1. トップ
  2. 季刊「生命誌」
  3. 季刊「生命誌」84号
  4. TALK 生きものの物語を紡ぐ

TALK

生きものの物語を紡ぐ

上橋菜穂子作家、川村学園女子大学特任教授
中村桂子JT生命誌研究館館長

 

1.土地に根付く人々

中村

最新作『鹿の王』とても面白かったです。フランク・ライアンの『破壊する創造者』がこの物語を生み出すきっかけとなったそうですが、私も生きものの世界を考えるときウイルスを無視できないのではないかと思いはじめてこの本を読んでいました。

上橋

どうもありがとうございます。生物学や医学の本を網羅的にあたるうちに、多田富雄先生の『免疫の意味論』、それから中村先生のご著書も読ませていただきました。その中で『破壊する創造者』に出会い、ウイルスとの共生の話がふと人類学的なことと結びついてしまったものですから、いきなり頭の中でスイッチが入った感じだったのです。実は生命誌研究館のホームページにも何度も足を運んでいました。

中村

ありがとうございます。是非書き込んでください。

上橋

『鹿の王』を読んだ方から「顕微鏡があるような世界とトナカイに乗っている人々の世界が同時代というのが自分は考えられなかった」というような感想をいただくことがあるのですが、たとえば現在も、トナカイ放牧をして暮らしている人たちもいますし、同時代でも世界中が同じ文化・文明の中にあるわけではないのです。

中村

そうですね。実は生命誌が考えているのもそこなのです。顕微鏡の世界と自然の一部として人間が生きている世界をつなぎたい。現在は科学全部を顕微鏡の世界で語ろうとしています。私はそれは違うと思って生命誌を始めたので『鹿の王』を読んでまさに生命誌だと勝手に感じ、楽しみました。

上橋

ありがとうございます。いまも、世界の様々な人々の暮らしの中では、顕微鏡を見るような世界とは全く違う世界観も存在しています。その一方で宇宙までに飛んでいる人たちもいる。私がアボリジニに惹かれた大きな理由の一つは、中村先生がおっしゃる関わりながら進化し多様化する世界と向き合いたいという興味でした。

中村

上橋さんがアボリジニの研究から出発して今のお仕事に入られたことに関心があるのです。例えば、アボリジニは私たちのような感覚で土地を所有しないと書かれていますね。

上橋

ええ、アボリジニはもともと採集狩猟民で、土地の所有という概念を持たなかったようです。ですが、故郷の土地との結びつきが強く「土地に所有されている」と表現されることもあります。

中村

私は今の社会の大きな問題点の一つは、土地を持つという考え方だと思うのです。地球があり、そこに38億年前に生きものが生まれ、私たちがいるわけで、元々あったものを所有する、私物化するという考え方が変ですよね。

上橋

そうですね。その概念のあり方はとても西欧的だなと思います。日本などもそうですが。イギリスがオーストラリアを植民地化した時に、アボリジニは土地を耕していないから、所有はしていないと考えたようです。カルティベイトという言葉がカルチャーのもとであるように、まず土地を耕し利用することが文化文明で、そこが所有の原点であるという考え方の法の上で、オーストラリアは誰も所有していない「無主の地」、テラ・ヌリウスだとして入植していったわけです。

中村

そういう近代の考え方を持つ人よりもはるかに土地に根づいて暮らしていたのにそれを認めず変えてしまったのですね。

上橋

はい、どんどん変わりました。長い間の白豪主義、アボリジニに対する悲惨な差別の歴史があります。でも、その後、1960年代から1970年代にかけてオーストラリアの白人も変わり、多文化主義へと大きな変転を遂げていきます。そしてアボリジニに対してもとても真摯に考え、誤りを正していきました。その姿は感動的で、素晴らしいのですが、その中で様々な葛藤もありました。1967年の国民投票が大きな転機で、アボリジニも法的な平等を得て行きます。さらに、マボというアボリジニの長老の名前がそのまま付いた判決「マボ判決」というオーストラリアの歴史の中での転換が1992年にあります。最高裁が先住権原を認め、「無主の土地」ではなかったという、テラ・ヌリウスを否定したわけです。

