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研究館より

表現スタッフ日記

2023.07.04

齊藤さんが燃えたぎるので

 表現セクターのスタッフは、近頃やる気に満ち溢れています。そのみんなのやる気を牽引しているのが、齊藤さんという人です。齊藤さんは表現スタッフの中でもJT生命誌研究館にとても長く関わっていて、新参者のわたしにとっては、困ったことやわからないことは何でも教えてくれる頼れる先輩。しかも齊藤さんはすごく優しいので、つい甘えて事あるごとに頼ってしまいます。誰にでも丁寧で親切な齊藤さんですが、共に働いている中で、不意に意外な一面を垣間見ることがあります。煮えたぎるシチューが、ゴロゴロした野菜を巻き込んでぐらぐらと揺れているような、火傷必至の情熱が見え隠れするのです。
 ここ最近になって、齊藤さんは毎日の仕事内容を共有するメールの中に、生命誌のこと、科学のこと、生き物のことなど、日々考えていることをしたためて送ってくれるようになりました。齊藤さんはそんなことを考えていたのか、と驚くと同時に、そこにある生々しい気持ちに打ちのめされています。たとえば、6月29日にはこのようなことが記されていました。

---じぶんへの本日のポエム---
人間に序列があったこの数千年間、ただただ生きる喜びを、どれだけの人が享受できただろうか。ただ生きてる!という純粋な感覚。この気持ちを表現し足りないなら、新しい作品を作ればいい。新しい学問を作ればいい。新しい世界観を作ればいい。現代は科学でも物語でも、考えるよすがはいくらでも。人類が経験したことのない幸せを手にするのだ、私たちが。

 齊藤さんを観察していると、人間とは全くわかりやすいものではないと感じます。自分が安心したいから、人と対峙しても「この人はこんな人」とつい型にはめこんでしまったり、あまり深入りしないようにしたりすることがあります。社会生活を営む上では、互いの距離感も大切なので、誰もかれもと不用意に近づきすぎないように私は他者を警戒しているところがありますが、そんな中で、なぜ齊藤さんの一面に出会えたのかと考えると、それは齊藤さんが絶妙な仕立てで「表現」をしてくれたからだと思います。私たちの前に齊藤さんは、齊藤さんを差し出してくれた。そこから、わたしたちは齊藤さんを見つめ、共に語ることを始められるのだと思います。齊藤さんは私たちにまっすぐ何かを伝えようとしているのではなく、自分自身に向けた言葉を共有してくれています。私たちは、信頼された傍観者として、その言葉を目撃します。齊藤さんは、私たちに何かを求めたり強要してはいないのに、私は、たぶん私以外のメンバーも、何かを感じずにはいられないのです。
 表現は工夫だけでなく、勇気のいることでもあります。出たものに対して、人はあれこれ言い始め、いつもだれでも好意的ということにはいきません。それでもずっと考えていて、温めて、温めて、温めつづけて、結局表に出せないでいると、それは自分以外の人にとっては無かったことになってしまう。行動には反動がともない、その反動がどのような方向に動こうとも、何かを動かして、どこかに進んでいく。齊藤さんに突き動かされ、勇気を持っていろいろな表現ができるようになりたいと思うこのごろです。