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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2020.11.02

生きもの(自然)はへんてこで扱いにくい・・・④

─歩くには止まるが入っている─

争うことがきらいなので、反骨精神というほど立派なものを持って生きているわけではありません。ただ、大きな流れができると、その中にいるのがつまらなくなり、少しはずれてみたくなる癖があるようです。新型コロナウイルスへの対応で、社会の動きに「いのちを守る」という考えが入ったのはよいのですが、守るからには生きものは素晴らしいということでなければならないという雰囲気が気になります。素晴らしくなければ守る価値はないとなると、例の差別が顔を出します。そんなことないでしょう。変てこでも可愛いというところにこそ生きものの面白さがあるのではありませんかと言いたくなるのです。生命誌の守り神のような存在である「蟲愛づる姫君」はきれいなチョウより毛虫を愛しました。一つの価値で事を決めないことです。

そんなことを考える日々を過ごしている中で、今日は神津カンナさんが訪ねてきました。同じ町の住人で、歩いて20分ほどのところに暮らしているので、おやつのケーキをぶら下げてきてくれました。実はカンナさん、今、エネルギー関係の財団法人の代表としてあれこれ悩みながら、これからの日本のエネルギーのあり方を考えているので、少しお手伝いをしているところです。そこで進歩と進化の話になりました。生命誌では、進化が多様化の中で行われているのに対して、進歩は一直線というところに問題ありとしているのですが、カンナさんがそこでちょっと面白い指摘をしてくれました。「進歩って歩くじゃありませんか。それなのにみんな走ってますよね」。 走るではなくて歩く。なるほど。それを聞いて自然にこんな答えが出てきました。「歩くという字には止まるという字が入ってるわね。走るのは息せき切って続けなければならないけれど、歩くには時々止まってまわりを見まわすことも入っているんじゃないかな。お散歩はまさにそれで、ハイゼンベルグや湯川秀樹先生など良いお仕事をなさった学者は、皆さんお散歩しながら新しいことを考えるとエッセイに書いていらっしゃるのよ」。 今の「進歩」は「進走」になっているのではないかという問いは、いろいろなことを考えさせてくれます。そう考えていたら正しいにも止まるが入っているということになって。ちょっと止まってみるのも大事ではありませんかという提案が、今大事なのではないかというところに思いが到りました。
 

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