中村

日本でいえば狩猟採集は縄文時代、その後弥生時代にかけて農耕が始まりと遠い歴史として習う生活の転換点が、今起きている。人間のこと歴史のことを考える時に大事な場所だと思うのです。

上橋

歴史の授業で習う、縄文時代、弥生時代があって、と座布団を重ねるように年代を区切っていくのは大きな誤解を植え付けてしまいそうな気がします。世界の状態は物質文明で見ても同じ時期に様々な状態があり、産業、生業でみても様々だった。それが一気に巨大な変化をしていくのが、帝国主義の植民地化の時代で、大航海時代以降、地球上のありとあらゆる地にヨーロッパの国々が進出し、その土地を変えていったわけです。「アボリジニ」という名称は「原住民」を意味する英語で白人が付けた総称です。人々はオーストラリア大陸全体におり、250くらいの異なる言語があったと言われていますし、方言差もありましたし、集団の分け方の基準は様々ですが、現在でも多数の異なる集団があります。

中村

そんなにあったのですか。

上橋

はい。大きい大陸ですので狩猟採集で生活しやすいところに人口が集中し、そうでないところはかなり人口がまばらな集団が大きな範囲で点在していました。また、馬がいない土地でしたから、基本的には移動手段は徒歩のみでした。交易はかなり広い範囲で行われていたようですが、例えば、大陸の端と端にいるアボリジニがお互い顔見知りということはまずなかったでしょう。そういう背景もあり、「我々」と彼らが考える集団は、時代によって変わっていきます。実は、私の博士論文はそれがテーマでした。人々がどうやって我々意識を形成していき、それがどう変化、変容していくのかということを知りたかったのです。様々な「我々」意識形成のきっかけがあるのですが、まずは、イギリスに植民地化され法制度などの中で先住民として差別されたことにより、アボリジニ全体をまとめるような「我々アボリジニ」という意識が生じていったようです。

中村

対白人としての意識の変化ですね。

上橋

はい。様々な動きが生じ、白人社会と伝統集団の社会の間で重層的に人間の枠ができてきます。土地との考え方でいいますとアボリジニにとっての故郷の土地は、魂がそこから来てそこへ戻って行く場所のようです。ただ地域によって考え方の違いがあるので、アボリジニ全体の話として話すことはできません。私自身がよく知っているヤマジーという人々は、植民地化されて白人の社会の中で非常に長い年月生き、文化変容を多々遂げてきた人たちです。あるお婆さんからおもしろい話を聞いたことがあります。若い頃旦那と二人で狩りに行った。狩りといっても自動車に乗って散弾銃抱えての狩りです。そして、弾が肩に当たって死んだカンガルーを皆で美味しく食べたそうです。しばらくあとでふっと妊娠していることに気がつきそれを告げたら、旦那が考え込んだ末に「あの時のカンガルーじゃないか」と言った。赤ちゃんが生まれてみたら肩にバースマークの赤いアザがあり「ああやっぱりあの時のカンガルーだ」となったというのです。これをアボリジニの精霊児の考え方の典型のように捉えられると困るのですが、少なくとも私が採取した話では、そういう意識で命を考える話をいくつか聞くことができました。いわゆる天国や地獄のような他界観ではなく、故郷の土地の森羅万象のすべてに精霊と表現されるものが存在していて、人は故郷の土地から来て、そこへ帰る。お婆さんもお爺さんも、すでにいなくなった人たちも、あるいはやがてやってくるであろう人々も皆そこに関わって繋がっています。そういう場所ですから、所有なんてもともと意味がないことなのです。

2.学問から物語へ

上橋

アボリジニは狩猟採集民ですが、人類の歴史の中で最も長く続き、しかも、自然環境への影響が少なかった生業は狩猟採集だったようです。

中村

そうですね。農業が生まれたことが大きな転換点。まさにカルティベイト、カルチャーが生まれたわけですから。

上橋

地球の歴史を1年で考えると、農業が始まるのは除夜の鐘が鳴り始める時くらいから。狩猟採集は、自然環境に制限される部分が大きいですから、人口がそれほど増えない。しかし、農業が始まってから人口は異常に増加する。そして、その人口曲線のもう一回の大爆発が産業革命で起きるわけです。それがヒトという生きものを変えたのではないかという話を学んだとき、当時大学院生だった私にとって大変おもしろかったのです。そしてまさに、アボリジニはオーストラリアという巨大な大陸の中で狩猟採集で生きていた。それが、文明社会、産業革命を起こしたイギリス社会の中に飲み込まれ、生きていった200年とはどんなものだったのか。何を失い、何を残し、どう戦い、どう歪み、どう生きていったのかそれを知りたいと思いアボリジニの社会に入っていきました。

