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TALK

AIじゃないロボット “今”に生きるためのテクノロジー

吉藤オリィ分身ロボット研究者
中村桂子JT生命誌研究館名誉館長

東京日本橋にある『分身ロボットカフェ DAWN ver.β』では、外出することが困難な方々が分身ロボットを遠隔操作しサービスを提供しています。ここで、分身ロボットの開発者である吉藤オリィさんと中村桂子名誉館長が、テクノロジーを通して見えてきた人間の可能性について語り合いました。

1.AIじゃないロボット

中村

こちらの分身ロボットカフェを開いたのはいつごろですか?

吉藤

この店は今から3年前、2021年の6月にオープンしました。その前に、2018年に別の場所で実験的にスタートしています。当時、遠隔操作のロボットがカフェで接客をするなんて、誰にも理解してもらえませんでした。会社の同僚も「なにを言っているの?」という反応で。「誰もが寝たきりでも働けるカフェ」という構想に、耳を傾けてくれるスポンサーもありませんでした。

中村

このような形で動かすことで、できることのイメージを具体として見せるのは大事ですね。

吉藤

新しいことって、初めは誰もわかってくれないものだと思っています。おそらく私も逆の立場であれば、他人の頭の中にあるものってイメージができないと思うんです。反対にイメージができる人は、多分かなり変な人です。

中村

私は、変な人なのかな。アイデアを聞いて「面白い!」って思う時が一番楽しい。

吉藤

世の中のあらゆるサービスを作ってきた人は、自分にしか見えないものが絶対にあります。それを人にプレゼンしても基本的に理解はしてもらえないし、誰もお金を出してはくれない。その中でどう実現していこうかともがきながら、2010年にOriHimeというロボットを作りました。あの頃も「AIじゃないロボットは、ロボットじゃない」と言われました。

中村

外のポスターにも書いてある「Ain't AI」という表現に「おっ」と思いました。

吉藤

いいでしょう。日本語だと「AIじゃねえぜ」でしょうか。

中村

最高です。とてもおしゃれだし。今の社会に対するメッセージとして、大事なことを見事に表現していますね。

吉藤

仲間たちと一緒に考えた言葉です。愛・地球博(2005年)の頃からロボットにはAIが搭載されていましたし、ASIMOくんPepperくんが次々現れてくる中で、我々は日陰でやってきました。人が遠隔で操作するロボットは、テクノロジー的に最先端ではないと言われていました。

中村

AIを全否定はしませんが、AIは人間がこれまでにやってきたことだけから結論を出そうとするでしょう。けれど現実は、やってこなかったことや分かっていないことのほうがはるかに多い。AIよりもオリィさんのやっていることの可能性の方が大きいと思うの。

吉藤

もともと孤独とは何かという問いからスタートしていて、孤独を解消しようというのが我々の研究テーマなんです。そもそも私、人と会話をするのが苦手で、嫌いで。10代の頃は本当に友達が少なかったんです。「出会い方」や「接点」を作りたいのであって、あまりロボットを作っているつもりはないんです。

中村

接点を求めたからこその姿がOriHimeなんですね。あの形や動きにその思いが込められていると感じます。

PICK UP

分身ロボットカフェ DAWN ver.β

株式会社オリィ研究所が運営する常設実験カフェ。さまざまな理由で外出することが困難な方々が分身ロボットを遠隔操作しスタッフとして働いている。2025年現在、70名を超える個性豊かなメンバーが日本国内外から勤務している。



[住所]
〒103-0023
東京都中央区日本橋本町3-8­-3
日本橋ライフサイエンスビルディング3  (1F)

[最寄駅]
●東京メトロ日比谷線 : 小伝馬町駅 徒歩4分
●JR総武線 : 新日本橋駅 5番出口すぐ
●東京メトロ銀座線 : 三越前駅 徒歩7分
●JR山手線 : 神田駅 徒歩10分

公式WEBサイト



2.孤独な状態からの脱却方法

中村

オリィさんは人とのつながりをすごく求めていらっしゃるし、大事にされていますね。

吉藤

ええ、あまりにも。不登校だった3年半の間、すごく孤独を感じたんです。ロジカルに考えた結果、自分がいない方が家族は幸せだとまで思ってしまって。死を選ぶ人がいる人の気持ちがわかるほどに辛かった。

中村

いくつぐらいの時ですか?

