生命誌について
2026.01.23
考える力
Amy
こんにちは。とても興味深く読ませていただきました。AIが日常に取り入れられ、分からないことは聞けばすぐに模範解答が得られる今日において、本来人間の持つ考える力、想像する力を現代の子供達はどう育んでいくのか。
カーソンの高速道路でない「もう一つの道」は、生きものである人間としての「本来の道」であるという先生のお言葉にとても考えさせられました。
今年と言わずこれからの子育ての大きなテーマとなりそうです。ありがとうございます。
2026.01.24
1. 中村桂子(名誉館長)
Amy様
生きものとして生きる「本来の道」が子育てでも考えられるというお考えその通りだと思います。
今日は、中学1年生に、人間は生きものという生命誌の考え方を活かして、これからの社会を暮らしやすいものにして欲しいという話をしました。先生方が、「今年の1年生はスマホで育っていますから、すべて情報として受け止めているのが気になっているのですが、今日は彼らが人間として聞いていると感じました。これからの授業にも活かします」と言って下さったのが嬉しかったです。次の世代にバトンを渡すことが大事ですね。
中村桂子
2026.02.06
2. かも
考える力という言葉で思い出す言葉があります。
中学1年の国語の教科書で、シュバイツァーだったか誰の言葉だったのか記憶が無いのですが、「人間は、12歳にして、純粋な倫理観に於いて最高の高みに至る」という言葉があったのです。
生徒の誰もがその言葉に共感し「そうだよなあ」と実感していたのを記憶しています。
その後社会科の時間に、マッカーサーが日本に来て、「日本人は未だ12才の未熟な子供と同じだ」語ったと教えられてえ、生徒の誰もがブーイングしたのを覚えています。
マッカーサーの語った日本人とは、純粋な理性の最高の高みにいるのが日本人だと語ったと考えたからです。
当時の12歳の子供として、子供達にはその力が既にあると既に共感していた記憶があります。
当時の国語の教科書で、ヒラリーとテムジンのエベレスト登頂記が書かれていた記憶がありますからそこに書かれていたのかもしれません。
何方か70年前の記憶がある方教えていただきたいですが。
何れにしても、マッカーサーの話がでる度にそのことを思い出します。
同時に、子供達には「12歳にして既に純粋な倫理観の最高の《修飾語の連続》高みにある」という言葉を今でも共感を持って感ずることが出来ます。
大人が、子供の考える力を育てるという思い込みが子供達の心を酷く傷つけているかもしれません。
同時に、戦後の日本人が最高の倫理観を持って復興に誰もが心を合わせていたという賞賛の言葉としてマッカーサーが語ったに違いないと考えています。
「人間の12歳」という言葉がいくつかのシーンに出てきます。
忘れられない記憶です。
2026.02.06
3. 中村桂子(名誉館長)
かも様
小さな人たちの教育が気になるお気持ちよく分かります。前にも書いたと思うのですが、私は数えの10歳小学4年生の時に敗戦の体験をしました。一日で価値観がガラリと変わるという体験は、それ以後の私の生き方に大きな影響を与えました。おっしゃるようにその頃に「私」ができるのだと思います。子どもをバカにしてはいけない、いつも思っていることです。教育は人間だけのものであり、重要ですが、難しいとつくづく思います。生命誌は、生きものであることに注目しますので、そこを大事にしながら、小さな人の持っている素晴らしいところが伸びていくようなお手伝いができることをを願っています。いつまでも模索になるのでしょうけれど。
全体としての自死の数は減少しているのに、小・中・高校生の数は増えているという事実が重くのしかかります。生命誌のお仲間としてこれからもいろいろお教えください。
中村桂子
2026.02.12
4. かも
中村先生
ご回答有り難うございました。
その頃に「私ができる」というお言葉全くその通りだと思います。12歳と子供扱いしたという言葉にも、12歳という未熟なとの思いが込められているのでしょう。
子供の人権と言うけれど其の完成された人格に気付かず未熟なと決めつけてしまうことこそが大きな間違いだ考えます。
小中高生の自死がァ増えているというのも、其の完成した「私」が破綻することへの絶望なのだと思います。
私は、今でも、「人間は12歳にして其の純粋な倫理観の最高の高見に達する」と言う言葉が好きです。
考えてみれば、騙したり誤魔化したり噓をついたり要領よく振る舞ったりする知恵も、誹ったり罵ったりする悪事もそこから始まります。
それを成長と捉えてそうやって人は生きるものだという達観が大人と考えてしまうのは残念でなりません。
正義感あふれる大人であり続けたいです。有り難うございました。