中村

本当に今の社会で一番知りたいことの一つですよね。具体的にそれが見え、話が聞けるわけですから。

上橋

アボリジニの社会に入り20年研究を続けましたが、現在起きているものを捉えるのは、本当に難しいことでした。科学の実験の場合は、研究室の中で条件の統制をし、影響を与えるものを排除できますが、人類学の場合はできませんので。

中村

そうでしょうね。社会学や人類学のお仕事を見ると気が遠くなるんです。ただ、科学がやっていることはある種のモデル化ですよね。モデルはもちろん、物事を知る上で大事だと思いますし、科学のよいところはこれだと思います。これは素晴らしい発明だったと思いますし、デカルトやニュートンは凄い人だと尊敬しています。

上橋

そうですね。私もとても尊敬していますし、科学という手法が羨ましくてしょうがないです。

中村

ただ、私たちがあくまでもモデルだということを忘れて、その世界だけを見て自然が分かったと考えてはいけないと思うのです。科学を学んだ上で、複雑で多様な世界を見なければ意味がない。それなのに、科学で分かった世界がすべてであるかのように、300年やってきてしまい、そこから生まれた科学技術が現代社会を作っているわけですよね。そこに対する疑問がある。それを解く一つの方法として、科学を基本に置きながらも改めて自然を見る生命誌を考えたのです。ですから、上橋さんがアボリジニ社会で知りたいと思った問いは、私が知りたいことと重なるのです。

上橋

私という人間には学者としての才能がないと思いました。私は、果てしない疑問の中に、うずもれてしまったんです。

中村

今の学問は、そういう問いの持ち方を否定してしまいますよね。

上橋

はい。私がずっと気になっていたのは、すべてにおいて、「そうではないか」と瞬時に感じ、理解する、巨大なネットワークが頭の中にあるということなのです。しかし、それを立証するために固定化してつかまえ、取り出そうとすると、本質が死んでしまう。動いているものを標本にすると欠けるものがあるように。

中村

それを物語という形で紡いでいるわけですね。だから上橋さんは素晴らしいことをしてらっしゃると思う。上橋さんが感じた学者としての限界は上橋さん個人の限界というより学問の限界ではないかしら。アボリジニの中に入って一人ひとりに聞き考えをまとめるという方法が全てではない。モデル化しても仕方がないということは私も感じるところです。

上橋

ありがとうございます! そう言っていただけると救われます。人の言葉は一瞬にして、状況によって変わっていく。変化しているものを、ある時に結ばれた像を捕まえて、論文ではこれが実証出来ましたと言うのですが、その状況はあっという間に変わっていくのです。これを捉える方法が分からず、つらかったのです。

中村

結局そうすると物語にしかならないのでしょうね。

上橋

そうなんです。私の中にあるあれこれ、見えたあれこれが情動と結びついた何かになった時、物語に紡ぐ方が頭の中の総体に近かったのです。私はやはり作家なのだなと感じました。もともと作家になりたくて学問をやったのですが、やがてやっぱり戻った。ただ学問を通り過ぎてきたことが非常に大きかったという気がしています。

中村

それはそうですよ。上橋さんに作家としての能力がおありになったから、こういう素晴らしい物語になっています。私には残念ながら作家の能力はないのですけれど、分かった事実を並べて論文を書くというところでとどまる、時には式を書くというところで終わるのではなく、その事実をある種、物語として紡ぎ外に出すという学問のありようがありうると思っているのです。そして、恐らく自然はそれをしないと語れないと思うのです。

