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RESEARCH & PERSPECTIVE サルの中のヒト・言語をもった人間

歴誌を見つめて―中立進化からヤポネシアまで

斎藤成也

国立遺伝学研究所 集団遺伝研究室教授

縄文人から現代人、そして哺乳類まで、数多くの生きもののゲノムを研究する斎藤成也先生にお話を伺いました。生きものの多様な形はどうやって生まれるのか、私たちはどうやって進化してきたのか、日本列島の人々はどんな集団なのか―偶然を大切にする「中立進化」をベースに、さまざまな問いを追究してきた先生のお話から、生きものとしてのヒトと、言葉をもつ人間という私たちの二つの側面が浮かび上がります。

1. 偶然の発展が歴誌である

高校生の頃読んだ進化の本はどれも、「生物は環境に適応しやすいものが選ばれてきた」とあり、話がうますぎると思っていました。そんな時、木村資生先生が提唱する「中立進化論」に出会ったのです。木村先生は、DNAの突然変異の大部分は個体の生存に有利にも不利にもならない「中立」なものだと考え、分子レベルの進化の大半は、こうした中立な突然変異が偶然集団に広まった結果だとしました。進化には偶然の要素が関わっているはずだと感じていた大学生の私は、ひとめぼれでした。

この理論に導かれてアメリカのテキサス大学に留学し、根井正利教授の研究室で「近隣結合法」という解析法を開発しました。DNA分子間の進化距離や生物集団間の進化距離に着目し、そこから系統関係を推定する方法です。1980年代に開発した解析法ですが、膨大なDNAデータからきわめて短時間で妥当な進化系統樹を描く方法として、現在でもひろく世界中で使われています。

今では私が日本で最も極端な中立進化論者です。中立進化は、私にとっては当たり前ですね。すべてにおいて偶然が大切なのです。宇宙だって量子ゆらぎから生じたものであることを考えると、人間、生命、宇宙はすべて偶然の発展としてつながってくる。自然を知るには、偶然の積み重ねとしての歴史を客観的に記すことが大事だというのが、私の一貫した考えです。とくに人間の文字記録としての「歴史」だけでなく、宇宙と生命の歴史を包括して考えたいという思いから、私はhistoryを「歴誌」と表現します。これは生命誌と重なるところがありますね。分子系統樹はまさに、偶然から発展した生きものの歴誌を表すものであり、ゲノムにその道すじが刻まれているということなのです。

2. 進化学のパラダイムシフト

ダーウィンが偉大だったのは進化を目的論でとらえなかったことであり、突然変異による多様化を起点に進化を考えたことにあります。しかし同時に、突然変異に続くプロセスとして自然淘汰を主張したために、集団に固定するのは生存に有利な変異のみだという思い込みが広まることにもなりました。後のネオ・ダーウィニズム(註1)につながる、自然淘汰を万能とみなす一種の神話ができあがってしまったのです。中立進化論の登場は、まさに進化学のパラダイムシフトでした。20世紀の新しい分子データをふまえ、自然淘汰を万能とする見方から偶然を大事にする見方へと、進化の考え方を大きく転換させたのです。

中立進化論が発表されてしばらくの間は、欧米の科学者を中心に痛烈な批判がありました。これは個人的な考えですが、物事は運命的にきまっていくとする西洋的な世界観は、偶然を嫌うところがあるのかもしれません。偶然という概念が受け入れられやすく、自由な発想ができる日本は、中立進化論と相性がよかったのではないでしょうか。

現在は遺伝子の進化速度から、中立進化であるかどうかを客観的に判断する方法が確立しています。古典的な方法は遺伝子の同義置換と非同義置換(註2)の速さを比べるというもので、両者が同程度の速さで起こっている場合は中立だといえます。ゲノム解析が進んだここ10年では、ゲノム全体の突然変異率からより正確な判断ができるようになっています。ヒトの突然変異率は1塩基・1世代あたり2.1×10-8という具体的な推定値な推定値が出ている。これはつまり、1世代につきゲノム全体の60箇所程度に突然変異が生じることを意味しており、遺伝子の変化率がこの突然変異率と同じくらいであれば、中立な変化だと判断できます。このような分子レベルの解析が進むにつれ、ゲノムに生じる突然変異の大部分は中立であることが確かめられるようになり、現在では中立進化論はひろく認められています。

