季刊誌「生命誌」通 巻7号 
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寄生植物の進化の系譜
ラフレシア発見譚:植村好延
 直系1mを超えることもある巨大な花を咲かせるラフレシアは、奇怪な花の代表とされる。ぼってりとした肉質の赤い花は血や肉を思い起こすことから「植物のドラキュラ、吸血花」などというとんでもない名前がたてまつられることもある。でも、寄生植物ではあっても、ラフレシアは「吸血鬼」ではない。

ロバート・ブラウンによる手彩色図版
ロバート・ブラウンによる手彩色図版
 世界最大の花ラフレシアは、シンガポールの建設者として、あるいは『ジャワ誌』の著者としても知られるラッフルズ卿によって発見された。当時、東インド会社の派遣したスマトラ・ベンクーレンの副総督として赴任していたラッフルズは、1818年7月、博物学者アーノルドらとスマトラ内陸部への探検調査を試みた。ベンクーレンの南、マンナからマンナ川を遡って2日目のことだった。現地の人の知らせにかけつけてみると、森林の中に巨大な花が咲いていたのだ。
 ラッフルズとアーノルドは、この奇異な植物を詳細に計測、描画して記録し、その標本と描画を東インド会社付属博物館のホースフィールドに託した。 彼はジャワおよび近隣地域の動物学調査誌の著者として知られる人物である。この記録はロンドンに持ち帰られ、植物学者ブラウンによってさらに研究され、1882年見事な手彩 色図版を伴ってリンネ学会に発表された。

トーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿
【トーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿】(1781〜1826)
(c)Zoological Society of London

 本来ならば、アーノルドが研究発表する栄誉を得るはずだったが、不幸なことに、彼はこの探検調査旅行中、ラフレシアの発見からいく日もたたないうちに熱病で倒れ、生きてベンクーレンに戻ることはなかった。しかし、二人の名は、その学名にラフレシア・アーノルディとして残され、栄誉を留めている。
 ラッフルズの自然科学へのあくなき探究は、その後も精力的に続けられ、収集品はそのつど本国へ送られていたが、集大成というべきものは、ベンクーレンから帰国の途につくさいに積み込んだフェーム号の炎上により灰燼に帰してしまった。歴史に仮定は許されないが、アーノルドが長生きして活躍していれば、ラッフルズの収集品が無事であったならば、博物学上の業績は計り知れないものがあっただろう。そして彼らの収集品を収蔵している大英自然史博物館や英国王立キュー植物園に通って勉強していた博物学者ウォレスに別のインパクトを与えていたかもしれない。
 後年、ウォレスはマレー諸島の特色としてアカエリトリバネアゲハ、オランウータン、ゴクラクチョウ、そしてラフレシアを挙げている。

(うえむら・よしのぶ/つくば市・ゆかりの森昆虫館主任研究員)

INDEX
  ラフレシアとその仲間たち:堀田満
ラフレシアの送粉システム:加藤真
樹上のラフレシア:大塚一壽
Special Story

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