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生命誌ジャーナル

<100号テーマ>

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RESEARCH 01生命誌研究のこれまでと今

ゲノムに進化の向きを見出し、
物理法則で説明したい

小田広樹(ハエとクモ、そしてヒトの祖先を知ろうラボ)

球形の卵の中で、対称性を破る細胞の動きと細胞の話し合いで形づくられるオオヒメグモ。ゲノムの解析をもとに、細胞が話し合うしくみや細胞をつなぐ構造に進化の向きを知る手がかりを見出しています。動物進化の向きを物理法則に基づいて説明できるようになることが究極の課題です。

1. 私を感動させる世界

1999年頃、動物は細胞レベルでも違うのではないかと考え始めました。そこで、近所の草むらや釣具店、ペットショップ、市場に行って、手当たり次第生きもの(バッタやエビ、ミミズなど)を集めて遺伝子を解析しようとしました。しかし、RNAの精製に適した組織を採取することすら難しく実験になりませんでした。そんな時に研究者仲間から教えてもらったのがオオヒメグモです。大学や公園の建物で簡単に見つけることができました。ラボでも簡単に卵を産んでくれました。それも、一度にたくさんの卵を。RNAの精製も簡単でした。実はそれよりも、実体顕微鏡でその卵の中の胚を見たときの驚きが強烈でした。それまで冷ややかに私の“変わった行動”を傍観していた同僚の秋山さんもこのときは違いました。対称な球状の卵から細胞の動きで軸が生まれ、その軸に対する対称性がさらに次の細胞の動きで破れ、2つの軸が生み出されその軸が前後軸と背腹軸を生み出す<図1>。母親から生み落とされた時点で前後軸と背腹軸がはっきりと形に現れているショウジョウバエの卵とは大きな違いでした。対称性を破る現象を顕微鏡下で直接観察できる、その事実に秋山さんと私は感動を共有しました。この感動をきっかけに秋山さんはオオヒメグモの発生研究を始め、実験系を確立しました。研究を進めると、ショウジョウバエとは異なる、節足動物の別の世界がいろいろと見えてきました<図2><論文1>

図1

最初は外見上全く対称な球形だった卵が、細胞の動きでその対称性が破れひとつの軸が見えてくる。そして、その軸を中心とした対称性がさらに別の細胞の動きで破れ、2つの軸、前後軸と背腹軸、の向きがわかるようになる。このようにして順々に非対称性を獲得していく瞬間が直接細胞の動きとして見えるのが感動的だ。

図2

オオヒメグモの頭部体節形成に見られる遺伝子発現のダイナミクス。将来の頭部の体節を反映した遺伝子発現の反復縞パターンは、一つの縞状の遺伝子発現の波が繰り返し前後に分裂することで作られている。長方形部分に注目すると、0h時点で1つだった波は6h時点で2つに分かれ、10hでは3つに分かれている様子がわかる。

<論文1>

Masaki Kanayama, Yasuko Akiyama-Oda, Osamu Nishimura, Hiroshi Tarui, Kiyokazu Agata and Hiroki Oda (2011)
Travelling and splitting of a wave of hedgehog expression involved in spider-head segmentation Nature Communications 2, 500.


節足動物の形づくりにとって重要な体節形成の新しい様式を発見した。多数の体節を同時に作るショウジョウバエ型や、同期的振動で体節を作る波を前方に次から次に送り出す脊椎動物型とは異なり、オオヒメグモの頭部では遺伝子発現の波が繰り返し分裂して体節形成を行うしくみが存在した。オオヒメグモでも胸部領域や後体部領域では、ショウジョウバエ型や脊椎動物型に類似したしくみがありそうだ。多様な体節形成のしくみがどのような祖先から誕生したのか? 節足動物と脊椎動物の共通祖先はそれぞれの現在の体節につながる繰り返し構造を持っていたのか? この発見をきっかけに動物進化の謎にせまっている。

 