上橋

本当にそうですね。中村先生のご著作を拝読すると、私のような門外漢でも物凄く面白いんです。科学的な知識が足りないために分からないところがあるのですが、中村先生がおっしゃりたいと思われる光るところが私にも伝わってくる。多分人の中に、物語を通すと理解できてしまう何かがあるような気がするのです。その物語は、別にファンタジーや推理でなくてよいわけです。ある人が自分の中から外へ出して紡いだ場を作ると、別な人たちがそこにアクセスして自分に戻しながら「ああ、なるほど」と分かる。それは分野を超えますね。

3.因果関係を超えて

上橋

私が『鹿の王』を書いたきっかけは、私たちは生物としての自分がなんて分からないのだろうということの不思議さなんです。先生が、脳の研究が、高次元の脳の話ばかりに集中するのはよくないのではないか、もっと繋がった生物全体のものとして捉えた方がよいとおっしゃっていますが、私はその両方が知りたいのです。

中村

私もそうです。

上橋

なぜ人はこんなふうにどこから来てどこへ行くのかを知りたいのだろう。進化というものが、ダ—ウィンがいったような形での適者生存であるのであれば、生きるということに対して疑問を持たない方がいいはずです。

中村

そうね。その方が生きやすいはずですね。それにアリさんが疑問を持っているとは思えないので、これって人間特有のことでしょう。

上橋

そうなのでしょうね。よく生物の本を読んでいて思うのは、こういう適応のためにとても都合がいいようにこの変化が起きましたという表現がありますが、でも実際はそうではなくて偶然だというのが基本ですよね。

中村

基本的にはそうですね。

上橋

神経索が伸びていって、そのうちのいっぱいが失敗して、一個だけが偶然ピタッといったらそれで通じた。そういったことが実は、何かのために何々をしたという言葉の本当の意味ではないですか。

中村

その通りです。陰には無数の無駄があるわけで。

上橋

無数の無駄があってそうであるにも拘わらず、偶然に残った1つに私たちは意味を持とうと思ってしまう。

中村

最後だけ見ますからね。それと、人間は知りたがり屋なんですけど、その時に因果関係が一番分かりやすいと思うのです。よく皆さん科学は難しいとおっしゃるけれど、科学は因果関係を追うものだから一番分かりやすいと思います。因果関係でなくなると、もうどうしたらいいか分からなくなってしまう。今、上橋さんが問うてらっしゃることは因果関係だけでは分からない。だから難しい。

上橋

そうなんです。

中村

私も生命誌を始めた時、頭の中がゴチャゴチャになったのです。それは正に因果関係ではないことを問わなければ、生きものを問うたことにはならないという考えに至ってしまったから。実を言うと私は今、1960年代が懐かしいんです。DNA、タンパク質いろいろなことが分かりはじめて、いつか全て生きものも因果関係で解けるのではないかという希望にあふれていた。

上橋

ああ、そうなのですか! 実は、『鹿の王』の中で出てくる若い医者ホッサルについて、養老孟司先生と夏川草介さん二人が両方とも共通でおっしゃったことがあったのです。「若い医者はよく、病について、生きものとしてのヒトについて今は分からずともいずれ必ず解明できると考えている。それがよく出ているよ」って、お二人ともお医者さんですから、ホッサルについての感想を聞くのが怖かったのですが、両方がおっしゃった。私は素人なもので、老いも若いもなしに、医者は皆そう思っているものと思っていたんです。そしたら養老先生に「だって上橋さん、細胞が日々凄い勢いで変化していて、それが60兆あるんだよ。無理。ようは分からぬということが分かってきたのが今なんだよ」っておしゃっていました。

中村

そうです、正にそう。養老さんはほぼ同じ時代を歩んできたので同じ感覚でしょう。因果関係で分かったら幸せですね。でも残念ながら今の生物学は生きものはそうではないということを次々と明らかにしている。ウイルスの話でも、私たち人間のゲノムの10%程度はウイルス由来の配列が入っています。

