地球上に息づく数千万種の生き物の形の多様さに比べ、人間の作り出す形のなんと単調なことだろう。
駅も、学校も、病院も、みんな真四角な箱になり、都市はにぎやかな墓場となる。
生命の形がその長い進化に根をもつように、潜在的な生命としての記憶を住空間に投影しようとする新しい試み。


トラスウォール・ハウス室内。奇妙で、しかし自然である可能性の発見。 SOFT AND HAIRY HOUSE (ソフト&ヘアリー・ハウス)外観。人間の巣としての住宅。たんに"自然を取り込む"といった安直な発想とは異なる何物かがここにはある。 巣に生みつけられた卵のように、中庭にわだかまるバスルームの内部。 (写真=木田勝久)

私たちが「建築」という言葉を聞いたときにイメージするものは、それがどんな様式のものであれ、この3000年ほどの間に建てられた建造物である。しかし、建築空間のなかに身を置く私たちの身体や知覚には、そのずっと以前からの空間的な記憶が刻み込まれていると私は考えている。それは、個人的記憶が辿れる以前の幼年期の経験が、私たちの性格に大きく影響するのに似ている。

私たちが歴史と呼んでいる時間のずっと以前から、人間は自らの居住空間を経験し、その記憶を蓄えてきた。空間を知覚するとき、ひとはそのような記憶を無意識に参照しながら自らの経験を判断している。それは、「生命誌」の向こうを張って「空間誌」と呼べるようなものかもしれない。このような空間的記憶の総体を私は連続体(continuum)と呼んでいる。

このような連続体の視点がないと、建築の可能性は矮小化され、建築の設計はパターンとしての様式をとっかえひっかえボックスに張り付ける作業に堕してしまう。19世紀のヨーロッパにも、また最近のポストモダンの時期にもこのようなことが実際におこった。

21世紀の人口増加は都市部に集中するとみられている。極限的に高密化し肥大した都市の空間を編成していくには、人間のこのような空間意識への配慮が不可欠である。さもなければ人々は自らの居住環境に絶望し、巨大なスラムが生み出されていくことだろう。

この時点で、建築をひとつの閉じたカテゴリーとして捉えるのではなく、ランドスケープや美術、また生物学や言語学といった異なったジャンルと協同して、私たちの居住環境をトータルに捉え直すことが必要になってきたように思う。それは「連続体」としての建築が、必然的に人間の知覚や意識の問題に係わりあってくるからである。

私たちは、TRUSS WALL HOUSE という住宅で、曲面によってトポロジカルに展開する空間を実現し、SOFT AND HAIRY HOUSE でランドスケープと建築の融合を図った。また螺旋形に基づいた計画案をいくつか発表している。これらは、ケルト文様や縄文土器に見られる原始性とトポロジーやカオス幾何学に見られる先端性がメビウスの輪のように歴史の両端で結び付いたような印象を与える。自然界の現象から抽出されたフラクタル幾何学が、矩型や円に基づいたユークリッド幾何学を包摂しながら拡張したように、近代の縦割り化された建築的思考を基にしながら、より拡張された範囲で空間を考える方向を示唆しているのだ。

最近の生物学や脳科学の成果は、私たちの「意識」を物理的な現象として解き明かしつつあるが、私たちの空間や形態の認識のしかたが解明されたとき、それは建築や環境デザイン、そして「連続体」にどのようなインパクトをあたえるのだろうか?

うしだ・えいさく
1954年束京生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。磯崎新アトリエ、リチャード・ロジャース・パートナーシップを経て、86年ウシダ・フィンドレイ・パートナーシップを設立。ポストモダンの閉塞した状況にあって、新しい方向性を感じさせる実験的作品で注目される。