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Interview

バターとチーズのどちらが好き?
― 線虫の嗅覚研究が教えてくれること

コーネリア・バーグマン Cornelia I. Bargmannカリフォルニア大学サンフランシスコ校医学部準教授
ハワードヒューズ医学財団(HHMI)研究員

嗅覚は、生物の感覚の中でもっとも原始的なものの一つです。
いったい生き物たちは、どのようにして匂いを感じるのでしょうか。
カリフォルニア大学のバーグマン博士は、線虫を使った嗅覚のメカニズムの研究で、世界的に注目を浴びています。
博士によれば、“線虫の嗅覚研究も、いずれ人間の心の問題につながるかもしれない・・・”。

「日本は2回目。前回は京都や奈良を回りました」。バーグマン博士は8月に札幌で行われた日本分子生物学会で招待講演を行うために来日した。札幌の大通り公園で。

―― 食べ物を楽しむにしても、香水をつけるにしても、私たちの生活と匂いは、切っても切れない関係にあります。いったい匂いを感じるというのは、どういうことか。そのメカニズムはどのくらいわかっているのか。今日は、それをお聞きしたいと思います。

バーグマン

嗅覚は、匂いのもととなる化学物質が空気や水の中を拡散し、鼻などの感覚器官にある感覚細胞の表面に達して引き起こされるということは、かなり前からわかっていました。コーヒーの匂いにしても、バターの匂いにしても、空気中を化学物質が飛んでいるのです。ところが、それ以上の詳しい仕組みについては、長い間全然わかっていませんでした。それが、この数年の間に一挙に進み出しています。

小さな線虫の持つ複雑な嗅覚

―― あなたが研究に使っておられる線虫(C.elegans )は、体の構造が単純なことで有名で、現代の生物学では盛んに使われています。しかし、あまりに単純なので嗅覚などほとんどないのでは、と思ってしまうのですが。

バーグマン

確かに線虫の体は単純で、1mmほどの成虫の体に、約1000個の細胞しかありません。その単純さが研究材料として広く使われる理由の一つです。ところがその単純な線虫が、じつに多くの化学物質を嗅ぎ分ける能力を持っています。実験室では普通、直径10cmほどのシャーレに敷いた寒天の上で、まず餌となるバクテリアを増やしておき、そこに線虫を入れて飼います。餌のバクテリアの代わりに、シャーレの一方の端に匂いを出す物質を一滴落とすと、線虫はその物質の匂いが好きならば近づき、嫌いならば、反対に逃げてしまうのです。

―― 線虫は、どんな匂いの物質が好きなのですか。

バーグマン

私たちが実験に使っているのは、主に食品に使われる人工合成された香料です。今までに100種類以上の物質を試しましたが、線虫はその半分以上に反応し、寄っていくか、逃げるかといういずれかの行動を起こすことがわかっています。線虫が好む匂いには、チーズやバターのような匂いのものがあったり、嫌うものには、私たち人間にとっても嫌なものもあったりします。

―― 単純にみえる線虫でも、複雑な嗅覚を持っているのですね。

バーグマン

線虫の仲間には、動植物に寄生するものもいますが、圧倒的多数は、土の中で野菜や果物、肉などの腐敗物を求めて動き回り、そこで増殖しているバクテリアを食べて生きています。そのように土の中を動き回るのに、嗅覚は欠かせないものでしょう。多くの動物にとって、餌を探すにも、交尾相手を探すにも、縄張りを確認するにも、匂いの情報はとても大切です。人間だって、現代の都市生活ではそれがないと生きられないというものではないでしょうが、はるか昔の自然の中での生活には、自分が手にしたものが果たして食べられるものかどうかを見分けるのに、嗅覚からの情報は非常に重要だったはずです。

線虫の感覚器官と感覚細胞

①線虫(C. clegans )の幼虫。写真でははっきりとしないが,顕微鏡をのぞくと細胞のひとつひとつを見分けることができる。 (写真=九州大学・古賀誠人)
②線虫の感覚神経細胞(片側)。色がついた3個が嗅覚をつかさどり,残りの細胞は味と温度を感じる。これらの細胞から伸びる突起の先端が集まって特殊な構造を作り,感覚器官となっている。
(原図=九州大学・森郁恵)
③嗅覚を司る感覚神経細胞の一つ,AWA細胞を実験的に染めたもの。細胞の本体の部分と匂いの感覚を受け取り伝えるための突起が黄緑色に染まっている。
④匂い物質に対する受容体たんぱく質は,感覚細胞の突起の先端にある感覚器官に存在する(矢印)。匂い物質の一つジアセチルに対する受容体たんぱく質を蛍光色素で染めて顕微鏡で見た写真。
 

