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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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2016年はどんな年に

2016年1月5日

よいお年をお迎えのことと思います。

1月1日が誕生日なので、わかりやすく年齢を重ねます。今年は区切りのよい年です。50歳になった時にこれは折り返し点だと思ったことを思い出します。平均年齢が80歳でしたから、成人になってから30年、残りの長さが30年、マラソンの折り返し点をまわってゴールへ向うのだと考えたのです。そうなると、後から50歳へと向って走っている人たちを正面に見ながら走ることになるわけで、その人たちにこれからの道についてのアドバイスをする役目かなと思ったわけです。

ところがダメでした。「生命誌研究館」をどうするかあれこれ考えていたものですから、役に立とうという意識をもつ暇がなかったというのが正直なところです。気がついてみたら30年が過ぎてしまっていました。ここまできたらしかたありません。残りの時間については、特別の決心などせずに自然の流れができることを願っています。若い人たちに期待します。

個人としては、「生命誌」という知を納得のいく形でまとめるという仕事が残っています。実はここ数年はそればかり考えているのですがとても難しくて・・・。30年前に思い描いた生命誌研究館が今につながっていることは確かであり、基本はまったく変っていませんが、この間の周囲の動きには思いもよらないところがありました。研究は急速に進み、頭で考えていただけのゲノムが山ほどの具体的データとして目の前にあります。これをどう処理して生きものの理解につなげるか。若い人の力を借りなければどうにもなりません。社会の問題もあります。とくに東日本大震災とそこでの原子力発電所の事故は、自然との向き合い方を徹底的に考えなければならないという警告と受け止めなければなりません。それなのに社会はまったく違う方を向いて動いているようです。このままだと生き辛い世の中になってしまうと心配です。

生命誌の基本は変える必要はないと思いますし、社会の中での位置づけは以前よりしっかりしてきたように思います。学問としても他の分野とのつながりが以前よりも強くなっていると感じます。ただ、生きものから「生きている」とはどういうことかを学ぶ知としては、もっと明確なものを出せないと納得がいきません。いろいろな人の知恵を借りてコツコツ・・・今年はこのコラムもそれについて考え、まとめの方向を探る一つの場にしたいと思っています。よろしくお願いいたします。

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