吉藤

12、13歳の頃です。それで孤独な状態からの脱却方法の研究に興味があって。20年くらい前は「ゲームばかりしていて将来大丈夫か?」と言われるような時代でしたが、私にとってゲームは一つのセーフティネットだったんです。絵本を読むのと同じで、ゲームをやっている時だけは物語の中に入って、心を逃がせる。すごく大事なことでした。人間が怖くて居場所がない私も、なぜオンラインゲームなら友達ができてこんなに社交的になれるんだろうかと。その感覚がすごくヒントになっているというか。

中村

そういう状況から、新しい形を考える方へと展開した例として、悩んでいる若い人を心強くさせますね。

吉藤

クラスの仲間と一緒に勉強したり、ドッジボールをしながら友達をつくることはできなくても、インターネットのオンラインゲームだと友達ができるし、チャットで会話することもできました。つまり私は人間が苦手なのではなく、単純に仲良くなるための「自分に合った方法」がないだけだと気がついた。私たちは進化の過程で現在のようなデザインの身体で生きているけれど、これが一番友人を作りやすいデザインかといえば、きっとそんなことはない。もっと人と出会いやすいインターフェースがあるかもしれない。もともと体も弱くて、入院したことをきっかけに不登校になったんですけど、その頃から、もう1つ体が欲しいと思っていました。学校に自分の分身がいて、ロッカールームからガチャッと出て、最後はガシャンッてロッカールームに自分の体をしまって鍵をかけて。意識をパンっと戻せば、家のこたつにいる自分がむくっと起き上がるみたいなことができたらいいのにって。小学生の妄想ですけれど。 

中村

なるほど。今につながりそうな可能性がみえますね。

吉藤

不登校がしばらく続いたあとで、工業高校でいい先生と出会えたんです。出会いって、ものすごく大事だと思っていて。出会うことで人は変質する、というのが私の仮説なんです。不登校のきっかけは入院だったので、車椅子があったら学校に行けたんじゃないだろうかと考え、工業高校では段差を上れるかっこいい車椅子を作る研究をしていたんです。いくつかの賞をいただき、先生たちからも「君は研究者に向いているよ」と言われて。そこからまたいろんな出会いがあって、高校3年生の時に「孤独の解消」を人生の研究テーマにしようと。この研究をするために生まれてきたと自分を錯覚させることで、生きる理由、自分自身が死なない理由ができました。

中村

オリィさんは常に人間を見ているし、鋭い感受性を持っている。それなのに、人が苦手で話すのが嫌いというところが興味深い。

吉藤

怖いんですよ、人が。人間の複雑性が当時はまったく受け止められなくて。子どもの頃は膨大な情報を偏りなく受け止めますが、成長するにつれて脳のフィルターが発達してきますよね。例えば今は壁の染みを見ないようにしようとか、音を気にしないようにしようとか。フィルターが発達して世の中に適応していくはずが、何らかの理由で、発達が遅れたのが私で。

中村

子どもの感受性をそのまま持ち続けていたということ。

吉藤

例えばあまり人に描かれたくない唇の縦のしわとか、鼻の下の縦の2本の線とか、ほうれい線とか。幼稚園の子が、お母さんを描いてみようっていったらそういうのを描くじゃないですか。でも、どこかの成長段階で、情報をそぎ落とすことを覚えて、デフォルメしますよね。それが、私は高校生ぐらいに至るまで、ずっと人の顔を見た時に、その人のまつげだったり眉毛だったりを―

中村

1本1本全部描く。

吉藤

今は全ての情報が入ってこないようにできるようになりましたが、高校生の時まで、相手の目を見て話してると、ちょっと相手の目が泳いだり、眉がぴくりと動いたりすることが気になってしまう。気にし過ぎてしまうがゆえに疲れるし、怖いし、人間はつら過ぎると感じました。

中村

でも先生との出会いがその悩みを乗り越えての今につながった。悩みがあったからこそ生まれたアイデアとも言えますね。

3.人が動かしているから、動いてる

吉藤

2000年の頭に一気にインターネットが活気付いてきて、オンラインのゲームとか、FacebookなどのSNSが出てきて。YouTubeは出てくるわ、翌年にはiPhoneが出てくるわ、シリコンバレーが一気に活性化しだす。日本でもニコニコ動画みたいな文化の発信が現れ始めて。多感な時期にあの勢いや面白さを味わって、技術の可能性を感じました。

インターネットを使うと目が見えない人も、しゃべれない人も、寝たきりの人も、普通に交流ができる。だけど、リアルで会うと明らかに障害がそこに存在する。障害って人と人の間に存在するんです。人と人をつなぐための共通のルールが無い状態。それをインターネットのような、人と交流しやすい属性を持った状態のまま、リアルに降ろしてくる方法がないかなと。逆ヘッドマウントディスプレイ構想です。ヘッドマウントディスプレイを使って仮想現実にダイブするのではなくて、仮想現実からリアル世界にダイブできるツールができないかと。それが、小学校の頃に私が妄想していたもう1つの体です。