線虫を使うわけ

―― 線虫を使う理由を、もう少し詳しく説明していただけませんか。

バーグマン

線虫は、多様な生物現象を研究するのに役立つ、多くの利点を持っています。まず、体を構成する細胞を、生きたままで、すべて外から見ることができます。そうして観察することで、細胞の数は全部で959 個、そのうちの302個が神経細胞だということがわかっています。匂いを感じる感覚細胞も、神経細胞の一種なので、それらを含めても302個しかないのです。またイギリスのホワイトたちは、線虫の体を頭から尾まで全部で2万枚のスライス(切片)に切り、電子顕微鏡で観察することで、302個の神経細胞がどの細胞とつながっているかを示した、神経細胞の「地図」を、今から約10年前に完成させています。

⑤オスの線虫の尾の部分の顕微鏡写真。ここにオスしか持たない感覚神経細胞があることがわかっている。ゲノム解析で見つかったsra-1という受容体は,この中の神経細胞で発現している(⑥)。sra-1たんぱく質は,もしかするとフェロモンの受容体かもしれない。 (写真③~⑥=C.I.Bargmann/56=Cell,Vol.83,P.215より)

―― それはすごい。大変な手間のかかる仕事ですね。しかし、その地図は、神経細胞が構造上どうつながっているかを示していて、実際の刺激がどう伝わるかはまた別の話でしょう?

バーグマン

確かにそうです。でも線虫では、特定の細胞をレーザー光線で殺して除くことができるので、302個の神経細胞について一つ一つ実験をしていけば、刺激伝達の全貌が明らかにできるはずです。また線虫では、遺伝学を使い、特定の神経のはたらきが異常になった突然変異体を見つけ、そのはたらきに関わる遺伝子を調べることもできます。この2つを組み合わせられるので、動物が環境からの刺激をどのように処理し、それに対してどう行動するのか、というメカニズムの研究に、線虫は優れたモデル生物なのです。

バーグマン博士は,ゲノムプロジェクトでわかったDNAの配列を調べて,化学物質の受容体と見られるたんぱく質の遺伝子をたくさん見つけた。ここでは,最初に見つかった約50個の遺伝子のゲノム上の位置と向きが示してある。上は第2染色体,下は第3染色体。線の上側には受容体ではないいくつかの遺伝子の位置が示してある。
(Cell,Vol.83,P.208の図を改変)

線虫が匂いを感じる仕組み

―― 具体的に、線虫の嗅覚についてはどのようなことがわかっているのですか。

バーグマン

10年ほど前に線虫の研究を始めたときには、線虫がいろいろな化学物質に対して、近づいたり逃げたりするという程度のことしかわかっていませんでした。そこで私は、先ほど話した2つの方法、つまり、レーザーで細胞を除く方法と遺伝学を使って、どの細胞が匂いを感じるかを調べる仕事を進めてきました。

レーザーを用いた実験の結果、同じ化学物質でも、アルコールなどの揮発性の物質は、線虫の頭部にある感覚器官の中の、主に3個の感覚細胞(神経細胞)が感じ、ナトリウムイオンや塩素イオンなどの水溶性の物質は、別の種類の細胞が感じていることが明らかになりました。人間などの脊椎動物でいえば、前者は匂いに相当し、後者は味に相当します。線虫が、化学物質を認識するのに脊椎動物などと同じ2種類のメカニズムを持つこと自体、驚くべき発見でした。

嗅覚に関しては、さらにおもしろいことがわかってきています。線虫は同じアルコールでも、たとえばブタノールは好み、オクタノールは嫌います。この2つの化学構造はよく似ているのに。細かく調べたところ、ブタノールはAWAという感覚細胞が受容し、オクタノールにはAWBという感覚細胞が受容するのです。つまり、好きな匂いを感じる細胞と、嫌いな匂いを感じる細胞は別であり、それぞれの細胞に、それぞれのアルコールを識別する受容体があるという予想が立ったのです。

