研究室にて

Na, K-ATPaseというのが、研究室でのテーマ。奇妙な名前の酵素だが、細胞内部にカリウム・イオンを汲み込み、逆にナトリウム・イオンを追いだす。そのとき、ATPのエネルギーを利用して仕事をしている。脳・神経作用のナトリウム・ポンプ説にいう「ポンプ」の実体がこれである。いつか学生の講義で「イニシアルがナガノ・ケイ(Na、K)と同じなのでずっとやってます」と言ったら、ちょっと受けた。(Na-K)‐ATPaseとかNa+/K+-などと、研究者がめいめい勝手に書くので困るが、どの流儀にしてもひと目で目立つので、新しい雑誌がきて目次を拾い読みするときには、都合がいい。

一次構造(酵素のアミノ酸配列)は1985年にわれわれとアメリカのグループが、違う材料で同時に明らかにした。不溶の膜そのものの一部なので、タンパク質としては扱いにくいことこのうえないが、cDNAクローニングという遺伝子技術のありがたさである。それ以後この酵素でも、研究は忙しい遺伝子時代に突入した。ただ、仕事が活発になると、忙しさにつられて、生物学的におもしろい素朴な現象が置き去りにされがちになる。

イヌ、ウシなどの動物では、赤血球内のカリウムが低く、外側の血漿(けっしょう)との間で、濃度の勾配がない。そしてまたこれらの動物では、赤血球膜にNa, K-ATPaseがほとんどない。赤血球の成熟につれて失活してしまうらしい。ヒツジには、低カリウム型と通常の高カリウム型と、両方の系統があり、メンデル式に遺伝する。違う2種類のNa, K-ATPaseのアイソフォーム遺伝子があるはずだ。1960年代に、このあたりまでわかったが、そのままで進展しない。イヌとか人間でも両方の遺伝子があって、一方の頻度がひどく低い、という可能性はある。現に有袋類のオポッサムで2型が見つかっている。

ときどきそそのかしてみるのだが、「見つかったら、それでどうなの?」というのが、こうしたテーマを敬遠する若手の言い分で、それへの反撃は案外難しい—。

(ながの・けい/自治医科大学生物学科教授)