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中村桂子のちょっと一言

館長の中村桂子が、その時思うことを書き込むページです。月二回のペースで、1998年5月から更新を続けています。

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しばらく人間は生きものについて考えます

2018年12月3日

過度な競争を求め、眼の前の成果だけを語り(それが本当に意味のあることかどうかもよくわからないまま)、格差を生み出している今の社会は生きにくいという声をよく聞き、私もそう思っています。「生きにくい」という言葉が出るのは、人間が生きものだからです。ところが、この「人間は生きもの」というあたりまえのことが社会の中でまともに考えられているようには見えません。権力、金力、武力という力を持つことが成功であるとされているからです。今年「生命誌」を直接語らない『ふつうのおんなの子のちから』という本を書いたのは「人間は生きものであり自然の一部である」という生命誌の基本を科学など関係ありませんと考えている方とも共有したいと思ったからです。一日一日を大切に、そして生きものとしての人間が生きやすい社会づくりにつなげたいと思ったのです。とてもあたりまえのことなのですが、さまざまな分野の方に共感していただけたように思います。ところが意外なことに、生物学の研究者がこのような考え方を社会に生かすことの意味を理解していないことがわかってきました。「人間が生きものである」とはどういうことなのか。改めて明らかにしなければいけないと考え、手始めにその一部をここに書いてみようと思いました。しばらくの間日常のくだらない話から少し離れて、生きものについての基本の基本を書きます。これをどう受け止められるか。お読みになって思うことを書き込んで下さるとありがたく思います。

「科学と関係ないと思っていらっしゃる方とも一緒に」と書いて思い出したことがあります。ある時突然坂田寛夫さんからお手紙をいただきました。誰もが歌ったことがあるだろうと思う“サッちゃん”の作詞をなさった方です。そこにはこんな趣旨のことが書いてありました。「まど・みちおさん(こちらは“ぞうさん”の作詞者です)と二人でお喋りをしていると、いつの間にか「人間ってどこから来たのだろう、人間って何なのだろう、人間はどこへ行くのだろう」という話になります。そして「こんな役にも立たないことをいつも考えているのは世間広しと言えどもこの二人くらいだろうね」と言い合っていました。ところがある日、同じことを考えている人がいることに気づきました。」それが私というわけで、早速お仲間としてのお手紙を下さったというわけです。お二人共いらっしゃらなくなってしまい、すてきなお仲間に入れていただいての幸せな時間は今や心の中だけのものになりましたが、お二人が持っていらした本質を大切にする気持は今も私の中にあり続けています。「生命誌」は具体的には、小さな生きものたちの物語りを聞くという形で進めていますので、直接人間を考えることはあまりしてきませんでした。けれども一番考えなければならない、しかも一番面白い生きものが人間であることは確かです。しかも近年急速にAI、ロボットなどの研究・技術開発が進み、iPS細胞、ゲノム編集などによる医療技術の新展開もあり、人間について考えることが改めて重要になってきました。

どんな風に考えていくのがよいのか。まだこれぞというところは掴めていませんが「人間は生きものであり、自然の一部である」という切り口で少しづつと思っています。具体的な内容は次回から。

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