上橋

私昨日、実は偶然美容院で、中村先生の書かれた記事を読んだのです。人間を生み出す一番大切な胎盤の遺伝子がウイルスからもたらされていると知って驚きました。

中村

あまりにも変でしょ。合理的に考えていったら変ですよ、だけど事実そういうことがある。

上橋

そうですよね。それと同時に「それを変と考える」人間の思考がどこから生まれるのかが私は凄く知りたいのです。きっと人間の想定の中には、そうではないだろうという想定があるんですね。だからそれに反した何かが現れた時に「えっそうだったの」と驚く。人間という生きものの存在自体にウイルスが大きく関わっているとしたら人間という存在はなんなのだろう。

中村

60年代はそういうことは何も分かっていなかったので楽しかったのです。

上橋

リン・マーギュリスの共生説(註)はそれよりもあとですか。

中村

あとです。それから上橋さんがおっしゃった神経がヒューッと伸びていって、偶然で繋がることもその後で分かったことですし、もうやればやるほど新しいことが分かってくる。だけどよく考えてみると、もしこうでなかったら人間は面白くないだろうなとも思います。

上橋

人間って困った生きもので、そこをまた面白がるんですよね。

中村

全部が割り切れるということが分かり、完全に分かったという時代がきて、全部書いてある教科書ができたらこれほど辛いことはありませんね。

上橋

生きていく楽しみがないですよね。

中村

やることはないし、生きている価値がないと感じるでしょうね。

上橋

人という生きものはなんと変なものでしょうね。

中村

変なものなんですよ。

 

(註) 共生説

真核生物の細胞小器官の起源を原核生物の共生によるものであるとする説。リン・マーギュリスが1967年に発表した当初は異端とされたが、現在では広く認められている。



4.多様を生む共生

上橋

私は子どもの頃から死というものがある中で生きることのむなしさが解決できぬままに、いずれ自分は死ぬであろうと思っていました。それが大変恐ろしいのですが、中村先生のご著書で原核細胞生物の時には事故が起きない限りずっと生きているということに衝撃を受けました。その後に性が生まれ、一回限りの人間が生まれるすばらしさもありながら、死がセットされ生を手放すということをおっしゃっている。これも不思議です。

中村

そうなんですよ。

上橋

セットされた死とはなんだろうということをフランク・ライアンの本のエリシア・クロロティカから着想をえて、『鹿の王』の始まりに書きました。

中村

藻類から葉緑体をとりいれ、光合成をするウミウシですね。そして、時期がくると一斉に内在性ウイルスの影響で死ぬ。変なやつらですよね。

上橋

本当に。私は藻類が大変面白くて。それから、地衣類も。生体の中で二つの生命が溶け合っていくことの不思議さ、しかも生命というのは一体何かというのを考えた時に、私はやはり人類学でずっと多文化社会の中でなぜ人は共生、Living Togetherが上手くいかないのかということが大きなテーマだったものですから、共生が生物の中で上手くいっているのは逆にどういう例があるのかということにとても興味があるのです。根粒菌のように植物に窒素を提供し、代わりに栄養をもらうのもいますよね。

中村

豆類の根にいる菌ですね。

上橋

あれは、植物の方が誘うのだそうですね。そして、植物の中に入ってしまうと今度独立させようと思ってももう駄目で、独立した生命体としては生きられない菌に変わってしまうということが凄いと感じるのです。ある女性に騙されて入ってしまって、ヒモとして生きて抜け出せないみたいで。

中村

でも案外、その生活を楽しんでいるのではないかしら。

上橋

気持ちよく楽しんで帰りたくなくなっちゃったら、その時にそれがはたして独立した生命と言えるのかと感じてしまいますが、生物として独立しているか独立していないかということは、実はグラデーションだというのも私には大変な驚きでした。養老先生が脳死判定の議論が行なわれている時に、お約束ごととしての死としてしか人間は生物で考えると扱うことができない、結局細胞一つひとつの最後の一個が死ぬところまでが死なのかということになると、これはもう人間が考える死というものとはかけ離れた何かになっていく、と、いうようなことをおっしゃっていて生死の境もまた曖昧です。

中村

さっきおっしゃった、藻類と地衣類は生物学から見ても本当に面白いんですよ。ところが長い進化の過程で見ると、新しいことをして複雑に進化して人間まで繋がってきた道ではなくずっと藻類や地衣類のままでさまざまなことをしているだけとなります。そこで彼らは袋小路に入ったという目で見られる。

上橋

なるほど!

