思います。ところが、その情報の膨大さは度を越しており、素性も知れぬ雑多なパラメータを導入しなくてはならない。しかも個体発生という現象は、各ステージの状態を境界条件として次が展開するという複雑精妙なしくみで、それをどのように表現できるのか、まだ誰にもわかりません。生物学の問題は、人間の頭で扱う範囲を超えているのではないかという危機感と、いや、まだできると踏ん張りたい気持ちの間に今います。90年代まで、コンピューターはあくまで人間を助ける道具であって、人間の知恵をみな信じていたと思いますが、最近は「いや、人間にはもうわかりません」と宣言しているように見えることもあります。オミックス時代を経て、そういうことを真剣に考えてもいい頃ではないでしょうか。人間にとって理解とはどういうことかを。

5.古式ゆかしいゲノム

ゲノムをエンジニアリングできるのか? 例えば、心臓の形態形成でも、発生プログラムとして、どこが変わりやすいか、変わりにくいかという差があります。全体としては間違いなく心臓ができなければ困るけれど、同時に、祖先型から変化させる遊びがあればこそ弁や中隔を獲得できた。その過程には段階的な発生経路があって、心臓をつくるという目的に照らせば遠回りのようでも、あるパターンを経なくては次のパターンを展開できません。心臓の進化の必然として、祖先が使っていた発生プログラムを今も使わざるを得ないのです。なぜなら、そのプログラムの成立を前提として、次のプログラムが組まれているからです。段階的進化はそれを繰り返してきたわけで、今でも発生はその経路を迂回せざるを得ません。進化が個体発生を繰り返しているように見える理由のひとつはそれでしょう。

やはり、これまでの進化の帰結として図らずもできてしまったゲノムがどのような性質のものかを知るのは大事なことです。ゲノムはエンジニアリングされたでき合いのものではありません。天才的な芸術作品というよりは、古式ゆかしい儀式や風習のごとく、時代によって少しずつ変わりながらも続いていく語りの芸能のようなものです。「いや、そこは変えたらいかんよ。ご先祖様に顔が立たぬ」というイメージ。その生物のもつ歴史的ないきさつを知らなければゲノムは読めません。僕は常にそう考えています。もちろん、ゲノムの中にすべての歴史が刻印されているわけではありません。発生過程における細胞間の相互作用をゲノムの側でも読んでおり、その現在進行形の中から紡ぎ出されてくる、ゲノムと胚の形態とのもつれ合いをカギとして発生が進み、進化が起きているということなのでしょう。

6.形態的変化を導く構造の揺らぎ

体の形作りの相互作用を階層として捉えようとする時、分子から細胞へはわかりやすいけれど、細胞から組織へとなると、組織ごとに細胞の存在の仕方が違ってきます。例えば、水棲の脊椎動物がもつ「マウトナー細胞」というニューロンがあります。これは耳のちょっと前辺りで対をなす細胞で、体の左右軸の反対側にある運動ニューロンまで軸索を伸ばしてシナプスを形成します。マウトナー細胞の細胞体には、もっぱら側線系由来のパルスが入ります。つまり片側から刺激を受けた時、反対側の筋肉を思いきり収束させて逃げるわけです。一個の細胞が、動物の左右を知っていて、反対側にあるほぼすべての骨格筋に命令する機能をもっている。マウトナー細胞は、単一の細胞でありながら、「組織」という階層をまとわず、直接、解剖学的パターンを成立させて個体の解剖学的構築に寄与します。生物の構築のされ方は、人間が自然に考える階層的な見方と異なり縦横無尽に階層、つまりレイヤーの間を結び付けることができるようです。そういうことを含めて、ゲノムには何が書かれているのかを知りたいですね。

例えば、進化的に保存されている相同な器官が動物によって別の遺伝子でつくられる場合、これを「発生システム浮動」と呼びますが、その時、自然淘汰の篩に掛かるのは形態であり、それをつくるメカニズムではありません。選ばれるのは表現型であり、その表現型をつくり出す結果としてのゲノムです。僕が知りたいのは、淘汰の篩によってどの「構造」がどのレイヤーで維持され、またどのような構造が変わりうるのかです。さらに構造が揺らぐ時、顎でもカメの甲羅でも、形態的変化を導く揺るがせ方とはどのような性質なのかも知りたい。

僕らは20世紀の大半と21世紀の今までの間、遺伝子に注目し過ぎたのではないでしょうか。もうちょっと違うところを見なさいと言われている気がしてなりません。昔であれば、臓器を知りたければ組織や細胞を、細胞を知りたければ、その細胞が辿った特異化の分子的道筋を理解すればいいと、純粋に還元論的な手法で進んできました。でも還元論では済まないからこそ、この体があるのだと思いますよ。

写真:大西成明
倉谷 滋(くらたに・しげる)
1958年大阪府生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院修士・博士課程修了。理学博士。琉球大学医学部助手、熊本大学医学部助教授、岡山大学理学部教授を経て、2002年より理化学研究所発生・再生科学総合研究センター創造的研究推進プログラム形態進化チームリーダー、2005年より同グループディレクター。現在、理化学研究所生命機能科学研究センター形態進化研究チーム、チームリーダー、兼、理化学研究所開拓研究本部倉谷形態進化研究室、主任研究員。著書に『新版・動物進化形態学』、『分節幻想』など。
  • 物理に宿る生命の紡ぐ物理学
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    東京大学大学院
    生物普遍性研究機構 教授
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