それでも自然淘汰は現象としては興味深いですから、研究者の関心がそちらに向くのも無理はありません。学術雑誌を見ると、今も自然淘汰が関わる遺伝子の論文ばかりが並んでいます。イヌがヒトに噛みついてもニュースにはなりませんが、反対にヒトがイヌに噛みつくとニュースになるのと同じで、淘汰は稀なだけに見つかれば論文になりますし、おもしろいので大きく取り上げられるわけです。しかしゲノム全体でみるとそのような遺伝子はごく一部であり、ゲノムそのものは自然淘汰とは無関係に、偶然の作用によって変化し続けるということを忘れてはなりません。

3. 形はゲノムから生まれる

DNAレベルにおいては、中立進化論はひろく認められています。一方で、生物の形態や行動など、肉眼で見えるレベルの形質については、自然淘汰を受けて進化したと考える研究者が非常に多い。たとえばクリのイガは自然淘汰の結果であると、当然のように考えられています。しかしどんなに特徴的な形でも、その始まりは突然変異という偶然なのです。その形質に関わる遺伝子がわからない限り、それが中立に生じたのか、自然淘汰を受けてきたのか、客観的に判断することはできません。私は眼に見える形質の中にも、中立に生じてきたものが多数あると予想しています。ダーウィンの唱えた性淘汰(註3)などは、人間の観念的なものに過ぎないとさえ思うのです。

ただしゲノムの配列が、形態や行動とどのように関係しているのかは、まだほとんどわかっていないのが現状です。発生学者たちは実験によってそれを探っていますが、私たちは配列情報をコンピュータで解析することで、ゲノムと形の関係を明らかにしたい。名古屋学院大学の今村薫教授の研究グループに参加して、カザフスタンと共同で研究しているのが、ヒトコブラクダとフタコブラクダです。おもしろいことに、両種を交配して生まれたラクダは遠くから見るとヒトコブですが、近くで見ると富士山のようなフタコブ形になる。両親のコブの形状が、子どもの中でみごとに重なるのです。この雑種のゲノムから、ラクダのコブの数や形といった形態的特徴を決めるゲノム領域を特定しようと、コンピュータ解析をすすめているところです。

ジュゴンのゲノム解読にもとりくんでいます。ジュゴンと3000万年前に分岐したマナティーのゲノムは既に分かっていますから、両者のゲノムを比較することでヒレという形態の進化が明らかになるかもしれません。また、ジュゴンとマナティーはゾウと同じアフロテリア(註4)のグループに含まれますが、同様にヒレをもつクジラとイルカは、ウシやカバと同じ鯨偶蹄類(註5)のグループに含まれます。異なる系統の哺乳類が独立にヒレを進化させていることから、それぞれのゲノム中に、ヒレが生じるきっかけとなる共通の領域が見つかるのではないかと期待しています。

ほかにもカピバラ、ムササビなど、哺乳類の中でも特徴的な形態をもつ生きもののゲノム解析にとりくんでいます。最終的にはヒトという種の進化を理解したいのです。脳のような複雑な形が生まれるしくみは、ヒトだけ見ていてもわかりませんから、泥くさいやり方かもしれませんが、哺乳類のゲノムが多様な形態を生み出すしくみを知ることで、そこに少しでも近づきたいのです。

4. ヒトは地球をどう動いたか

2003年にヒトゲノムの解読が完了し、世界中のヒト同士の大規模な遺伝子の比較が可能になりました。今ではゲノム解読のコストが大幅に下がり、日本で千人単位、世界では万人単位で解読が進んでいます。全ゲノム情報が決定された人数は、今年中に世界で100万人を超えるでしょう。ゲノムからヒトの多様性が明らかになり、人類集団のとらえ方も変わってきています。

モンゴロイドやコーカソイドといった、形態的特徴に基づく分類はもう使われません。替わりにウエストユーラシアン、イーストユーラシアン、アフリカン、アメリカンといった、大陸名に基づく呼び方が標準になっています。これは1995年に私が初めて提唱したもので、内心誇らしく思っていますね。人類集団を、地理的な広がりによって形成されたものとみなすのが一般的になっているということです。

