自作の能面

2年ほど前から、趣味で日曜日ごとに能面を打っている。能面を打つ傍ら、先輩方に連れられて、ときどき能面展にゆくのだが、そうこうしているうちに、不思議と能面を見る目ができてきた。女面の何ともいえぬ曲線を見ていると、日本人の感性のすばらしさを改めて感じる。屋根や刀の微妙な反りに通じるところがある。

こうした感性は生まれ育った環境から自然に体得したもので、教えてどうこうなるものでもあるまい。

ところで、最近私は能面を打っていて、大変いらだちを覚える。というのは、見る目ばかりが肥えてしまって、いっこうに技術が伴わないからである。これは年をとってから習い始めたためで、頭が先行して、腕がついてこないためだと悟った。微妙な曲線をミリの単位で正確に彫る技術は、幼い頃から木に親しみ、無心にノミをふるう過程で、自然に体で覚えることで、こうした技術の習得に伴って目が肥えるのが望ましい。「頭が先行して、腕がついてこない」。これが私の現状で、いらだちの原因である。体得こそ何にもまして重要だと、今やっとわかりかけてきた。

そう思って急に不安になってきた。私は、コンピュータを使って、DNAの比較解析から生物の進化を研究しているが、恐ろしいことに、生物にまったく触れていない。子供の頃、多少虫や動物に悪戯した記憶はあるが、生き物に興味を覚えたわけでもなかった。まったく生き物の何たるかを体得せずに、おこがましくも生物の進化を、頭だけで考えている。これでは早晩頭打ちになることは目に見えている。そういえば、昨年の冬に亡くなられた木村資生先生は幼い頃から植物が好きで、ランの育種家としても相当な方であったと聞く。生物の何たるかを体得したうえでの進化の数学理論であったから、偉大な業績が残せたのだと思う。子供の頃から生き物と戯れ、親しんで、その何たるかを体で知っておくことが必要だったのだと、今になって後悔している。

(みやた・たかし/京都大学理学部教授)