(茂木) |
砂漠にいるガービルという動物の実験で、音のピッチが上がる、下がるという2種類のカテゴリーを区別する概念化のプロセスを知ろうとしたものがあります。最初はできないんだけれど、上がる時には餌がもらえて、下がる時には電気ショックがくるということをくり返していると、段々概念化ができていくという過程を脳のニューロン活動として継続して見ている例があります。このような意味での概念化は、言語誕生以前の生物界で非常に共通の能力であるような気がする。そこが壊れてしまった生物は死んでしまう。 |
(中村) |
ある構造をもたなければ生きものとして成立しないという点ではゲノムと同じということですね。 |
(茂木) |
そのような意味では人間の脳も昆虫の脳も多くの共通点がある。これは賭けてもいいんですけども、猿の脳で見つかったニューロンは、大抵の場合昆虫の脳でも見つかる。 |
(中村) |
すごい。ゲノムは、カンブリア紀以前のところで、ほとんど全部準備されていることがわかってきています。その後増えたり、組みかわったりはしていますが(関連記事:生命誌29号「遺伝子の爆発と動物の爆発:宮田 隆」)。 |
(茂木) |
ある反応特性をもったニューロンは、実はずっと変わっていなかったりするわけですね。組み合わせが違うだけで。 |
(中村) |
確かに同じものですね。ゲノムは最初の生物にあったもの以外のところから来ようがない。それが、繰り返し増える。今まで通り使うところもあるけれど、余裕ができたところは別の使い方もできる。そこで変化が起きる。その繰り返しをやってきたのであって、全く新しいものというのは、実際問題として、ありようがないわけです。 |
(茂木) |
そういう意味でいうと、ニューロンは全部同じですからね。 |
(中村) |
多分、多細胞生物になった時に基本構造はできてしまって、それの複雑化ですね。中枢神経系は前に集まったほうがいいから集まるとか。それを作っている遺伝子もそんなに新しいものは出てきていないわけです。神経系に関する遺伝子が、節足動物と脊椎動物でほとんど同じですからね(関連記事:生命誌8号「ニワトリの遺伝子をもったハエのかたち:梅園和彦」/ 生命誌11号「キメラ胚で脳に迫る:ニコル・ルドワラン」)。神経の走り方も昆虫と人間は全然違うように見えますが、背中とおなかがひっくりかえっているだけなんです。昆虫はおなか側に神経があって人間は背中側。だから、人間がブリッジして歩けば、昆虫になるわけです。 |
(茂木) |
遺伝子だと、組み合わせで全然違うものが出来るということが何となく納得できるけども、脳は、あまりそういう目では見てないかもしれないですね。ニューロンという単位が組み合わさっているだけでなく、ニューロンの反応特性も、実は組み合わさっているのかもしれないですね。 |
(中村) |
新しいものの誕生は、やはり外からの刺激、情報の影響を受けるわけで、ゲノムよりも脳の方が外の影響が強いとは思いますが、中の構造の特性としては、同じように考えられるかもしれませんね。 |
(茂木) |
人間や猿の脳、特に前頭葉は特別なものだという思い込みがあまりにも強い。でも、蟻や蜂の論文を読んでいると、これ猿と同じじゃないかと思うニューロンがある。例えば、猿で最近見つかったニューロンは、あるタスクをやらせる時に、やらないという選択をすると不味い餌が与えられ、やって正解だった時だけ、美味しいもの、例えばナッツなどが与えられる。ただし、やってみて失敗した時は何ももらえない。要するに、猿は、成功しそうだという確信が持てて、いけそうだと思うとレバーを押すのだけれど、いけそうもないと思うときはむしろ何もやらないで不味い餌で我慢する。
このようなニューロンは、自分の内的な状態をモニターしているから、非常に高次な機能だと言うわけですよ。しかし、似たようなニューロンは、昆虫にもあるに違いない。何かができそうかどうか判断する機構なんて、あるに決まっているじゃないですか、生物として。
地中海にいる蟻を調べた例があって、迷路学習させるんです。蟻にはホームベクターというのがあって、巣がどっちの方向かわかっている。餌をいっぱい食べて、巣に戻りたいという蟻は、迷路が巣に向かう方向だとやる気を起こして学習するんだけれども、巣の方向に向いていないと、どうでもいいやと思うらしくて学習しないという、非常におもしろい実験があるんですよ。 |
(中村) |
生意気(笑)。 |
(茂木) |
猿や人間で言うところのモチベーション。高次なことに思えるけれど、実は昆虫にもある。でも考えてみればそんなの当たり前ですね。 |
(中村) |
それはそうですね。巣のほうに向いてないとやらないぞというとちょっと生意気に聞こえるけれど、無駄なことはやらないよというだけ(笑)。 |
(茂木) |
もちろん、解釈として人間中心な解釈をしているけれども、機能としてはあまり変わらないと思いますね。 |
(中村) |
あまり無駄なことをしたら、生きていけないものね。 |
(茂木) |
確かに、人間は言語を使っているという点は明らかに違う。しかし、今まで猿で発見されている「高次」と言われているニューロンは、実は、他の動物にも全部あるんじゃないかと思う。これは仮説ですけれど。もちろん人間だったらドーパミン系に相当するものが蟻では違うニューロンで担われているという違いはあると思うんですけれど。 |
(中村) |
ゲノムと重なりますね。生物系を構築する基本的なやり方は既存のものを上手に使う(関連記事:生命誌12号「クリスタン遺伝子にみる眼の便宜主義:森正 敬」)ということですね。F.ジャコブというフランスのノーベル賞学者が、生物は鋳掛屋と言っている。この言葉は若い人には通じないので、ポップアートかしら。脳も多分ポップアートで、勝手にコラージュしているのでしょう。 |
(茂木) |
なるほど。ポップアートですか。遺伝子は随分長い間使っているけれど、動物は全部神経系で動いていますから、神経系もずっと使っているわけですよね。 |
(中村) |
多細胞になった時から神経系があるわけだから。 |
(茂木) |
猿の前頭葉にあるのは、どうも他にもありそうだ、何でだろうとは思っていましたけれど、そう考えると確かに納得できる。 |
(中村) |
ゲノムを見ている者としては、素直にそうだろうと思える。とにかく生きものは、既存のものを工夫して使っていく。しかも、時々変化が起きるので、その変化を巧みに活用していく。そういうやり方できたわけですね。 |
(茂木) |
こういうことですね。ダーウィン以来の進化論で、まずすべての生物はつながっていることが常識になって、その後DNAを調べると、完膚無きまでに、人間だって同じだとなった。このような知識は我々も常識として持っているんですが、実は神経系に関しては、それに相当する考えの変化は起こっていない。神経系における進化の本質はまだ明確につかまえられてないということですね。 |