中村

もう1つの分身がどこかで代わりに動いてくれるという妄想が技術で可能になると言うことに気づいたんですね。

吉藤

じゃあ、何を満たせばもう1個の体なのか? そもそも“いる”ってなんだろう?ということを研究し始めました。出会うためにはそこにいなきゃいけませんから。目の前のものに知能が“ある”かどうかって、人間には判断できないんです。ChatGPTに意識があるかどうかを判断できないけど、目の前の人間には、自分と同じように意識があるんだろうと想像できる。ぬいぐるみには命を感じることができて、ぬいぐるみが引き裂かれたらショックを受けるけど、スーパーコンピュータ・京が終わった時に、われわれは涙を流さなかったですよね。

観測者側から見る命や存在に興味があって。“いる”という状態は、「自分がそこにいる」と認識することと、周りが「そこに吉藤がいる」と認識されている2つの認知を一致させることだと仮定すると、“いる”っていう状態はつくれるし、自分と全く同じ分身でなくてもいい。心を運ぶ車椅子が作れるかもしれない。「分身ロボット」という構想を2009年に大学の先生たちにプレゼンしたんですけど、誰も理解してくれなくて。じゃあ自分でやろうと思って、自分の研究室を勝手に作りました。大学卒業できなくなるんですけど、別にいいやと思って。

中村

そこで「心を運ぶ車椅子」を発想したことが独自性でありすばらしい。ロボットは機能を考えますが、それを心から始めたところが興味深いことです。

吉藤

ALS(筋萎縮性側索硬化症)や頸髄損傷で寝たきりの仲間たちが、ほとんど毎日OriHimeを使ってくれています。彼らは自分の身体のようにロボットを使いこなしています。

中村

人間は生きものです。しかも急に人間として生まれたわけではなく、他の生き物たちと共有する40億年の歴史がある。それがこの体になり、心があるわけで。知能や知性、精神も、体が基本だというのが生きものを考える生命誌の立場です。体という実態抜きでものを考えるのがAIですよね。人間も、身体から離れることはないだろうし、離れてしまったら人間である意味がありませんよね。オリィさんが悩んだ末に考えた結果が、分身としてのOriHimeの体になっているところが、1つの答えなのかなと思います。

吉藤

中村先生的には、私たちがいつか将来寝たきりになった時に、リアルの世界じゃなくてバーチャル世界・メタバースを生きるっていうのはどう思いますか?

中村

身体性を抜いたら、歴史性を持っているこの自分はいなくなると思います。一人ひとりが親から生まれたんだし、その親はまたその親からと遡っていくと、40億年前に戻るわけでしょう。その歴史性あっての存在。アリも同じように40億年かけてここまで来た、私と同じ所にいる存在となる、そういう存在じゃないと意味がないと思ってるのね。誰かが設計して作ったわけじゃない。そういう意味で身体性っていうのは忘れちゃいけないと思っているんです。だから、オリィさんがAI型ではなく分身の形を考えていることに共感するんです。しかもOriHimeさんの姿が非常に洗練されている。今、本物の人間とそっくりのアンドロイドがあるでしょ。

吉藤

技術的には可能ですね。

中村

40億年の歴史の上にある人間としては、アンドロイドは作ってはいけないと思うのです。人間をつくるなどという気持ちでなく、心を運ぶという考えを表現しているので、OriHimeの姿は美しいのだと思うのです。

吉藤

生命の専門家にそう言っていただけて嬉しいです。中村先生としては、実物と全く同じ顔や身体のアンドロイドがいてはいけないんですね。

中村

唯一無二の存在としてあるものですから。それを勝手につくるのは冒涜でしょう。

吉藤

ここにいる私も、もしかすると、そうかもしれませんよ。

中村

そんな時代になりましたね。ちょっと恐い。OriHimeが美しいのはオリィさんの中に、人間を大事にする思想があって、それが表現されているからだと受け止めているのですけれど。

吉藤

私の中ですごく好きなデザインがあって、その要素がOrihimeに入っています。今のOriHimeはネコと鳥を観察しながら作ったデザインです。見られていると感じませんか。視線とは不思議なもので、目からフォトンが出ているわけでもないし、音が聞こえるわけでもないのに情報を感じますよね。動物同士はアイコンタクトをする。人を含め、生きものは目だけで通信をしてる。その目が合う瞬間の面白さを再現したかったのです。

