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霧が立つ

中谷芙二子

空気は流れ、沈み、温度を変え、渦巻く。
霧は、空気の動きに呼応して立ち昇り、地形の凹みを這って姿を変える。
不可視の大気の生態を視覚化するアート ― 霧の彫刻。


今、私は宇都宮の大谷石採掘場跡に近い倉庫の中で“霧”と格闘している。創造力と優雅さでダンス界の頂点を極めるトリシャ・ブラウンのために霧の舞台を作ろうとしているのである。

大谷石の巨大な地下空間を使った現代美術展やコンサートで知られる渡辺興平氏が、予備実験のために、倉庫の片隅に実寸大の劇場空間を作ってくださった。その舞台の上で私は人工霧を発生させ、気流や対流、温度湿度などの環境条件をシミュレートしながら、乱流と渡り合っている。限られたスペースの中の気象は、微細な刺激にも過敏に反応して、瞬時に戦闘状態の様相を呈する。舞台の床面に霧が蒸着しないようにする手立てなど、ほとんど不可能に近い条件下での演出は、やってもやっても制御にはほど遠い。
 

最近開発された画期的なフォグマシーンがあるのに、なぜそれを使わないのかと聞かれる。ブロードウェイで名を馳せる特殊効果のエキスパートを紹介するからとも言われた。しかしそれらは所詮ケミカルフォグなのだ。私の興味は霧そのもの―。ビジュアル効果だけが目的ではないのだから、と見栄をはって断ってしまった。

風におもねり裏切られ、乱流をモノにして関係性のはざまで表現を試みようとする者には、おのずと身につけた自然に対する作法がある。

トリシャ・ブラウンとの舞台は、1980年と1981年に続いて三度目である。アメリカ西海岸シアトル生まれの彼女が、故郷の海の彼方から立ち寄せてくる霧峰の記憶を印象深く私に語ってくれた時から、協同作業が始まった。「オーパル・ループ」の公演は、今秋ニューヨークで始まり、各地を巡回する。

「霧が立つ」という言葉が私は好きだ。自然まかせ風まかせとはいえ、霧は曖昧でも無秩序でもない。「立つ」という言葉に、境界線を感じる。かたちが見える。際立つ。風が立つ。春が立つ。言葉が立つ。味が立つ。立花。立石。立つは人工=技という意味にも受けとれる。たちまち際限のない自然の一部となってしまう霧をとらえて際立たせる作業を、私は時に「霧の彫刻」と呼ぶ。ニューヨークのステージで、霧は立ってくれるのだろうか。

(編集部注)
トリシャ・ブラウンの公演は、「ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック」で10月1日に始まり、ニューヨーク・タイムズ紙は「見ごたえのあるすばらしい舞台」と大きく報じた。

中谷芙二子(なかや・ふじこ)

札幌生まれ。米国ノースウエスタン大学美術科卒業。日本大学芸術学部講師。70年、大阪万博のペプシ館で人工霧発生装置を用いた作品を発表して以来、芸術と技術の融合、自然と人間の対話を目指し、霧の彫刻を造り続けている。

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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