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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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【ミヤコワスレの花の里】

2000.10.1 

 文部省の中教審で「教養教育」を検討する部会から、教養について考えることを述べるようにというお呼び出しがありました。さあて教養ってなんだろう。にわか勉強をしたところ、そのままいただきというみごとな定義がみつかりました。
 ヨーロッパ中世史が御専門で、日本社会を「世間」という切り口でみごとに分析する阿部謹也先生のものです。「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状態」。生命誌は、まさにこういう状態を求めて行なっていることなので我が意を得たりという気持です。
 ところで、こういう人はどうしたら育てられるかという問いには、なかなか答は探せません。とはいえ、先回紹介したサマースクールを終えた後に訪れた長野県飯山市という人口27,000人の小さな市でこれこそ教養なのではないかと思う印象深い体験をしました。是非聞いて下さい。
 コンピュータソフト会社で活躍しているうちに疲れてしまって飯山に移り住んだ夫婦が、ある日、お隣の一人暮らしのお年寄りに夕食のお菜をお裾分けしたのだそうです。翌日、紙の敷かれた器にミヤコワスレの花束が入って返されてきました。小さな紙に書かれた一句を添えて。“ 脱サラや ミヤコワスレの花の里 ”。おみごとと言うほかありませんね。こういうのを教養というのではないでしょうか(阿部先生の定義そのもの)。恐らく、このような行動が自ずとできる人間関係や自然との関係が教養の基本なのでしょう。社会がこういう人ばかりでできていたら言うことないなと思いました。
 生命誌もそのような社会づくりにつなげていきたいと思います。

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