ここに長谷川潾二郎の画集がある。なぜそれが私のところにあるのか因縁話は長くなるので止めるが、「時計のある門」という画が私の心をとらえて離さない。

昭和10年に描かれたこの画は、じつはその10年後に空襲で焼失した東大天文学教室の門を描いた画であった。ここは、麻布飯倉のロシア大使館の横を入った突き当たりにあって、谷を挟んで東京タワーの対岸にある。古くから観象台天文台のあったところで、画でも、明治以来の赤煉瓦塀に挟まれた「時計のある門」に「東京天文台」の表札が見える。門を入ったところに、私も1年だけ講義を聞きに通ったことのある古い建物があるが、その右手の奥に頭だけ見える子午環の小屋の位置が、いまも日本全体の地図や測地の原点としての一等三角点である。

長谷川画伯は、兄(牧逸馬・林不忘)も弟も文人であり、本人も筆の立つ人であった。昭和11年に「時計のある門」についてのかなり長文の思い出の記がある。シベリア経由でパリへ画の修業に行くのにソ連領事館に来たために見つけた、いわば意図しないで発見して描きたいと思った風景が、3年後に(この寡作の画家が3日がかりで)一気に描けたというのである。門の中から10歳くらいの少女が大きな鞠をついて出てきた、その偶然が時計の円と鞠の円との受け渡しをつくった、私は運がよかったというのである。「描くことは自分の意志で運を導くことだ。計算ではけっして画は生まれない。感動だけが作画の動機である。その感覚の中にすべてのものが含まれている。そして、線、面、色彩などは、たんに画を構成しているものの表面にすぎないことに気がつく。これらはいわば、『内部の外部』である。この奥に隠れているものがある。そしてその秘密の世界の奥にまた一つのものが隠れている」

宇宙や生命がなぜあるのかという究極の原理を理屈ずくめで追求する確かな方法はあり得ない。そのことはゲーデルによって確かな理屈で証明されている。しかし、私たちは、「時計のある門」の画と文の中にも、生命を知る究極の原理が見え隠れしているのを見ることができる。そういう媒体を文化というのである。

(うんの・わさぶろう/近畿大学生物理工学部教授)