表現スタッフ日記
2025.12.16
“雪童子”と“十三四の小娘”
冬の情景を描く文学作品はたくさんありますが、今回はその中から、私のお気に入りの登場人物を2人紹介します。共通点は、優しいことと、真っ赤な頬っぺた(両方にその描写があります)です。
1人目は“雪童子”(宮沢賢治『水仙月の四日』より)です。雪を降らせる精霊のような存在で、“ゆきわらす”と呼びます。このお話は、大きな象の形をした雪丘の上を、雪童子と人間の子供が歩いているところから始まります。雪童子は、白熊の毛皮の三角帽子をかぶり、狼を2匹連れています。子供の方は、赤い毛布をはおり、砂糖を買った帰りでしょうか、カリメラ*1のことを考えながら家路を急ぎます。子供には雪童子の姿は見えず、声も風の音にしか聞こえません。そこに「雪婆んご」(ゆきばんご)が現れます。こちらは、白髪頭に尖った耳、紫の口に、目をぎらぎら光らせた恐ろしい雪の精霊です。雪童子に命じて、どんどん雪を降らせます。雪童子は逆らえません。そして、猛吹雪の中で子供が動けなくなると、「こっちへとっておしまい」と命を奪おうとします。雪童子は、雪婆んごの目を盗んで、倒れた子供の上に赤い毛布と雪の布団をそっとかけてあげるのです。「さうすれば凍えないんだよ。あしたの朝までカリメラの夢を見ておいで」。毛布と雪に包まれる子供の体温が伝わってくるようです。雪童子は「その頬は林檎のやう、その息は百合のようにかをりました」と表現されます。賢治の世界です。
2人目は“十三四の小娘”(芥川龍之介『蜜柑』より)です。具体的な名前は明かされませんが、髪を銀杏返し*2に結い、「横なでの痕のある」、つまり、鼻水を拭いた痕が乾いて頬に張り付いている女の子です。主人公である“私”が汽車に乗り込み、発車の笛を待っていると、この少女が駆け込んできて、向かいの席に腰を下ろします。これから奉公に出るのか、大きな風呂敷包みを抱えています。“私”は少女の汚れた顔と服装に不快になり、2人きりの客車の中で、何とかその存在を忘れようとします。ところが、ようやく寝かかったところで、少女は“私”の隣の席に移り、重い硝子戸の窓を開けようとガチャガチャし始めるのです。“私”が冷ややかな目でその様子を眺めていると、ついに窓が開き、真っ黒な煤煙が車内に入り込んできます。“私”は苛立ちますが、しだいに視界が晴れ、踏切の側に貧しい身なりの男の子が3人並んでいるのが目に入ります。少女の弟たちが見送りに来ていたのです。汽車がそこを通るとき、少女は霜焼けの手を窓の外にのばし、蜜柑を5つ6つ、振り落とします。しばらく会えない弟たちへ、こんなに健気で爽やかで心のこもった贈り物があるでしょうか。“私”は「或得体の知れない朗な心もちが湧き上つて」、別人のように少女を見つめます。“私”は芥川本人なのかしら?と詮索してしまいます。
寒さが近づいてくると、私はこの2人に会いたくなって本棚に向かいます。白い雪と赤い毛布、黒い煤煙とオレンジ色の蜜柑、色彩もとても印象的です。年末年始はお家の中で過ごす時間が増えることでしょう。どちらも短い作品で、インターネット上でも無料で読めます。雪の中の子供はどうなったのか、その結末と、“私”の心情の移り変わりを、ぜひ原文でご覧ください。
それでは、良いお年を。
*1 砂糖を煮立てて作る砂糖菓子。
*2 江戸末期から大正にかけての女性の髪型の一つ。
1人目は“雪童子”(宮沢賢治『水仙月の四日』より)です。雪を降らせる精霊のような存在で、“ゆきわらす”と呼びます。このお話は、大きな象の形をした雪丘の上を、雪童子と人間の子供が歩いているところから始まります。雪童子は、白熊の毛皮の三角帽子をかぶり、狼を2匹連れています。子供の方は、赤い毛布をはおり、砂糖を買った帰りでしょうか、カリメラ*1のことを考えながら家路を急ぎます。子供には雪童子の姿は見えず、声も風の音にしか聞こえません。そこに「雪婆んご」(ゆきばんご)が現れます。こちらは、白髪頭に尖った耳、紫の口に、目をぎらぎら光らせた恐ろしい雪の精霊です。雪童子に命じて、どんどん雪を降らせます。雪童子は逆らえません。そして、猛吹雪の中で子供が動けなくなると、「こっちへとっておしまい」と命を奪おうとします。雪童子は、雪婆んごの目を盗んで、倒れた子供の上に赤い毛布と雪の布団をそっとかけてあげるのです。「さうすれば凍えないんだよ。あしたの朝までカリメラの夢を見ておいで」。毛布と雪に包まれる子供の体温が伝わってくるようです。雪童子は「その頬は林檎のやう、その息は百合のようにかをりました」と表現されます。賢治の世界です。
2人目は“十三四の小娘”(芥川龍之介『蜜柑』より)です。具体的な名前は明かされませんが、髪を銀杏返し*2に結い、「横なでの痕のある」、つまり、鼻水を拭いた痕が乾いて頬に張り付いている女の子です。主人公である“私”が汽車に乗り込み、発車の笛を待っていると、この少女が駆け込んできて、向かいの席に腰を下ろします。これから奉公に出るのか、大きな風呂敷包みを抱えています。“私”は少女の汚れた顔と服装に不快になり、2人きりの客車の中で、何とかその存在を忘れようとします。ところが、ようやく寝かかったところで、少女は“私”の隣の席に移り、重い硝子戸の窓を開けようとガチャガチャし始めるのです。“私”が冷ややかな目でその様子を眺めていると、ついに窓が開き、真っ黒な煤煙が車内に入り込んできます。“私”は苛立ちますが、しだいに視界が晴れ、踏切の側に貧しい身なりの男の子が3人並んでいるのが目に入ります。少女の弟たちが見送りに来ていたのです。汽車がそこを通るとき、少女は霜焼けの手を窓の外にのばし、蜜柑を5つ6つ、振り落とします。しばらく会えない弟たちへ、こんなに健気で爽やかで心のこもった贈り物があるでしょうか。“私”は「或得体の知れない朗な心もちが湧き上つて」、別人のように少女を見つめます。“私”は芥川本人なのかしら?と詮索してしまいます。
寒さが近づいてくると、私はこの2人に会いたくなって本棚に向かいます。白い雪と赤い毛布、黒い煤煙とオレンジ色の蜜柑、色彩もとても印象的です。年末年始はお家の中で過ごす時間が増えることでしょう。どちらも短い作品で、インターネット上でも無料で読めます。雪の中の子供はどうなったのか、その結末と、“私”の心情の移り変わりを、ぜひ原文でご覧ください。
それでは、良いお年を。
*1 砂糖を煮立てて作る砂糖菓子。
*2 江戸末期から大正にかけての女性の髪型の一つ。
阪内 香 (研究員)
表現を通して生きものを考えるセクター