(中村) |
少し妄想も入りますが、これまでの話から、ゲノムと言語を並べて考えたくなってしまいます。私はゲノムが言語と同じように一次元に並んでいることに関心があるのです。生体内では、特定の立体構造をもったタンパク質が物理や化学の基本法則にしたがって働いている。それをそのままの構造で次の世代に渡すのでなく、一次元の情報にして渡すところが興味深い。どうしてそうなったかはわかりませんが、こうなっている長所は、符号化できて、無限の可能性を書き込めることです。
三次元だと無限にはならずきつい決まりになってしまう。親と同じ形で渡さないと子供はたぶん死ぬでしょう。一次元だと、そっくりそのままでなくても許される。一次元に情報を置いたために、原理原則は決まるけれども、ほぼ無限の揺らぎができる。そうでなければ生命は続いてこられず、どこかで失敗したと思います。(解説へ ) |
(辻井) |
三次元だと失敗するとはどういう意味ですか? |
(中村) |
実際に身体を作っているタンパク質は揺らぎがもちにくいし、余分なものを抱え込めません。 |
(辻井) |
ゲノムはそういう意味では符号性がかなり強いのかな。実体そのものを完全に表現しているのではなくて、その骨にあたる部分をコーディングしているのかな。 |
(中村) |
そうなんです。だから、少々間違っていても続いていけて、逆に新しいことを生み出すことまでできてしまう。 |
(辻井) |
可能性はあるな。何か表現したいことがあって、それを符号で表現しようとしますね。つまり、実体とは独立に表現する、コーディングするわけですね。それは一種の符号性を持つわけで、三次元の実体そのものを渡すのではなくて、こんな構造だということを符号で書くわけですね。その時、一次元というのはすごい表現力があって、符号化できることであれば、すべて一次元の符号でコーディングできるわけですよね。
いったんコーディングされると、今度はコードの上だけで実体から離れて、操作ができるようになって、エラーをしないように余分なコードを入れるとか、あるいは実体が何であるか考えずにコードだけで操作ができてそれが実体を変える可能性があるわけですね。実際、通信の符号化を行う工学的なシステムでも、符号の意味、すなわち、符号の表す実体とは無関係に、符号だけを操作して圧縮したり、エラーを修正したりしているわけですから。そういう意味では、そこの部分は、すごい情報的なんですね。 |
(中村) |
まさにそうなんです。コドン(遺伝暗号)は3文字の塩基の並びでアミノ酸をコードしているのですが、1対1で対応していない。3文字目は自由度があります。例えばAGTでも、AGCでも同じ意味に翻訳される。だから、3文字目は変わってもかまわない(関連記事:生命誌2号「無の発見:大澤省三」)。そんなこと実体ではなかなかできないでしょう。 |
(辻井) |
符号のレベルに戻ってそのレベルでいろいろ操作ができるようになっているんですね。 |
(中村) |
そうなんです。進化につながる変化はDNAのレベルで起きているのです。例えば、形づくりに関わるHoxという遺伝子群に関して、ヒトはナメクジウオと基本的には同じ遺伝子群を4つもっているのです。その部分は重複したのでしょう。3つ分は余裕ですから、その部分は変化していろいろなことを試せるわけです(関連記事:生命誌23号「形の進化とゲノムの変化―ナメクジウオが教えてくれること:ピーター・ホランド」)。その結果が進化につながる。だから、進化はまず符号の変化として起きているのです。それが実体とつながる。 |
(辻井) |
うまくできているな。 |
(中村) |
誰も不思議と言わない。なぜ一次元に書いたのかなんて聞いてもしょうがないと。 |
(辻井) |
なぜそう書いたのかはわからないけれども、そうやっておくと非常に便利ではある。 |
(中村) |
そうでなければ、今のような多様な生きものは生まれなかったと思うのです。もしかしたら三次元で伝えている生きものがいたかもしれない。けれど、符号化したから残ったのだと思うのです。人間の言葉も同じですよね、まさに。そこで私は言葉に興味をもったのです。符号と実体の関係が恣意的であるという点も同じです。 |
(辻井) |
実体とは独立した符号系があるということですね。しかも符号系にしたことで、実体の上ではとても複雑な操作を非常に単純な操作にできる。符号系の中での一般的な操作だけですから、実体の多様性とは無関係に、変わり方の原理はごく少数なんですね。 |
(中村) |
ゲノムにはATGCの4文字しかありませんから、それが変わるしかありません。CがTにというように1文字が変わる、繰り返しが入る、ひとまとまりが欠落するなどさまざまな変化があります。その変化の中で、コドンの3番目のTがCになるくらいのことなら、実体の方は変わらない程度ということも起きます。もともと実体が変わることは、非常に少ないはずです。でたらめに変われば、実体の方は死んでしまうとか、何も変わらないとか、その方が多いでしょう。その中で、時に新しいものが生まれてくる。 |
(辻井) |
それは情報の人たちには面白い話ですよ。ただ、情報科学も、今は計算科学になっていますよね。そうではなくて、情報科学が最初の頃問題にしていたようなこと、例えば符号化とか、情報の本質みたいな話。そういう話から考えていったら、面白い話になるだろうな。 |
(中村) |
それが言語と重なりませんか。 |
(辻井) |
言語というか、符号ですね。実体から離れてそれを書き表す、書き表し方みたいなものですね。そこで言語の本質は何かと。 |
(中村) |
言語も符号化ですね。私たちがよく知っている見事な符号化のもう1つは言語じゃないかと。ゲノムと言語と言い始めたのは、そこからなのです。 |
(辻井) |
あ、そうか。コード化(符号化)した時のおもしろさは、実体とは別の性質が出てきて、コードとして自由な操作ができるようになること。それは非常に大きいですね。 |
(中村) |
コンピュータや言語は人間が操作するわけですが、自然界では変異が操作ですね。進化という長い時間の変化だけでなく、ガン化や老化など1つの個体の中での変異もコードの変化で起きるわけです。たとえば放射線は、DNAのコドンを変えることで体に影響を及ぼします。 |
(辻井) |
なるほど。コードとしての操作が実体とは関係なくやられるんだけれども、その操作が実体にいろいろな効果をもつわけですね。 |
(中村) |
そうです。たいていは良い効果ではありません。卵から体ができる発生という実体のところで変異があるものの多くは生まれないことになるでしょう。でも中には、変異があっても大丈夫だったり、実体の変化につながって、新しい生きものが生まれたりするわけです。 |
(辻井) |
非常にコード性が強い、確かに。そういう意味では言語と非常に似たような性質を持つはずだな。 |
(中村) |
放射線だけでなく、ウィルスが、宿主のゲノムの中に入って変化させる。トランスポゾンという動く遺伝子が出たり入ったりしながら、周りの遺伝子を一緒に移したりする(関連記事:1.生命誌24号「変化朝顔 種子のできない一年草:仁田坂 英二」/2.生命誌14号「黒白江南花 和名シボリアサガホ:飯田 滋」)。この話を情報の人に話したら「コンピュータウィルスと同じだ」と言われましたが、こちらが先ですよ。 |
(辻井) |
生命系の場合のコードは、設計されたわけじゃないから、意図を持ってやっているわけじゃないですよね。 |
(中村) |
意図を持つって、誰が? |
(辻井) |
神様になってしまうかな。 |
(中村) |
ウィルスは増えるという命令だけは持っており、つくる工場は宿主の細胞のものを使うのです。巧妙です。これを見るとどうしても擬人的表現になり、ウィルスは増えたがっているなどと口走りたくなるので困るんですよ。 |