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スペイン在住の細川さんを迎えて、近代が切り捨てたものの中に音楽と科学の可能性をさぐります。場所は浅草・太皷館。折しも、窓外の国際通りからはちんどん屋さんの笛、太鼓が・・・。

中村―

細川さんは今はマドリッド、 少し前はブラジルにお住まいですが、西洋音楽の日本への移入というテーマの研究をなぜそこで。

細川―

ブラジル日系人の中に日本では消えてしまったものが残っている。正確にいうとまったく違う環境で日本文化のうち何が生き残り、何が変容するかがわかるんです。一種の「文化交配実験室」。生物でいうなら、マダガスカル島やガラパゴス諸島ですね。

中村―

なるほど。着眼点がいいですね。同じことが科学でも可能だとおもしろいのですが、そういうフィールドがないのが残念です。科学も西欧で生まれ、日本は進んだものとしてそれを取り入れた。でも今、分析に徹した科学では自然はつかめないということになり、新しい知のあり方が求められている。そこで同じ頃、西欧から入った音楽がその後辿った道はとても関心があるのです。

細川―

音だけ切り離して、 和声だの12音階だのと分析を重ねてきたのが西洋の音楽研究ですが、それに対して、生きたままの音楽をどうとらえるかという見方がこの20~30年始まってきていると思います。音のエコロジーという言葉もあります。

中村―

西欧自身が音の中から近代音楽として取り出したときに捨てたものに気づいてきたわけですね。科学でも同じことが起きています。

細川―

植民地時代にヨーロッパの比較音楽の研究者がアフリカなどにマイクを持っていって譜面をとった。ハーモニーとメロディがあれば高級。複雑な音を使っていたり、音譜に表したときに何か規則性があれば、発展している音楽と考えていた。

中村―

そのとき、リズムは無視されてしまったのですか。アフリカの音楽といえばまず強烈なリズムが印象的ですが。

細川―

あまり出てこなかったですね。というのは、それに対応する西洋のリズム理論というのが、それほど発達していなかったから。今は他文化のリズムを取り出そうとしているんですが、まだ、西洋的なモデルから抜け出せないんです。用語もポリリズムとかね。西洋人から見てポリ、複合リズム。でも、ブラジルのサンバもそうだけど、本人にとっては最初からそうなっているんです。日本のいわゆる<間>だって、ぼくらにとっては複雑でも神秘でもない。こういうやり方がある、それだけなんです。「音楽」という自律した音表現だけをさすような言葉をもたない文化もたくさんあって、サンバもフラメンコもちょうど歌舞伎と同じで、踊りや音楽や詩がすべて複合した表現なわけです。西洋の機械論的な自然観から「音楽」という言葉になって、もう僕らはそういうものでしか考えられなくなっている。

中村―

そこなんです。理論に合わないものは捨てる。つまり自然そのものを見るより、モデルに合わせるわけですね。科学もそうだったと思います。一方、理論で分析することの有効性は認めざるを得ない。両方をどうつなげ生かしていくかということが今の科学のテーマです。音楽でも理論は生きているわけでしょう。

細川―

もちろん。ただとても難しいことなんですね。ローカルな視点でそのリズムや音文化の担い手がどう感じているか、どう認識しているかが調べられているけれど、それを国際学術語で記述しようとすると翻訳のところで本質が失われることがある。もどかしいですね。

中村―

生物学でもそうです。DNAという共通のもので見ると切れ味はよいのですが、個々の生き物がどう生きているかを見るときには、そのままを受け入れることになるし、しかも自分も生き物としてその中に入っている。それをどう表現するかはまだわかっていません。

細川―

日本ではペリーの音楽隊以来、ずーっと西洋の音楽を取り入れてきました。折衷の一つの方法が四七抜き(よなぬき)音階のような音階の折衷。日本にそれまであったのと、西洋の音階との中間くらいのを作り出すということを明治の初めにやって、僕らの音感がかなり決まったんですね。もう一つは、リズムを融合して旋律は日本か西洋かのどちらかを使う方法。これはちんどん屋なんです。