―― そうして、最近論文で発表されている、化学物質の受容体たんぱく質の研究につながるのですね。

バーグマン

ええ。それが今、私たちがもっとも力を入れて研究している点です。90年代に入った頃から、ネズミや魚類などを使った研究から、匂いを感じる細胞の表面には、化学物質と結合する受容体たんぱく質があるという予想が立てられるようになっていました。私たちは、線虫にも同じようなたんぱく質があるかもしれないと考え、実験を進めたのです。その結果、一つの感覚細胞におそらくたくさんの受容体たんぱく質があることがわかってきました。線虫で進んでいるゲノムプロジェクトの助けも借りて、新しい受容体たんぱく質の遺伝子が次々と見つかり、今では、200個近くの受容体の候補が見つかっています。

―― 見つかった受容体たんぱく質は、すべて3個の感覚細胞で発現しているのですか?

バーグマン

必ずしもすべてが嗅覚に関係しているわけではありません。しかし、半分ほどは嗅覚や味覚などに関する感覚細胞で発現しており、少なくとも多様な化学物質を特異的に認識して結合する受容体だろうと私たちは考えています。なかには、オスの線虫の尾のあたりにある神経細胞で発現しているものもあり、フェロモンの受容体かもしれないと考えています。

じつは、こういった線虫の受容体の場合でも、脊椎動物の受容体の場合でも、それらがなんらかの化学物質に結合する受容体であることは、あくまでたんぱく質の構造や発現部位などを見て立てられた予想にすぎません。つまり、どの化学物質がどの受容体に結合するかは、まだほとんどわかっていないのです。そんな状況の中、最近私たちは線虫で、ジアセチルというバターに似た匂いの物質が結合すると思われる受容体たんぱく質を、同定することに成功しました。同様のことがもっと多くの化学物質と受容体についてわかるようになれば、感覚細胞からの刺激が他の神経細胞に伝わって処理される機構についても、詳しい研究を進めることができるようになるでしょう。

線虫の研究から人間の心も見えてくる?

―― 線虫の研究のおもしろさはわかりましたが、はたして線虫を理解することで、どこまで他の動物を理解できるのでしょうか。

バーグマン

人間の鼻の中には、匂いを感じる感覚細胞だけで、 1000万個もあることがわかっています。嗅覚の仕組みを理解するためには、そこから脳へどのように情報が伝わり処理されるかを理解しなくてはなりませんが、それについては、まだ全然わかっていません。哺乳類での研究は、複雑なシステムを相手にするために、おそらく大変な作業になるでしょう。

線虫は、あくまで私たち人間と同じ動物です。進化の歴史を考えれば、線虫と人間には共通の部分もたくさんあるはずで、たとえば、筋肉を動かすために神経が出す物質(神経伝達物質。具体的にはアセチルコリンやGABAなど)は、線虫と人間で同じだということがすでにわかっています。

そこで、私たちは、まず線虫を使って動物の嗅覚のはたらき方についての仮説を立て、それを他の動物でテストすればよいのではないかと考えています。たとえば、線虫では、匂いを感じる細胞は、好きな匂いを感じる細胞と嫌いな匂いを感じる細胞の2通りがあることがわかりました。では、同じことは哺乳類でも見られるのでしょうか。ネズミは、生まれてから一度も嗅いだことがなくても、ピーナッツバターの匂いを好み、ネコの匂いを嫌います。それらに対応する感覚細胞が、生まれつきあるのでしょうか。このような「作業仮説」を立てるのに、線虫はきっと役立つに違いありません。

―― 線虫の感覚の研究が、人間の理解にもつながるとしても、神経系のもっと複雑なはたらき、たとえば記憶や意識の問題の理解には役立たないのではないでしょうか。

バーグマン

心理学の研究から、匂いと記憶、とくに感情的な記憶は非常に関係が深いことがわかっています。はるか昔の楽しい思い出があったら、そのときに経験した匂いは、その思い出とともに一生涯記憶されるでしょう。線虫にも、非常に原始的なものですが、匂いを記憶する機構があるのではないかと思わせる実験結果が出ています。匂いがどのように記憶されるかを調べていけば、いずれは、人間の記憶や感情のメカニズムにも迫れるようになるかもしれません。

(聞き手/本誌・加藤和人,協力/九州大学・森郁恵)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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