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2. オオヒメグモに観せられて

オオヒメグモを研究対象にし始めた2000年頃は、遺伝子機能を調べて分子的しくみを解明することが求められる時代でした。もともとショウジョウバエで研究をしていた私たちはそういう時代の流れを百も承知でモデル生物ではないオオヒメグモで研究を始めたのです。秋山さんは、最初はただ染色して眺めていることしかできず、もどかしい思いを抱えていました。そんな状況を打開したいと彼女が取り組んだのがRNA干渉でした。秋山さん(当時、さきがけ研究員)は試験管で作ったsogという遺伝子の二本鎖RNAを母親グモのお腹に繰り返し注射して産まれてくる卵の様子を観察し続けました。注射して2週間ぐらいしてから、諦めかけたときに、脚の生え方に異常が現れたのです<論文2><図3>。オオヒメグモという生きものがモデル生物の仲間入りをした瞬間です。オオヒメグモを研究対象にすることは私たちにとって新しい冒険でした。なぜ人は冒険をできるのか時々考えます。無我夢中になること、時間と体力があること、他人に依存しないこと、周りが寛容なこと、理由はいろいろあります。結果が出て初めて、やったことの正当性を示せるのが研究です。私たちのRNA干渉の成果が出てすぐに、他のクモを使っていた海外の研究者の多くがオオヒメグモに移りました。新しい技術を実現し、結果を示すことで世界が動く。今では、「なぜこの動物がモデル生物になっていなかったのか?」と思うほど、オオヒメグモのポテンシャルの高さに日々驚かされています。研究室では次の技術の実現に試行錯誤が続きます<図4>

<論文2>

Akiyama-Oda, Y. and Oda, H. (2006)
Axis specification in the spider embryo: dpp is required for radial-to-bilateral symmetry transformation and sog for ventral patterning. Development 133, 2347-2357.


RNA干渉を利用した遺伝子機能解析によって、オオヒメグモの胚が発生の過程で放射相称形から左右相称形へと転換するしくみを明らかにすることができた。大量の卵を定期的に同時に産むなどオオヒメグモがもつ特性と、母親から効かせられるRNA干渉が組み合わさったことで、オオヒメグモが有力なモデル生物として世界に名乗りを上げた研究でもある。

図3

RNA干渉によって発生異常を起こしたオオヒメグモ胚の画像。sogという遺伝子をRNA干渉によってはたらかなくさせることで、各体節の肢芽の形成に異常が起こった(左図)。実験を行ったのは秋山さん。母親グモのお腹に試験管で作ったsogの二本鎖RNAを注入して、卵への影響を見る初めての実験であった。そのとき私は中国に出張中だった。秋山さんから「何か起こってるみたい!」と電話を受けた。そんなことがあるのかと思ったことを覚えている。オオヒメグモは一度に200-300個の卵を産むが、全ての卵に表現型が現れていた。オオヒメグモの可能性を感じた瞬間であった。

図4

オオヒメグモを使っての様々な研究。
(左)胚を染色し、多数の光学切片を取得して3次元画像として解析を行う。細胞核や細胞接着関連分子、複数種類の遺伝子産物を4色の蛍光色素で染め分けている。当研究室はオオヒメグモでの蛍光多重染色に世界で最初に成功している。
(右)オオヒメグモ胚の狙った領域にレーザーを照射して細胞を熱殺しているところ。細胞が死んだ領域を作ることで、胚の中で起こる細胞のコミュニケーションを妨げる実験を行っている。レーザーを当てる領域の取り方によっては、からだの軸が重複してできてくることがある。

 

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3. 失うことの重要性

私が生きものに感じる面白さの根源は、多様性にあります。多様性は進化によって生み出されます。一般に、進化とは世代を経て何かを獲得することだと思われがちですが、私たちはカドヘリン(細胞間接着分子)の研究から何かを獲得するだけでなく、失うことも多様化に大きく貢献していると考えるようになりました<論文3>。カドヘリン分子は、類似した球状の領域が数珠状に連なった構造を持っており、この数珠状に連なった構造単位の数が動物によって、またはカドヘリンのタイプによって大きく異なっています。アミノ酸配列の比較解析から、もともと長かった状態のものが進化の過程でいくつかの系統で独立に短くなったことを示すことができました。カドヘリンは形態形成に直接はたらく分子であり、そのカドヘリンには形態形成を引き起こす力が掛かります。まさにその力の掛かる構造に多様性があるのです。そこで、形態進化と物理の接点がカドヘリンにあるのではないかと考え始めています。カドヘリンが「長い状態」から「短い状態」に進化した過程を、偶然として捉えるのではなく、物理法則に基づいて理解できるのではないかと考えています。熱い湯が必ず冷めるように、普遍的な物理法則が生きものの進化を方向づけていても不思議ではありません。また、遺伝情報の一部を失うことは、生きものにとって比較的簡単な進化のトライアルではないかという見方もできます。ある遺伝情報を失っても生きられるのであればその状態のまま前へ進む。この方向の変化は後戻りができず、動物進化全体に大きく影響をもたらした可能性があると考えています。生きものにとって、失うことが新たな選択肢を探すチャンスになったと、見ることができるかもしれません。現在、ナノレベルの構造解析からカドヘリンの構造進化の意味を探究しています。