中村

しかし今改めて生きものって何だろうっていう生命誌的な問いをたててみると、動物になりはしなかったけれど、藻類にしても地衣類にしても眼に見えないような世界であらゆる試みをやっている。

上橋

『鹿の王』を書いていたとき、感染症と戦う物語の中で免疫活動の他に、ある程度の人間が生きられる薬にはどのようなものがあるか探していたんです。ペニシリンのような菌類が作る抗生物質を手がかりに調べると、藻類にも、感染を予防する力を持っているものがあったり、あるいは東洋医学で用いられるような植物にも効果があることを知りました。

中村

薬草的なものね。

上橋

そうですね、薬草的なものの中に自然界の抗生物質的なものがある。なぜかといえば地面の中に根を張って生きていかざるを得ない植物は、常に菌類との戦いと共存の歴史だからその中で自分の体内でそれを合成しているというのを読んだ時に、面白いと思いました。人間は、外の物から薬になる自分の体を助けるものを探して引っ張り出して抽出して取り入れるけれども、植物や藻類の場合は身の内側から作るのかと思い、藻類ラブになり、地衣類ラブになっていきました。地衣類について知るために国立科学博物館の大村嘉人先生のところに伺いました。それまで私は大勘違いをしていて、2つの生きものが共に生きるということは根をおろしてくっついているのだと思っていました。それを大村先生はとてもかわいい表現で「いや、菌類が藻類を抱っこしてるんですよ、抱っこして跳んだりするんです」って。なんて可愛いんだろうなと。くっついて、藻類を動かないようにするけれど、菌類は光合成でのエネルギーを貰えている。私が生物のお話が大変面白いのは、やはり生きること死ぬこと、この世にあることの人間が想定しているものを超えた様々な形が多様に見えてくるところです。

中村

そういう目でみると人間って何にもできない存在でもありますよね。

上橋

そうなんですね。アウトソーシングで乗り切る。だから他を利用する力は凄いですね。

中村

全部頼っていますものね。だけどこういうものが居るというのが、また面白いですね。

5.なぜを心に持ちながら科学する

上橋

文科系的な作家的な脳みそからすると常に自分をモデルとして物事を想定してしまうものですから、脳が無い生きものたちが、物質を分泌させたり作ったりするのはなぜだろう、そのシステムのそもそもの命令者は何なのかということを知りたくてたまらなくなります。あるとき山極寿一先生とゴリラの話をしたのですが、私が「なぜこうなのでしょうね、その目的は」と聞いたら「上橋さん、科学者はなぜを問うてはいけないんだよ」と言われました。

中村

「なぜ」は科学の外なんですね。WhatとHowしかないのです。科学という学問は、WhatとHowで進めるのですが、科学者自身の気持ちの中にはなぜを入れておいた上でWhatとHowを考えていかなければいけません。今の科学教育はなぜを持つ教育をしていないのです。

上橋

「なぜ」というののレベルが二つありますね。大きな「なぜ」、総合の「なぜ」。これはやがてもしかしたら神に行きつきそうなので、ちょっとペンディングをしておく。でも心の中に持っておかない限り見ることができない。

中村

そう。それなしでやると、とんでもない科学者になると思うのです。だから今問題が起きているところを見ると、心の中に「なぜ」を持たなくなっているからです。科学ってWhatとHowですよって言われたから、それだけやって役に立つ技術を作ればいいと思うわけです。それは間違いです。

上橋

人類学会で発表を聞きながらよく思うのが、学問の非常に正確無比な部分を求めようとして、言えるところだけに集中をしていくと、この事象ではこうです、この村のこの事象ではそうですというのが果てしなく積み重なっていくだけだなぁと。人類学がそもそも考えていた「人類とは」というところに心が行きつかないままいつも終わってしまうのがもどかしいのです。

中村

私が物語にしなければ答えは出ないと思ったのはそこなのです。事実を積み重ねることは大事ですから、その時にはWhatとHowに制約する。約束事として制約しないで、なんでも入れたらデタラメになります。