中村―

さっき聞こえていましたね。音階の話はよく聞きますが、リズムについては気づきませんでした。

細川―

まず寄席の鉦(しょう:かねの太鼓)が「ちん」。「どん」は西洋の太鼓。曲は長唄の越後獅子だったり、西洋のだったり、何でもいいんです。あとは勝手にくっついてくる。クラリネットでもいい。トランペットでもいい。「ちんどん」の2つの太鼓が基本にあるわけです。日本の公式の音楽文化の中では軽蔑されていて、大衆音楽をやっていた人でさえも落ち行く先というイメージでとらえていたけれども、僕の考えでは一番創造的なことをやっていた。物真似でなく、日本を生かしながら。戸外でラッパを吹いていた人たちが集まって始めたアメリカのジャズが、いろんな人のエネルギーや知恵を集めて今ではアメリカのナショナルカルチャーになっていますよね。「ちんどん」もそういう可能性があったわけです。
ちんどん屋のリズムは、江戸時代のお祭りのリズムや寄席のリズムで、聴いていて楽しいですよね。もし続いていたら日本のジャズもあのリズムをもとにサクソフォンが演奏されたり、リズムがもっと細かくなったりということもあったかもしれない。庶民の日常的な娯楽からきているので、祭りの暦にも関係ない。気取りもなくて年中お祭りになって、キューバみたいな島になっていたかもしれない(笑)。

中村―

惜しいことをしましたね。

細川―

あの「ちんどん」という楽器を見直してもらえたらと僕は思っている。あの楽器を持つかぎり、あのリズムになっちゃうんです。科学も……。

中村―

そこに答えがあるとおっしゃりたいわけですね。ちんどん屋にならなければいけないんだ、私は。なるほど生命誌ちんどん屋論だわ。ちん(東洋の中の日本)と、どん(西洋)を基本にして、何でも取り込んで楽しくしていく。

細川―

そんな気もするんですよ。ニューサイエンスが、いかにも東洋ということで安易に結びつけた尺八とはまったく違うんですよ。ちんどん屋というのは。

中村―

実感があります。西洋のものを素直に受け入れながら、圧倒されずに、自分の中から生まれてくるものを思いきり表現していくというスタイルですよね。それを全部消してしまったのが今の学校型の勉強であり、その延長にあるのが今の科学や音楽といえますね。「研究館」は、その学校という型から抜け出した科学のありようを求めています。

細川―

科学は時の政府の富国強兵策と結びついていたから、それ以外の考え方はできなかったでしょう。本草学の学者など、そのころの能楽師と同じで、一挙に職を失った。

中村―

フィリピンで、 民族舞踊をお見せしますといって、バンブーダンスの次にフラメンコとカウボーイの踊りが出てきたので、そのしたたかさに感心しました。日本はこれだけ外国のものを取り入れているけれども、「日本です」となると、能になるわけですよね。

細川―

明治に西洋文化を入れたときに、ここからが伝統、ここからは近代と分けてしまったんですね。西洋の異国趣味にあてはまるものが伝統、西洋と同じことが できますよ、というのが近代。だからいつまでたっても伝統の側は能と歌舞伎で、近代はトランジスターとYMOというふうに分かれちゃっている。伝統というものを非常に固定的なものに考えるようになったところに、僕らの文化のある種の特殊性があると思うんです。

中村―

この見方からは、新しいものを生み出しにくいですね。科学は新しいもののほうに入れられているけれど、ちんどんスタイルでいけばもっと自分のものにできる。そうすれば創造的な活動も、もっとのびのびとできるかもしれません。

細川―

それの表現ですが、自然科学では、共通の言語があり、それで書かれていればどこの研究も同じように貢献しあえるけれど、人文科学の場合には言葉というのが本当に大きな障害に思えるんです。

中村―

逆に学問がもつ特有の言葉に頼りすぎて日常から離れてしまったというマイナス面もあります。音楽は、音楽そのものから攻め込むという方法もあると思うのですが。

細川―

「聴けばわかるんじゃない?」って、そういう方法を生みたいと思うんですね。難しいけど音文化で勝負している以上はね。

中村―

専門分野の約束ごとをまず勉強しないと話が通じないというのでは、それだけで終わってしまいますよね。音楽も、音楽学はそうなってしまっているということですね。音楽の場合、明らかに多くの人が、音文化を楽しんでいるわけですから、そこを遊離させたらもったいない。よい方法を探ってください。科学にも役立ちそうですから。

細川―

そこで生命誌研究館は科学を物語るという考え方をしているんですね。音楽でも先に表現があって、それを楽譜にしたり、研究したりしているわけです。科学の場合もそうでしよ。リンゴが落ちるから……ということでしょ。

中村―

本当はそうだったんですね。だけれど今やもう約束ごとだけが科学みたいになってしまった。もっと日常感覚で楽しめる科学に、もう一度戻したいと思っています。

ほそかわ・しゅうへい
1955年大阪生まれ。東京大学理学部生物学科卒業、東京芸術大学大学院修了、同大音楽学部学理科助手の経歴をもつ。現在は音楽評論家、サッカー評論家として著作活動をしている。著書に『音楽の記号論』『ノスタルジー大通り』『サッカー狂い』など。日本近代音楽史と移民が今のテーマ。マドリッド在住