これまで日本人は、縄文時代以来の土着の人々と、弥生時代に大陸から渡来し、稲作を伝えた人々の混血によって成立したと考えられてきました。渡来人と出会う機会の少なかった北海道と沖縄の人々は、縄文時代以来の遺伝的要素を色濃く残していると考えられます。この考え方は、日本人を縄文と弥生の二つの要素から説明するため「二重構造説」と呼ばれますが、その始まりは1911年にドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツが発表した「アイヌ-沖縄同系説」です。私たちのグループは2012年に、分子系統の手法によってこの説を裏付けることに成功しました。ちょうど101年の時を経て、ベルツの仮説をゲノムデータで証明したことになります。

同時に化石の人骨の古代DNA解析の技術も発展しています。私たちのグループでは大学院生だった神澤秀明さんが縄文人の古代DNA解析に成功しており、昨年、礼文島の船泊遺跡から出土した縄文人の歯から、ほぼ全てのゲノム配列が得られました。つまり現代人と同じくらい精度の高いデータ解析が可能になったのです。これによると現代の東京の人は10%前後、アイヌの人は66%前後、沖縄の人は27%前後の割合で、縄文人からゲノム配列を受け継いでいることがわかりました。

北海道・沖縄以外の人々も、遺伝的には決して均一ではないのです。少なくとも私たちが調べた出雲や薩摩などの地域では明確な違いが見られました。これを知ったきっかけは「東京いずもふるさと会」という出雲地方の出身者の団体からDNA解析の話をいただいたことです。出雲は朝鮮半島に近いのでDNA上でも両者が近づくと予想していたのですが、意外にもそうではなく、地理的に離れた東北地方の集団がもっとも近かったのです。

私はこの現象を「うちなる二重構造」で説明できるのではないかと考えています。つまりアイヌ-沖縄という離れた集団が縄文の遺伝的な要素によってつながるのと同じで、海外の人との接触が少なく古来のゲノムが多く残っている地域は、離れていても遺伝的な共通性がみられるのではないか。特に島や半島、海岸沿いの突端部など、地形的に人の行き来が少なかった地域には、古い時代のゲノムがより多い割合で受け継がれているかもしれません。そこで、日本各地の地域集団の遺伝的な特徴をもっと知りたいのです。いまさまざまなグループが各地の人々のDNA解析を進めていますが、私たちも今年中に伊豆半島と佐渡島、隠岐島の方にDNAサンプルの提供をお願いしにいく予定です。

さらに言えば、地域による遺伝的な違いが、顔立ちのほんの少しの違いとして現れている可能性がある。顔立ちに関わる遺伝子は非常にたくさんあることがわかっていますから、突然変異によるわずかな遺伝子配列の変化が、頬骨の高さや頭蓋骨の形などに現れてもおかしくありません。こうした変化は、淘汰ではなくあくまで中立に生じてくるものなので、地域の平均的な顔立ちにたまたま偏りが生じることは十分にあり得ます。日本の島や半島部の調査に関連して、たとえば彫の深い顔立ちと縄文人の遺伝的な要素との関係性がわかれば興味深いですね。顔立ちとゲノムの関係はまだわかっていないことが多いですから、日本での研究から新しい発見ができたらと期待しています。

以前、論文で日本人の集団の比較対象として朝鮮半島の人々のデータを示したところ、インターネット上で一部の人から、けしからんと批判を浴びたことがあります。そもそも日本列島の集団は周囲との人の行き来の上に成立しているのであり、お隣であればつながりがあって当然でしょうと言いたいですね。このように極端でないにしても、「日本人」というと多くの人が国籍や国境に限定された集団を思い浮かべてしまいます。現代の政治的な枠組みに囚われずに日本を考えたいという思いで、私たちは日本列島を「ヤポネシア」と呼ぶことにしました。「ヤポ」は「日本」、「ネシア」は「列島」を指すラテン語です。日本を島々の連なりからとらえるものとして、奄美大島に長く住んだ作家の島尾敏雄(註6)さんが提唱したものです。2018年にはゲノムを軸にヤポネシア人の歴誌を探る「ヤポネシアゲノムプロジェクト」を立ち上げました。言語学や考古学など、文理問わずさまざまな分野の研究者と協力して、新しい歴誌学を確立することをめざしています。