上橋

そこは正確さが必要ですね。

中村

ただ自分の心の中には「なぜ」を持って、最終的には物語を紡いで終わる。自分の仕事はそれで終わると思って研究を進めていくことではないかな。

上橋

素晴らしいですね。ほんとにそうだと思います。そして人が出来る精一杯のところは、ギリギリのところが実はそこなのかという気がします。

中村

今の科学教育はギリギリを考えないでWhatとHowだけで済ませましょうとなっているので、若い人がそこに気がつかない。

上橋

もったいないですね。

中村

考える能力を持っている人がたくさんいるのに「あなた心の中でなぜを持っていなければ駄目よ」と言ってくれる人がいない。だから上橋さんがなさっていることは、全体繋がっていることを具体的に見せてくださっていますから、若い人へのメッセージになると思います。とっても素晴らしいことです。

上橋

どうもありがとうございます、そう在れたらよいのですが。それこそ私の今現在のギリギリのところから出てくる何かなんですけれど、私自身が知りたいということ、この世がなぜこう有り、こうなっていくのかという問いなのです。

中村

専門はなんであろうとそれを考えない人間っていないはずですよね。ほんとは政治家にも考えて欲しいですね。まったく考えていないとしか思えないから。

6.寛容であること

上橋

学生さんや若い人たちと話していて時々思うのが、現状をいかに豊かにするかに専念することがとても大切で、新しいものや知らなかったものを見てそこから振り返って変えようという感覚が希薄だということです。

中村

それは、困りましたね。

上橋

藻類が進化の袋小路にゆっくりと浸かってチョコンとしているようなイメージが私にはあります。ただ藻類が幸せでいられるためには非常に多様な能力を持っていなければいけないし、それから他の生きものとの共生を上手くやらないとできないわけです。藻類のようにしたたかだけれどのんびりと上手に落ち着けばいいですが、一方に人間には変化を求める危うさがあります。個のアイデンティティは良いものであると同時に恐ろしいものでもあるので、危惧しています。

中村

そこが一番問題ですね。私、年の初めに今年の言葉として寛容ということを書きました。塩野七生さんが、ローマというあれだけ栄えた国がなぜ滅びたかといったら寛容を失ったからだと書いていらしたのです。今日本はそういう感じになっていますでしょ。それは滅びの道かなと思って。

上橋

人々が日本という国の生命力が少し弱っていることを予感しているのかとも思うのです。例えばローマが、日の出の勢いであった頃は寛容であれた。属州を大量に持ち他民族を我がローマの中に引き入れながら生きていました。やがてローマというものが疲弊し始め老いてちょっと生命力を失いかけていくと、ローマ人のほうから見ると非常に力のある新興の人々の生命力が恐ろしくなってくる。

中村

そうですね。ニワトリが先かタマゴが先かですね。

上橋

そのとき例えわが身が食われて滅びようとしていても、その身を他の人々に支えてもらっているのだからありがとうと思えるのが寛容です。それでも構わないと思うし、あるいは我というものが他のものに触れられて変わっていくのであれば、それもまた良しと思える寛容、この二つがないと多分日本というのは駄目になっていきます。

中村

生きものが続いてきたベースにはそれがあると思うのです。生きものの凄いところは、やっぱり続いてきたところでしょう。

上橋

そうですね。

中村

生きるというシステムは、38億年続いてきたのです。そこにいまおっしゃった寛容があります。

上橋

変な言い方ですが変化しても続き続けるという。

中村

変化したからこそ続いたともいえますね。

上橋

ところが人間にとって変化とは痛みですよね。変化がないと耐えられないけど変化が痛みである。

中村

最近はその痛みを避ける傾向があるのかもしれませんね。ですがそれでは生きていくことにならない。やっぱり、生きているということをしっかり考える社会にならないと。知ること、考えることを避けるようになってしまったら怖いでしょう。

上橋

中村先生は実際に手で糸を紡いだことおありですか。

中村

本格的糸紡ぎはしたことがありません。

上橋

私は、学生を連れて行きまして体験をしたのですが、例えば獣の毛は非常にほやほやと解けやすいものです。それにねじりを加えツーと紡いだ途端に、非常に強靭な何かに変わって、それを使うと布に織り上げることができます。人間の能力のおもしろいところというのは、素のものに手を加え、関連づけて新しいものを作りあげるところ、それが想像力だと思うのです。