<論文3>

"Oda, H., Tagawa, K. and Akiyama-Oda, Y. (2005)
Diversification of epithelial adherens junctions with independent reductive changes in cadherin form: identification of potential molecular synapomorphies among bilaterians. Evolution & Development 7, 377-390."


多細胞動物に見られるカドヘリン分子(細胞間接着分子)の多様化プロセスを説明した論文。先祖型のカドヘリンが非常に長い分子であること、それが独立に短くなることによって少なくとも3つの派生型(昆虫型・脊椎型・頭索型)が生まれたことが遺伝子の比較解析によって結論付けられた。この研究は単なる分子進化の研究の一例として捉えるべきものではない。カドヘリンは形態形成に必須の細胞間接着構造体を構成している。個々の細胞が生み出した力がカドヘリンに加わって、調和のとれた組織として振る舞うことができ、形態形成を引き起こすことができる。形態形成を引き起こす力が作用する構造体に動物系統による大きな違いが存在していることになる。この違いが何を意味するのか?「長い状態」から「短い状態」への進化が細胞に何をもたらしたのか? 今後の研究で解明したい謎である。

 

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4. 進化の向きを知りたい

私は将来、細胞をバーチャルにコンピュータの中にいれて多細胞体として動かしたいと考えています。多細胞動物の細胞の性質を実現する最少の要素を抽出してコンピュータ内に再構成したいのです。その最少の要素には、カドヘリンを介した細胞間接着のしくみやシグナル分子を介した細胞間のコミュニケーション、細胞分化を担う遺伝子の制御ネットワークが含まれます<図5>。複雑な情報を与えなくても、要素内、要素間の関係性だけをしくんでおけば、自発的に縞パターンや体軸などの秩序が生み出されてくることを期待しています。節足動物をバーチャルな生きものとして、複雑な初期情報なしに誕生させられるのではないかと思い描いています。ひとたびそのようなバーチャルな生きものを誕生させられれば、その仮想のゲノムに人為的に変異を導入することでその生きものを進化の実験場として使えるのではないか。そして、最初に誕生したしくみがどのように進化しうるか、つまり進化の向きを検証できるようになるのではないかと考えています。そのような研究の将来像を描いたとき、オオヒメグモは優れたモデル生物です。数学的に扱いやすいパターン形成の細胞場を提供してくれます。現在、その将来像に向かってこつこつと定量性のある情報を集めているところです<論文4>

図5

多細胞動物がもつゲノムの主要な要素とそれらの関係性をコンピュータに組み込むことで、動物特有の多細胞体の振る舞いをコンピュータ上で再現しようとしている。ゲノム要素の関係性の中で、多細胞体を構成する個々の細胞が刻々とどのような反応をするのかを把握することが必要である。そのために、1細胞単位のデータを取ることも重要となっている。

<論文4>

Natsuki Hemmi, Yasuko Akiyama-Oda, Koichi Fujimoto, and Hiroki Oda(2018)
A quantitative study of the diversity of stripe-forming processes in an arthropod Developmental Biology, 437(2):84-104 DOI: 10.1016/j.ydbio.2018.03.001


節足動物に見られる反復縞パターン(体節)の形成プロセスを定量的に解析した論文。オオヒメグモが同時に多くの卵を産む特性を利用して、2時間おきに少しずつ20時間にわたって固定した兄弟胚を染色し、遺伝子発現が変化して行く過程を再構成した。胚の染色は蛍光色素を用いており、遺伝子発現の強さとパターンを数値データとして取得した。この数値データの解析によって、胚の伸長スピードや縞パターンの形成にかかる時間を概算することができた。クモ胚の縞パターン形成現象をコンピュータで再現するための基礎となるデータである。

編集:JT生命誌研究館 表現を通して生きものを考えるセクター 中井彩香

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