5. 言語と分子の変遷から

ヒトの進化を知りたいというとりくみの中で、言語には昔から関心をもっていました。言語学の分野では古くから、言語の類似性をもとに系統関係を推定するという、進化系統樹と同じ論理構造が存在していました。ダーウィンは人間の遺伝的系統関係と言語の系統関係が相関するだろうと言っているそうです。ただ両者の変遷は必ずしもぴったり重なるわけではありません。遺伝的な混血とは異なり、二つの言語が出会ったとき、両者が均等に混ざり合うことはまずありえない。そこには文化的・政治的な力関係や断絶といった、人類集団に特有の出来事が反映されるはずです。だからこそ言語の系統樹と分子の系統樹を比べることが、歴誌をよりよく知るための鍵になるのです。

近隣結合法はDNA配列のデータから系統樹を描く方法ですが、配列を言語のデータに置き換えて言語の系統樹を書くこともできます。こうした解析で日本とその周辺の言語を比較してみると、アイヌ語は日本語とも中国語とも異なる位置にきますが、現在の琉球語は日本語に近いのです。DNA解析からはアイヌと沖縄は近いとされているのに、沖縄にはアイヌ語のような独自の言葉がありません。ここに失われた沖縄の古語があるかもしれないのです。なくなった背景には、大和朝廷の影響があったと考えざるを得ません。現在の琉球語には日本語の変形では説明できない不思議な単語や地名がたくさん残っていますから、そこから失われた言語を発見したい。言語学は伝統的に数量的な研究を嫌う傾向がありましたが、最近は研究者もすこし様変わりしてきており、ヤポネシアゲノムのプロジェクトでは、沖縄言語研究センターの狩俣繁久先生と生物学のポスドクが一緒になって、いろいろなソフトウエアを使って言語データを解析しています。

日本語そのものの起源はもっと大きな謎です。もし稲作と一緒に伝わったなら、大陸の農耕民の間に日本語と祖先を同じくする言語が残っているはずですが、それは見つかっていません。日本語は稲作よりずっと古くに来ていたのではないかというのが、私の仮説です。ちょうど本州・九州の人々のDNA解析から、稲作が渡来した前後に2回、人間の渡来があった可能性が浮かび上がりました。それらの集団の発祥地かもしれない地域に残る地名から日本語との共通点を探り、彼らが日本語の形成に果たした役割を探っています。加えて、現代人のDNAも古代DNAもどんどん新しいデータが出ていますから、人々のゲノムからも日本語の起源に迫れるのではないかと楽しみにしています。

6. 歴誌の探究は続く

日本の文献にイチョウの記録が出てくるのは室町時代以降だから、源公暁(註7)が大イチョウの陰から飛び出して実朝を討ったという史実は誤りだという研究者がいるそうです。私にしてみればそんなはずはない。生物学的に見れば、氷河期の生き残りであるイチョウは室町時代のずっと前からあってもおかしくないのです。でも歴史学では文献に記載されている年代が最も古いと判断せざるをえません。ゲノムなら今いる生きものから過去の情報を得ることができますから、現在の歴史学や考古学で届かない年代を補完することができるはずです。ヤポネシアのプロジェクトではヒトのゲノム解析に加え、人間に身近な動植物のゲノム解析も始めています。たとえばアズキやヒョウタン、ハツカネズミやイヌなど。ゲノムからヒトと動植物の関わりが見えれば、ヤポネシアのさまざまな時代における、人々の暮らしが見えてくるでしょう。