中村

糸に紡いでいくことで二次元にも三次元にも作っていけますね。

上橋

先生のおっしゃる寛容はとても強靭な心がないと生み出せない寛容です。抱っこしてもらって繭の中にいなさいと言ってもらえれば幸せかもしれませんが、日本という繭は人々が紡いでつくっていくもの。それを紡ぐ形がどんどん変わっていかざるを得ないとしたら、どういう形に変えていくのかを一人一人が絶えず考え続けるしかない。

中村

そうですね。そういうことをお説教されたらちょっと困ってしまうと思うけれど、上橋さんがこういうファンタジー、物語の形で表現なさるのは、今とっても大事だと思います。

上橋

私はもともとファンタジーというものに心ひかれたのは、分かっていることの向こう側があると感じさせるものがファンタジーだと思っていたからなのですね。私が実はこれまで書いてきた全ての物語は向こう側がどこかにあるのです。

中村

そうそう。読んでいてそう感じます。

上橋

そして、子供の頃から物語を愛してきた私は、例えばそれこそローマ時代に占領され属州支配されていたイギリスの若者が、被征服者であるケルト人の若者と出会ってというような、一人の人間の悲しみであったり、喜びであったり、口笛を吹く感覚であったり、そういうものの全てとして描いたものを読むと、読み終わった時に総体として伝わってくるものがあるのです。そうであって欲しいのです。

中村

そうです。上橋さんの書かれた物語は正にそうなっていますね。

上橋

ありがとうございます。中村先生が織り上げていらっしゃるこの生命誌も正に総体としてのものですね。

中村

私の場合はこういう形でしか織れないので、これを20年続けてきました。上橋さんのように物語の形で伝えることはこれからとても大事なことだと思います。今日はいろいろ教えていただきありがとうございました。次の物語を楽しみにしています。

 
 

写真:大西成明

 

対談を終えて

中村桂子

生命誌を応援してくださったまど・みちおさんと同じ国際アンデルセン賞受賞。生きる力の世界と医とを絡めて紡いだ『鹿の王』。その背後にあるアボリジニ研究。これではお話を伺わずにはいられません。言葉の端々に小さな頃から生きているってどういうことと考え続けていらしたことが見えて、とても愛おしいすてきな若い仲間でした。科学や技術の進歩で見える世界の先にあるもの、ファンタジーと並んで生命誌もそれを探り続けます。

上橋菜穂子

長い間悩み続けていたことに、ふっと光が射した……今回の対談は、そんな経験でした。
狩猟採集で生きてきた人々が、入植者の社会に飲み込まれていったオーストラリアで、多文化共存を生々しい日常から見つめ、考えようと格闘した20年。万華鏡のように変化する人々の心情を、学問でつかまえようとしても、膨大なものが指の間をすり抜けていくことに苛立ちと無力感を覚えていました。
一方、目の前に展開する万象は私の中に蠢きつづけ、それを物語として紡ぐと、論文より遥かに多くを伝え得る何かに変わるのです。
これで良いのだろうか、と自問自答し続けていたのですが、中村先生は、それで良いとおっしゃってくださいました。物語は人という生きものが、生きていくことの中で身の内に溜め、考えつづけるあれこれを、他者が受け取りやすくする行為だと。しかも、個々の事象ではなく、動き変化し続ける総体として伝えると。そして、それは生命誌が目指しているものに一脈通じるとも。刺激に満ちた、多くの意味で救っていただいた対談でした。

上橋菜穂子(うえはし なほこ)

1962年東京生まれ。立教大学文学研究科博士後期課程単位取得。文学博士。オーストラリアの先住民アボリジニを研究。1989年、『精霊の木』で作家デビュー。現在、川村学園女子大学特任教授。産経児童出版文化賞、野間児童文芸賞、米国バチェルダー賞、国際アンデルセン賞作家賞、日本医療小説大賞、本屋大賞などを受賞。著書に『精霊の守り人』、『狐笛のかなた』、『獣の奏者』、『鹿の王』など多数。


 

季刊「生命誌」をもっとみる

映像で楽しむ