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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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「こころ」を考える

2018年11月1日

今、生命誌で「こころ」をどのように捉えるかということを考えています(まだ私が一人で勝手にの段階ですが)。「こころ」と「からだ」のうち、「からだ」については細胞(ゲノム)の中に書き込まれた38億年の歴史を解くという形でずっと考えてきました。まだまだ本質が見えてきたとは言えませんが、世界中で行なわれる研究に眼を向け、とにかくゲノムの分析と合成の両方からの研究で生きものの特徴が少しづつ明らかになっていくのを楽しむことはこれからも続けます。

もう一つ、情報学や数学との協力で、ゲノムの文法を解読する必要がありますが、これが難物です。世界を見ても決して順調に研究が進んでいるようには思えません。ビッグ・データと呼ばれる、実験室(コンピュータによる解析も含めて)から出てきたたくさんのデータを読み解いていかなければならないわけですが、これはまだまだこれからです。私たちにできることはなにか、どんな方の協力を求める必要があるのかを考えるところから始まります。

一方「こころ」は、人間そのものの研究(心理学・人類学・芸術その他諸々)や脳神経科学などからのアプローチが必要です。直接研究に手をつけることは難しいですが、考えることだけはしていきたいと思います。「こころ」は個体と他との関係の中にあるはたらきであり、そこには脳が関わっているに違いないことは誰もが認めるところでしょう(もちろん脳細胞でもゲノムははたらいています)。

「こころ」は人間あってのものですが、人間になって突如現れたものではなく、それが生れる可能性は生きもの誕生の時に存在したはずです。そこで、「こころ」を考える生命誌が必要です。単細胞生物も、それだけで存在することはなく周囲との関わりの中で生きています。細胞が集まって多細胞生物になると、感覚器官を通しての関わりが生れます。それを体系的に処理する神経系が体全体を走り、更に時がたつと中枢神経、つまり脳が生れます。そして私たち人間は、言葉を用いたり、想像力をはたらかせたりと独特のはたらきをする脳をもつことになりました。

生きものが長い間生き続けてきた中で育くまれてきた「こころ」は、身体あってのものであり「からだ」との関わりで考えていくことになります。こんな風に「こころ」を考えることで、人間が生きものであることを忘れず、生きることを大切にする社会づくりへの道を探る。権力や金力に振り回され、いのちへの眼が鈍っているように思える今、生命誌がやらなければならないことです。「こころ」についてのお考えお聞かせ下さい。

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