中村

人間でも、アイコンタクトが言葉以上のものを語りますからね。

吉藤

人でもペットでも、目を合わせてもらえるとちょっと嬉しいですよね。OriHimeを作る時には、ネコが下から見上げてくる感じ、鳥が上から見下ろしてくる感じを意識しました。以前はもっと首を素早く動かして目を合わせていたんですよ。

中村

それが自然に変わっていったのですか。それとも変える必要があったのですか。

吉藤

やっているうちに変わっていきました。カメラの映像で顔を識別して、自動で目を合わせることはできるのですが、ロボットが最短距離で目を合わせることと、私たち人間が相手の目を見ることとは少し違う。私の意思がそこにあるから、おそらくアイコンタクトというものが成り立っているんですよね。ゆっくりでもいいから、「その人が動かしているから、このロボットは動いてる」という状態を大事にしたかった。だからOriHimeは、起動時に首が起き上がる時と、最後首が下がる時以外は、勝手に動かないようにしています。手を上げるのも、首を動かすのも、全部パイロットの人が遠隔操作で行います。そういう調整を経て、今の形や動きに最適化されてきました。

4.“能面”としてはよろしくない

吉藤

個人的に、OriHimeは今の時代には少し可愛い過ぎると思っていて。10年前はよかったんですけど、可愛い情報はもうちょっとそぎ落としてもいいかなとは思ってます。

中村

前はよかったのに、今可愛いのがいけないという変化は、オリィさんの気持ちですか。それとも社会の変化。

吉藤

OriHimeは15年前に作った時は、どちらかというと怖いと言われていたんですよ。例えばですけど、今から15年前とか20年前は、カエルの嫌いな女性が多かった気がしませんか?今カエルって、可愛いという印象をもたれていますよね。20年の間にカエルのデザインは変わっていないのに、それを受けとる人間の感受性に変化があった。私たちは今、成人男性に対しても可愛いという表現をしますよね。私たちの可愛いという言葉の範囲がここ20年で広がってしまった。

中村

日本の文化の象徴みたいになってますね、今。

吉藤

昔のイケメンと今のイケメンの定義が違うように。可愛いっていう幅が広がり過ぎてしまったことで、OriHimeは15年前はかわいくなかったはずなのに、今は可愛いと言われてしまうようになった。OriHimeに可愛いという情報が無い方がいい人もいるはずなんですよね。その人に対して無理やり可愛いの属性を与えてしまっているのは、私は“能面”としてはよろしくないなと思っている。

中村

抽象的にしたいわけね。

吉藤

第一印象に“ゆらぎ”をつくっておきたいんですよ。特に私たちの作っているものはAIじゃないので、奥に人がいるんです。その人がそこにいると感じさせたい。例えばドラえもんがいたとして、その中身が自分のお父さんだったら嫌じゃないですか。ドラえもんとお父さんのイメージにギャップが存在する。われわれが作るロボットは分身という依代(よりしろ)なので。動いていない時は何者でもない、物でなくてはならない。

中村

ゆるキャラとは正反対ね。

吉藤

ええ、ゆるくあってはいけないんです。固くあってもいけないんですけど。

中村

何者でもなく、奥にあるものが全てこちらとの関係で出来上がる。そういうものが作りたい。

吉藤

操作した人のイメージに収束させるためには、宿る前の身体にキャラクター性がないほうがいい。ネコ型やイヌ型も作ってみたんですけど、イヌ型にすると、みんなからイヌ扱いされて「お手!」って言われたりする。イヌになってみたい人はいいですよ。われわれも老後に体が動かなくなったら、ネコ型になってネコの井戸端会議に参加したり、ペンギン型になって群れに混じって海で泳いだり、卵を孵すことができるかもしれない。それはそれで悪くない。だけど、まず私たちは人間社会に重きを置いていますから。では人間社会に入っていく時に、果たして「本人と全く同じ体」でなくてはいけないのかというと、そうではない。

情報って、多ければ多いほどいいと言われるけど、私は違うと思っていて。われわれ人間には、アイコンタクトや表情など、見出す力があって、見出してしまう。本当にわずかな変化でも、人はそこから広げることができるからこそ、行間が必要だったり、“間”というものが大事だったりすると思っていて。でも初めはOriHimeには全く目もなく口もなく。口は、今もあまりないんだけど。初めの頃は雪だるまみたいなのを作ってみていました。