かつて、人類がアメリカ大陸へ渡った際、ベーリング海峡のどこを通ったかが議論になっていました。多くの人が「無氷回廊」と呼ばれる氷のないわずかな内陸の道をたどったと主張し、誰もが陸しか見ていなかった。ところが私はふと地図を見て、「魚をとれば生きられるから、海沿いも行けるじゃないか」と言ったのです。その時は相手にされませんでしたが、後の検証でそれが正しいことがわかりました。最初はふとした瞬間に浮かんだ突飛な発想であっても、それが後に仮説に変わり、さらに事実になることがある。自然科学は一人ひとりの発想が大切なのです。そうした仮説の種を求めて、私はいつもあれこれ妄想していますよ。

私は歴誌を知ることで、自分自身を知りたいと思ってきました。誰もが偶然から生まれてきたものでありながら、私は私だという自意識をそれぞれにもっている。どうやってそれが生じてくるのかに興味があるのです。一方で自分は一貫した虚無主義者だとも思っていて、結局この世は笑って過ごせばいいのだとも考えています。人間だって「生物」、つまり「物」質なわけで、あの世を考えることには意味がないと思いますね。もちろん宗教は否定派です。しかし否定するためには、宗教とそれを生み出す人間の歴誌をよく知らなくてはなりません。また自然科学そのものが、ルネッサンス以降の発展により宗教的な世界観を否定してきたという経緯がある。それでも生きていくうえで世界観は必要であり、自然科学が解き明かしてきた世界そのものが、新しい世界観につながっていくのではないでしょうか。科学はそれを示す必要があると思うのです。

私はゲノムに込められた情報を大切に、これからも歴誌を描いていきます。

註1:ネオ・ダーウィニズム この場合は、20世紀初頭から発展しはじめた遺伝学、とくに集団遺伝学の知見から進化を説明しようとした一連の学説を指す。ダーウィン進化論の自然淘汰の局面を強調したことからこのように呼ばれる。「進化の新総合説」とも。
註2:同義置換と非同義置換 遺伝子に生じる突然変異には、アミノ酸の変異を伴う場合と伴わない場合があり、前者を非同義置換、後者を同義置換と呼ぶ。アミノ酸の変異を伴う非同義置換は遺伝子の機能を変化させる可能性が高く、その変化が個体の生存上不利となる場合は淘汰を受けることから、非同義置換の進化速度が同義置換よりも遅くなる。反対に、非同義置換の速度が同義置換の速度を上回る遺伝子も存在する。
註3:性淘汰 異性をめぐる競争においてみられる淘汰。オスにしか見られない大きなツノや羽根など、個体の生存には不要もしくは不利にみえる形質を説明する概念として、ダーウィンが提唱した。
註4:アフロテリア アフリカ獣上目とも。ゾウやツチブタなどアフリカに生息する哺乳類に、ジュゴンとマナティーをあわせたグループ。中生代にアフリカ大陸に隔離された祖先から多様化したグループと考えられている。
註5:鯨偶蹄類 ウシ、ウマ、カバ、ブタなど偶数の蹄をもつ哺乳類とイルカ・クジラをあわせたグループ。中生代にローラシア大陸(現在のユーラシア大陸と北米大陸からなる超大陸)に進入した祖先から多様化したグループ(ローラシア獣上目)の一つと考えられている。
註6:島尾敏雄 (1917-1986)神奈川県生まれ。海軍の特攻隊指揮官として奄美で終戦をむかえる。戦争体験をえがいた『出孤島記』、超現実的な『夢の中での日常』などで新しい文学の旗手となる。代表作『死の棘』。
註7:源公暁 (1200-1219)鎌倉幕府の2代将軍・源頼家の子。叔父である源実朝を父の仇と信じ、鶴岡八幡宮の境内で実朝を暗殺したとされる。

写真:大西成明

斎藤成也 (さいとう・なるや)

1957年福井県生まれ。専攻は人類進化学、ゲノム進化学。東京大学理学部生物学科卒業、テキサス大学ヒューストン校大学院修了。東京大学理学部助手などを経て国立遺伝学研究所教授、総合研究大学院大学教授(兼任)。04年木原記念財団学術賞を受賞。13年公益信託進化学振興木村資生基金より木村賞。

とびらの写真の頭骨は、琉球大学と共同で調べた自身の頭骨のCTスキャンのデータを、教え子達が3Dプリンタで立体にし、還暦のお祝いに贈ってくれたもの。

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