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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2022.02.01

このワクチンの最重要な要素はRNAではなく二人の人間

毎日メールを開く度にキャンセルが入っているという、2年前と同じ状況になりました。昨年は、最初からオンラインでの計画がほとんどでしたが、今年はやっと対面可能と期待して計画を立てた方が多く、私もそのつもりで準備をしていましたのに。感染者数がみるみる増えて事情一変です。2月には研究館の報告会で久しぶりに生の顔と声で成果を聴けると楽しみにしていましたのにこれもオンラインに変更です。友人との新年会も「黙食ではね」とキャンセルとなりました。

キャンセルで空いた時間に、掘りごたつに入って「mRNAワクチンの衝撃」というドキュメントを読みました。通常ワクチン開発には5年、いやそれ以上かかるとされてきましたが、新型コロナウイルスの場合、「ドイツ・ビオンテック社の創業者夫妻がわずか11ヶ月で開発した」のです。私も恩恵を受けたファイザー製、mRNAワクチンです。mRNAワクチンは、専門家なら誰もが理屈では通常ワクチンより迅速に開発できるとわかっています。一方、実際の開発は大変だということも承知しています。トルコからの移民の子どもというハンディの中で科学者としての経験を積んできた二人の、新型コロナウイルスの存在を知ってからの行動は見事という他ありません。科学者としての努力と能力はもちろんですが、政治とお金に振り回されている現代の科学の中で、これだけ本質を捉えた思考と行動がとれる人がいることに感激しました。

ワクチンの開発後会社の株は急騰しますが、夫妻はもちろん主要株主もそれを手放しません。夫妻はテレビも車も持たないとありますが、これが好きな暮らし方なのでしょう。最近珍しく読んでいて何とも気分のよい研究開発物語でした。著者も最後に「このワクチンを構成する最も主要な要素はRNA ではない。ウール・シャヒンとエズレム・チュレジという二人の人間なのだ」と書いています。私はナショナリストではありませんし、科学に国境はありませんが、このような物語が今の日本では生まれようもないという事実を認めざるを得ないのは、ちょっと悲しいです。

BRHは、すぐに役立つ技術を開発する場ではありませんが、本質を見ての思考と行動を大事にするというところは同じです。「RNA ではなく人間だ」という評価をよしとする精神を共有します。

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付記: 思いがけないエピソードが出てきましたので、先回の「ちょっと一言」に「ちょっと一言」付け加えます。「あのCDは僕が作って中村さんだけにあげたもののようです。すっかり忘れていました」というメールをいただきました。ご本人も忘れていらしたというので、少しホッとしましたが、そんな素晴らしい贈り物のことを忘れていたとはなんと失礼なことかと反省しています。でも、忘れっぽいのは昔からなのでお許しを乞うしかありません。

ところで、作ってくださったのは、武部俊一さん。元朝日新聞科学部長で、日本の科学ジャーナリストの草分けの一人として活躍なさった方ですので、ご存知の方も多いでしょう。大の音楽好きで、最も愛していらっしゃるのはモーツァルトですが、このような楽しい選曲もしてくださるのです。大学時代のテニス部仲間と楽しんでいらっしゃるところに、私も時々紛れ込んで遊んでいただいています。

メールには「科学技術ジャーナリスト会議(会長をなさいました)とBRHで一緒に何かやろうとしたのかも知れませんね。」ともありました。実現せずに残念でした。

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