中村

雪だるまみたいだったなんて、面白いですね。

吉藤

目すらないロボットから、人は何も見出せないんですよ。

5.寝たきりの先輩

吉藤

OriHimeには初め腕も無く、みんなから怖いと言われました。「腕がないと人間じゃなくなっちゃうんだ」と力説してきたのが、親友の番田雄太という男で、彼のいう通りに腕を付けたら全然違いました。OriHimeが手を上げて「やあ」と言うだけで、周りが笑顔になってアイスブレイキングが起こる。お互いに手を振りあえば関係性が変化するんですよね。そのことを、腕を動かしたことのない番田はよく理解していました。彼は亡くなってしまいましたけど、一緒にOriHimeを作ってきた男です。私たちは目を見て話しなさいと言われてきたけれど、そもそも寝たきりの番田は後ろから声をかけられて声だけで返すというコミュニケーションが当たり前でした。OriHimeを使っても首を動かすという感覚を持っていなかったのに、動かしたことない首、動かしたことのない腕について学習していき、そっちのほうが人と仲良くなれるんだと気付いて、OriHimeの動きを一緒に作ってきた。その結果としてあるのが、このカフェのOriHimeのモーションです。

中村

私たちは手があるのは当たり前、首が動くのは当たり前と思っている。それが当たり前でない人が、どうしても必要なものとして要求したのがあの形なのね。

吉藤

面白いですよね。20年寝たきりだった番田にとってのコミュニケーションと、体が動くのが当たり前でいる人たちのコミュニケーションは全然違う。目を見て話しなさいとか、ボディーランゲージ、ハグや握手とは全然違う世界で番田は生きていた。

中村

体が動く人側から考えて作るより、番田さんの方から考えて作った方が、本質的な物ができたということから、多くを学べますね。

吉藤

私はそう思っています。だからこそ、私は番田雄太を「寝たきりの先輩」だと言っています。番田は、自分を先輩扱いしてくれたのはここだけだ、と言っていました。でもそうじゃないですか。私は3年半だけでも発狂するぐらいの辛さだったのに、彼は4歳から23歳で私と出会うまで、首から下の感覚がない世界で病院から出ることなく過ごしてきた。彼と出会った時は尊敬の念しか湧かなかったです。どうやって彼は自我を保ったんだろうか。彼は顎を使ってパソコンを操作して6000人にメールを送ったらしいんですが、ほとんど返事はない。われわれは、目の前にいる人に対しては反応できるんですよ。でも、知らない人からメールが来ただけだったら、だいたいは無視しますよね。

中村

そこにいないのと同じだから、反応する人がいないのね。

吉藤

彼はめげずに、リアクションのない世界でメールを送り続けていたんですよ。そんな人間は他にいないと思い、会いに行ったらすぐに意気投合しました。友達のいなかった私に生まれて初めて親友と呼べる男ができたんです。彼が23歳、私が24歳の時です。

会社ができたばかりの頃にOriHimeを使って遊びに来てもらったのですが、遊びに来てもらっても、私は仕事をしている。立場が違うんです。立場というよりは、時間の貴重さが違う。人間には偉いも偉くないもなくて、単純にその瞬間の責任であったりとか、時間の価値に多少差が出るだけだと思うんです。

例えばドライブしている時に、私は車の中にいる。OriHimeの番田は、寝た状態で病院の中にいる。そうすると目的地に着くまでの時間ってお互い暇なんですよね。このドライブ中は時間の価値が近づいて、偉さというものがなくなると私は仮説を置いていて。そのように、一つのミッションに対して一緒に向かっている状態を職場でどうつくるか、人間社会でどうつくるか。“役割”というものがすごく大事だと思い、番田に「寝たきり秘書」という新しい役割を作って、私のスケジュール管理を任せました。結果的にいないと困る存在になって、彼が亡くなった時に私の業務はストップしたほどです。

私は将来寝たきりになっても、番田雄太ができたのだから我々もできるかもしれないと考えることができる。それがうちのカフェの根幹です。カフェで働くOriHimeのパイロットの4割ぐらいは、今まで働いた経験がない人たちですが、OriHimeを使って半年ぐらい働いてもらうと、自負が生まれて自分を変質させていくんです。私はロボットが作りたかったわけじゃなくて、人がどう変わっていくのか、どう人が出会っていくのか、どう自分というものを信じてもいいかって思えていくのか―

中村

ロボットではなく、人の変化を作りたかったのですね。

6.運任せではない出会い方

中村

オリィさんって最初から、人が苦手と言いながら、一番関心があるのが人ではありませんか。これまでのお話も全て人を語っている。ロボットやAIをつくっている人には、人に関心を持っているとは思えない人が少なくありません。人について考えることが一番大事なことですよね。人間としてお互い関心を持ち、お互いどうやって生きていこうかを考えることが、社会で生きてる時に一番大事でしょ。今それを無視して、AIでできればいいじゃないか、機械でできればいいじゃないかとなってる。

