中村桂子のちょっと一言
2025.11.18
J・D・ワトソン逝く
クマ問題を考えようと思って準備をしているところに、新聞社から「ワトソン博士が亡くなりました」という電話がかかってきました。高校時代までのワトソンは、愛読していたシャーロック・ホームズの相棒でしたが、大学三年生を境にワトソンと聞けばDNAの二重らせん構造の発見者となりました。こちらの相棒はF・クリックです。
20世紀の科学の業績の中で最も重要と言ってもよいであろうこの仕事をしたのが25歳。享年97歳とのことですので、70年以上この分野の先駆者として過ごして来られたわけです。でも、いわゆるリーダーとして弟子を育て、分野を確立していくという科学者像は描きにくい、独特のキャラクターでした。時に差別発言をして物議をかもしたり、問題児的存在ではありましたけれど、DNAを基盤に「生命とはなにか」を問う分子生物学を象徴する人であったことは確かです。その時自分が大事と思うことを行うという生き方が好きです。
まず分子生物学という新しい研究が自由にできる場をつくりました(コールド・スプリング・ハーバー研究所の所長として)。同時に『遺伝子の分子生物学』という教科書を作り、世界中の人がこの新しい分野を系統的に学べるようにしました。一方で、DNAの二重らせん構造発見の過程を描く『二重らせん』という本を書き、これが大きな話題になりました。研究現場の人間関係を赤裸々に描き、それまでは偉人伝として語られてきた科学者像を、徹底的に壊したのです。科学者だって人間だ。それまでなかった本です(以来この種の本が書かれるようになりましたが)。その後はDNAをゲノムとして捉え、その解析の重要性を示しました。
気づかれましたでしょうか。大事と思うこと、他の人のやらないことを一つずつやって、それぞれに大きな影響を与えるのだけれど、そこで皆から尊敬される大科学者というイメージをつくらずに、次に進んでいます。空気を読むという言葉とは無縁のこのような生き方が、研究者の中からも消えているようで、ちょっと寂しい気がしています。
半世紀近く前、ご家族を鎌倉八幡宮にご案内した時、まだ小さかったご子息が近寄ってくる鳩に触ろうとしたら、「鳥にはウイルスがいるかもしれないから触らない」と注意していたワトソンを思い出します。当時、野生動物のウイルスのことなどよく知らなかったので、神経質だなあと思っていました。
クマさんのこと次回に考えます。
20世紀の科学の業績の中で最も重要と言ってもよいであろうこの仕事をしたのが25歳。享年97歳とのことですので、70年以上この分野の先駆者として過ごして来られたわけです。でも、いわゆるリーダーとして弟子を育て、分野を確立していくという科学者像は描きにくい、独特のキャラクターでした。時に差別発言をして物議をかもしたり、問題児的存在ではありましたけれど、DNAを基盤に「生命とはなにか」を問う分子生物学を象徴する人であったことは確かです。その時自分が大事と思うことを行うという生き方が好きです。
まず分子生物学という新しい研究が自由にできる場をつくりました(コールド・スプリング・ハーバー研究所の所長として)。同時に『遺伝子の分子生物学』という教科書を作り、世界中の人がこの新しい分野を系統的に学べるようにしました。一方で、DNAの二重らせん構造発見の過程を描く『二重らせん』という本を書き、これが大きな話題になりました。研究現場の人間関係を赤裸々に描き、それまでは偉人伝として語られてきた科学者像を、徹底的に壊したのです。科学者だって人間だ。それまでなかった本です(以来この種の本が書かれるようになりましたが)。その後はDNAをゲノムとして捉え、その解析の重要性を示しました。
気づかれましたでしょうか。大事と思うこと、他の人のやらないことを一つずつやって、それぞれに大きな影響を与えるのだけれど、そこで皆から尊敬される大科学者というイメージをつくらずに、次に進んでいます。空気を読むという言葉とは無縁のこのような生き方が、研究者の中からも消えているようで、ちょっと寂しい気がしています。
半世紀近く前、ご家族を鎌倉八幡宮にご案内した時、まだ小さかったご子息が近寄ってくる鳩に触ろうとしたら、「鳥にはウイルスがいるかもしれないから触らない」と注意していたワトソンを思い出します。当時、野生動物のウイルスのことなどよく知らなかったので、神経質だなあと思っていました。
クマさんのこと次回に考えます。
中村桂子 (名誉館長)
名誉館長よりご挨拶