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Experiment

塩害に強い植物をつくる

村田紀夫

動き回ることのできない植物は,自然環境が変わると大きな影響を受けます。
いったい植物は環境の変化にどのように対応するのでしょう。
村田教授は,その仕組みを解明し,さらにその成果をもとに,環境の変化に強い植物をつくることに力を注いできました。今回は,耐塩性についての研究を紹介していただきます。


「塩害」という言葉をご存じだろうか。もともとは台風や強い潮風のために海沿いの水田や畑が海水をかぶり,稲やその他の作物が育たなくなることを指したが,今ではもっと広い意味で「土中の塩分濃度が高くなり,農作物が育たなくなること」を言う。日本ではまだそれほど話題になっていないが,食糧不足が叫ばれるなか,世界各地で深刻な問題になりつつある。

人口増加が激しい発展途上国では,台風などの影響を受けやすい海岸地帯での塩害に悩んでいる。また最近はアメリカなどの先進国でも,肥料を繰り返し使うために,温室や普通の農地で土中の塩分濃度が上昇して起こる大規模な塩害が,大きな問題になっている。

もし塩分の多い環境でも育つ植物をつくり出せたら,どんなにすばらしいことか。塩害に悩む地域でも農産物の生産が可能になり,食糧問題の解決にも大きく貢献することになるに違いない。

私たちの研究グループは,植物が環境の変化を検知して,新しい環境に適応する仕組みを解明している。また,その成果を活用して,環境の変化に耐えられる“環境ストレス耐性植物”づくりにも取り組もうとしている。そして,ここ数年,とくに植物の耐塩性に注目して仕事を進めてきた。

植物が塩分に弱いのはなぜだろうか。

体の外側に皮膚をもつ動物は,塩水につかっても直接塩分の影響を受けることはない。一方,根から常に水分を吸収しながら生きている植物では,根の細胞の周りの塩分濃度が上昇すると,細胞外の浸透圧が大きくなり,水分を吸収できなくなったり,ひどい場合には細胞から水分が流出してしまう。細胞内に塩分が流入して,正常な代謝活動ができなくなることさえある。また,砂漠などの乾燥地帯でも,植物体の水分が失われるので,細胞内では塩分濃度が上昇し,同様の被害が起こることになる。

ところが,海岸や乾燥地で生育する植物は,塩分濃度が高くても生きていける仕組みをもっている。それらの植物は,塩分のストレスを受けると,適合溶質と呼ばれる化合物を合成し細胞内に蓄積するのである。それらの物質は,細胞内では代謝されにくく,濃度だけを上げ,浸透圧を調節する効果をもつのである。その結果,水分や塩分が細胞内に流入するのが抑えられて,塩分濃度の高いところでも生きていける。

適合溶質には,アミノ酸や糖類,そしてグリシンベタイン(以下ベタインと略記)に代表される4級アンモニウム化合物などいくつかの種類があるが,とくにベタインは,細胞内の浸透圧の調節だけでなく,植物における重要な生理活性である光合成反応が塩分で阻害されるのを防ぐはたらきをもつ,優れた適合溶質である。

そこで,稲などの植物に耐塩性をもたせるために,人工的に多量のベタインをつくらせようと考えた。それには,ベタインを合成する酵素の遺伝子を植物に人工的に導入しはたらかせればよいと誰もが考えるが,事はそう簡単ではなかった。

植物に人工的に遺伝子を導入する方法

まず,①導入したい遺伝子をアグロバクテリウムというバクテリアに入れる。
②アグロバクテリウムを植物に感染させると,バクテリアが植物細胞にDNAを送り込む。
③培養して,DNAが入った植物体をつくる。赤い部分は,アグロバクテリウムがもつ特殊なDNAの配列で,植物細胞に遺伝子を導入するはたらきをもつ。
(『細胞の分子生物学』(教育社),P.331の図をもとに作成)

ホウレンソウやコムギなどベタイン合成の研究が進んでいる植物では,ベタインは,コリンという物質を出発点に2つの酵素がはたらいて2段階でできるのである。2つの遺伝子を植物に導入するのは容易ではなく,世界中の研究グループの努力にもかかわらず,成功例はない。

そこで私たちは,より簡単なベタイン合成経路をもつ土壌細菌Arthrobacter globiformis に注目することにした。この細菌では,ベタインはコリンからコリンオキシダーゼと呼ばれる酵素により1段階の反応で直接合成される。

まず,この細菌からコリンオキシダーゼの遺伝子を単離し,次に,それを遺伝子操作により,シロイヌナズナとイネに導入したところ,どちらの植物でも,耐塩性が強化されていることがわかった。とくにシロイヌナズナでは,植物としての一生のすべての段階(生活環全体)で耐塩性が強化された。つまり,塩分の多い環境でも完全に育つことができる植物ができたのである。これまでアメリカやヨーロッパで,ベタイン以外の物質に注目して,耐塩性を向上させたという報告があるが,生活環全体で耐塩性を高めることに成功したのは私たちの例が初めてだろう。

耐塩性を高めた植物の利用価値は,食糧問題だけに限らない。本来植物が生えていた土地がさまざまな理由で緑を失い「砂漠化」するという問題が,各地で起こっている。塩分に対する耐性と乾燥に対する耐性は密接な関係にあるので,植物の耐塩性を高めることで,乾燥にも強い植物を作り出すことができる。実際,私たちはそのことをシロイヌナズナで確認した。この技術が他の植物に応用できれば,砂漠化した土地に再び緑をよみがえらせることができるようになるだろう。

もちろん,私たちの研究は,現時点では基礎研究の域を出ない。ベタイン合成酵素を導入して耐塩性を高めるという方法が,イネやトウモロコシなどの主要穀物やその他の植物にどこまで実用化できるかは,今のところ不明である。本格的な実用段階に至るまでには,さらなる研究が必要だ。しかし,重要な第一歩は踏み出せたと信じている。

塩分に強くなったシロイヌナズナ

①コリンオキシダーゼの遺伝子を導入したシロイヌナズナは,塩分の高いところでも発芽して育つことができる。
②は遺伝子導入をしていない野生型のシロイヌナズナ。0.1モルのNaClの中では,ほとんど育たない。
③④水耕によって30日間育てた植物を,0.2モルのNaClを含む溶液に移して10日間たったところ。野生型は枯れてしまうが(④),コリンオキシダーゼの遺伝子を導入した植物は正常に育つ(④)。(写真=村田紀夫/愛媛大学・林秀則)

(むらた・のりお/岡崎国立共同研究機構・基礎生物学研究所教授)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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