最初出会った先生、それから番田さん。全部人がオリィさんを動かしているし、オリィさんは人をとてもよく見ている。番田さんとオリィさんが出会わなかったら番田さんはお話してくださったように思い切り生きられなかったでしょう。オリィさんが番田さんを人として、見たからそうなったのでしょう。

今一番大事なのは、人が人を正面から見て、お互い関わり合っていくことですよね。一人一人が人間らしく生きられるような社会にしようよっていうのが、人間として生きてきた人の役割だと思うのね。人間が苦手なオリィさんが一番それをやってるというのがとても興味深い。

吉藤

それでも私は、あまり人は好きじゃないです。

中村

でも今までの話、全部人から学んだし、人をどうしようと思っている。

吉藤

一番人生でストレスなのも人なんですよね。人といっても目の前の人や誰か特定の人ではなくて、ヒューマンの方にきっと興味はあるんです。

中村

人間とはどういう存在であって、どう生きなければいけないかということを毎日考えているのだと思うの。それが今の社会に一番必要なことであり、番田さんという一人の人の生き方を変えた。そしてOriHimeという形で見えるようにした。今の社会に対するメッセージとして面白いしとっても意味があると思います。

吉藤

私は人が好きではないし、優しくもない。人を救いたいというモチベーションでやるのではなくて、仕組みを考えるほうが好きだし、現象は好きなんですよね。この肉体でうまく社会になじめる人はそれでいいんですけど、なじめない人が居場所を失って、リアルでは生きられなくなって。インターネットとかオンラインの世界、ゲームの世界に一回心を逃がして、でも結果的に就職も難しくなってしまって、自分がいないほうが社会のため、家族のためと考え、究極の選択をしてしまう人がいることもわかります。

中村

私の時代はこれからより良い社会になると信じていたので、そのように自分を追い詰めずに過ごしましたが、行き詰まり感のある今、若い方の悩みは深刻だと思います。本当はこんな時代だからこそ新しい道を探してほしいと願いますけれど。

吉藤

きっとそこは、居場所をうまく作ったり、気の合う友人を作る方法が足りてないだけだと思うんですよね。例えば電車に乗る時も、1時間ぐらい一緒の旅路を他の乗客と同じ箱で旅しているんです。あれだけたくさんの人が移動しているので、その中に分かり合える友人はいると思う。システムをそこで利用しないのはとんでもない機会損失だと思うんです。

振り返った時に、あの人がいたから自分の人生はあるっていうのって、みんなあるじゃないですか。それぐらいには人から影響を受けているはずなんですよ。あの出会いがなければ今の自分はない、出会ってよかったって言っている割に、出会いの求め方自体がとても運任せであり、方法って確立されていない。それがないほうが運命的で楽しいという考え方もあるかもしれないけど。

中村

すべての人に出会いの場があるようにしたいという気持ち、共感します。

吉藤

“出会いを目的としない出会い系”が必要なんですよ。私たちは出会いを目的とせずに、出会うために人間社会に溶け込もうとしているんだと思っているんです。

中村

出会いの大切さは私も感じています。あの方に出会わなかったらこれはできなかったと思うこと、何度もありましたから。

吉藤

もちろん計算された出会いに価値がないという人もいると思うんです。

中村

その辺が難しいなとも思うの。つくられてしまうと意味がなくなるかもしれない。出会い過ぎてもよくないし。

吉藤

自分と通信がしやすい人としかコミュニケーションを取らなくなる時代が来るかもしれませんからね。みんながみんな人と出会いたいわけではないとは思うんですけど、人と出会うことによって私は人生が変わると思っている。

中村

出会いがプラスに働くには、みんなが信頼し合い、助け合う社会であることが必要。特にネット社会などその辺が気になります。

吉藤

悪意のある人もいますし、良くない人との出会いは人生を狂わせますからね。でも本当に居場所がなくて、友達が欲しいけれど出会い方が全く分からない人とか。例えば、リアルでは呼吸器を付けているような事情のある人たちが、同じような気持ちの分かる仲間とどう出会えるか。それが、今の自殺率を食い止める方法だと思っています。

中村

出会いが大事であり、それがないがために苦しんでいる人がいるのも確かですから、良い出会いは必要ですね。

吉藤

いっぱい出会ったとしても、その中で一緒にキャンプ行こうっていうのは本当に一握りでしょう。でも、1万人に1人ぐらいしか理解者を得られない人がいたとしても、1億人以上いるんですよ日本って。世界的には80億人いるわけですよね。80万人ぐらいの理解者を得る可能性がある人って全然孤独じゃないはずで。あとはそれをどうつなげられるか。

7.アーカイブ人類

中村

昔は社会が小さかったわけです。村とか集落とか。脳の大きさからいくと人間って150人ぐらいしか、本当の仲間にはなれないということが分かってますから。リアルに仲間意識が持てる30人や50人の集落で生きてきたのが人類の歴史。今それがどんどん大きくなって、1000万人の都市とか80億人の地球を考えられる。一方で集落は壊れつつある。そこが、もう1つの問題としてあるのではないかと思う。それを壊してるのが現代技術社会だとしたら、それを現代技術で全て解決するというよりは、なぜ壊れたのかを考えて、社会のありようを考える方向もあると思うのです。

吉藤

私は、そこは適材適所社会というアプローチが有効なんじゃないかと考えていて、つまり150人ぐらいの村の中で社会を回していくには、みんな多分やることがいっぱいあったと思うんですよ。

中村

確かに忙しいです。でも、やっていることの意味がわかるので楽しいのです。地方での活動に参加すると身近な人のために働くことができて生き生きすると感じます。

吉藤

大きな都市では、大量生産の大量配達の大型企業に、近くの八百屋みたいな感じのお店は太刀打ちできない。そうじゃなくて、30人ぐらいの人が自分のお店に来てくれるぐらいの維持の方法ってなんだろうと最近考えていて。つまり適材適所社会。みんなに何か役割があるという状態。「俺やることないな」とか、みんなから「お前は何もしないで座ってろ」と言われるような状態を解消することによって、もう1回村のような状態を作れないかなとは思ってます。

中村

地球全体のことを考えられる現代はすばらしいし、その考えは大事だけれど、集落は人間の基本だから、古いからと無視して、大きなところだけ考えるのでは、決して社会は成り立たないでしょう。昔へ戻れというのではなく、新しい集落。

吉藤

便利と効率というものをどう捉えるか。今の時代、私たちが自由に使える時間を奪っていく存在は、AIではなく“過去の人間”だと私は思っています。人類史上、過去の人間と対話する時間が一番長い時代とも言えるんじゃないかと。

例えばこのインタビュー記事も、過去の私たちが話している内容です。昔の人は目の前の人と対話して、目の前の人にチューニングしていたはずなんですけど、今は長ければ1日の半分ぐらい、本、動画など、過去と対話している。その時間は、本来、今生きる生きもの同士のコミュニケーションに使っていた時間です。AIに仕事を奪われるよりも先に、過去の人類、“アーカイブ人類”に仕事を奪われているのが今なんです。そういう時代になっているのも、目の前の人とのコミュニケーションに我慢しなくても、AIだったり目の前の人間じゃないものに心を逃がしていく選択肢が広がっていた理由だろうなとは思いますね。

中村

面白い考え方ですね。今が軽んじられているとは私も感じています。AIは過去のデータを大事に扱うのであり、結局過去ではありませんか。

8.生きるって、今

吉藤

人類の生ける時間、使える時間もお金も限られているし、なんなら関係性っていうものも限られている中のリソースが、ほとんど過去に消費されていってしまう。そこを果たして止めることができるのかどうか。もしかするとわれわれは、過去の人類とだけ語り合っていれば幸せを感じるというふうに進化してしまうのかもしれない。今の時代私たちはその事実に対して、抵抗感や気持ち悪さを感じると思うんですけど、ゆくゆくは感じなくなるかもしれない。

AIによって過去の偉人を目の前に復元させて対話したり、自分のおじいちゃんや、亡くなった旦那ともう1回しゃべったりといった、過去の人類との対話で自分の人生を消費していくことが、人間の経済として回っていく地点に到達するんじゃないかとは思いますよね。いいか悪いかはさておき。

私たちは基本過去にダイブしているんですけど、もう1回、リアルというこの今にどうダイブするのか。今をどう楽しみ、今をどう感じ、そこから今をどう連想するのか。未来を見過ぎず、過去に漬かり過ぎず、今に集中する時間。

中村

生身の中には40億年という過去を未来へ続く可能性とが入っているのだけれど、その中で今を見つめ、今を生きることが生きものであることなのです。

吉藤

過去と未来を見ていたほうが幸福を感じてしまうなら、今には集中できません。今というものを楽しむライフスタイルは道徳なのか宗教なのか、どんなOSによって成り立つのかを考えないと、人って変化しない気がするんですよ。

中村

でも生きるって、今でしょ。

吉藤

今です。間違いない。

中村

そうすると今がなくなった人間って何なんだろう。

吉藤

今年4月にデンマークに分身ロボットカフェのコラボレーションのカフェをオープンしました。10年くらい前からよく交流をしていて、デンマーク大使館が一番初めにOriHimeを導入してくれたんです。デンマークはヒュッゲ(HYGGE)という言葉があって。幸福というものについて、自分の中で一つ軸を置いて、何も生産的なことをしてるわけでもなくお金的なものでもなく、ただただ気の合う友人と語り合う、のんびり、まったりとした時間っていうものをすごく大切にする。すごく今を生きてる気がしますよね。

中村

デンマークだけでなくて、北欧がそうね。フィンランドも、スウェーデンもヒュッゲという感じがありますね。長い歴史の中でつくられてきたもの、そこには自然も関わるでしょう。日本についてそれを考えなければなりませんね。

吉藤

土地に根ざしたライフスタイルですね。

中村

身体性とか今を生きるとか、孤独というお話がありましたね。今の社会、個を強調するじゃないですか。もちろん個は大事です。人間80億人いても1人として同じ人はいない。唯一無二の個ですが、個は個としてたった1つで存在することはない。いつも仲間がいる、“私たち”なのです。“私たちの中の私”という存在しかありません。

「生命誌」で一番大事なのが、「私たち生きものの中の私」です。その中に人類があり、日本人がいる。そのような世界観をもつと、今日お話ししてきたような、いろいろな問題を考え直す時の1つの切り口になります。私たち生きものは地球がなければ存在しない。その地球は宇宙の中にあるわけで、「私たち生きものの中の私」という捉え方は宇宙と個を結びつけます。

オリィさんは全然違う形で孤独から始まりOriHimeさんという形で答えを見つけはじめていらっしゃるのだけど、求めているものは重なっている。一見全く違うと見えるかもしれないけれど私の中では重なってきているのです。

吉藤

どういうところが重なっているように感じられますか。

中村

例えばこの図では、私という個から見た時に、家族がいるというのが日常ですけれど、そこにはしがらみもあって面倒でしょ。そこでかえって孤独を感じたりするわけです。

吉藤

面白い図ですね。個の私に近いほどストレスを感じます。

中村

その延長上で学校も職場もある。だから引きこもろうとなるわけじゃありませんか。生きものの側からスタートすると、引きこもれない。その中で、たまたま人類っていう仲間にいるんだな、とわかってくると引きこもれなくなる。

吉藤

わかります。

中村

生きものの側から、人間の社会の方向を見れば、OriHimeさんのようにAIでなく人が操作するロボットが生まれる。個の側からいくと、人間の模倣のアンドロイドになる。「私が、私が」になり孤独の問題は解決しません。生きものの側から考えていくと、自由にできるんですよ。こんなことをオリィさんは全然考えていらっしゃらないと思うけれど、実は重なっいてるなと思って。

吉藤

ありがとうございます。面白いですね。外側にいくほどテクノロジーが影響を及ぼせるものの限界を感じるような気がします。多分ですけど、私はホモサピエンスぐらいから外側、宇宙とかに対して変化をもたらすようなテクノロジーを作りたいと思っていなくて。

中村

私も。火星に行くための技術は、私たち人間の問題を考える時に、あまり関係ないと思うんです。関係のある技術は何か、と思ったらOriHimeさんのようなものじゃないかなと。だからOriHimeに、大きな可能性を感じるんです。さらに楽しい展開をなさってください。

写真:川本聖哉

 

対談を終えて

中村桂子

日本橋のビルの一角にあるカフェは、ほとんどが海外からのお客さんで、なぜかは分からないとのこと。春らしい服のOriHimeが飲み物を運ぶ姿は健気で可愛いものでした。OriHimeのパイロットであるまちゅんさんと、宮沢賢治や大谷翔平の話を楽しみました。人との付き合いが苦手だからこそ、徹底的に人間に向き合い、本質を探っているところがオリィさんの興味深いところ。「Ain’t AI」に徹しての新しい技術、社会の創造に期待しています。

 

吉藤オリィ

「私」から家族、生きもの、宇宙にいたるまでを「私」に連なるものしてとらえているのが面白かったですね。「私」から遠く離れる月とか星についてあまり考えることはなくても、そうしたより普遍的なものほどストレスを感じにくく、精神的な癒しに繋がるものかもしれないと思いました。

吉藤オリィ(よしふじ・おりぃ)

小中学校時代の不登校の体験から、早稲田大学在学中に“孤独解消”を目的とした分身ロボット「OriHime」を開発、2012年に株式会社オリィ研究所を設立。さまざまな理由で外出することが困難な人が「ベッドの上にいながら、会いたい人と会い、社会に参加できる未来の実現」を理念に、開発を進めている。趣味は折り紙。

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6/14(土)14:00 - 15:30

ペンギン誕生!その現場で起こっていること -アドベンチャーワールドでは聞けないアドベンチャーワールドの話-