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History

昆虫化石が語りだす

森勇一

昆虫化石 — 見過ごしてしまいそうな土の中のこの小さな破片が,じつは貴重な研究資料です。
地中に眠る虫たちは,はるか昔の物語を知っているのです。

昆虫化石(昆虫遺体)を見つけるには,地層をラミナ(葉理)に沿って割るのがコツだ。金属光沢のキラッとした輝きは昆虫,鈍く光るのはたいてい植物の化石だ。通常,昆虫化石はバラバラになっており,多いものでは100片以上に分離している。それを顕微鏡下で1点ずつどの虫のどの部位か,現在の虫の標本と比較しながら同定する。何時間,いや何日かけても判らないものも多く,調べた昆虫片が現生標本とピッタリ一致したときなど,思わずバンザイを叫びたくなる。

遺跡から発掘されるさまざまな昆虫化石

①コアオハナムグリの左の翅。長さ12mm(愛知県勝川遺跡:古墳時代)
②ハグロトンボの後翅。18mm(静岡県上土遺跡:中世)
③駆除されたと考えられる畑作害虫ヒメコガネ。土坑の大きさは約22cm(愛知県大毛沖遺跡:鎌倉時代)
④アオゴミムシの仲間 前胸背板。(愛知県松河戸遺跡:縄文晩期)
⑤キムネアオハムシの左右上翅。5.2mm(青森県三内丸山遺跡:縄文中期)
⑥稲作害虫イネネクイハムシの左の翅。4.1mm(静岡県岳美遺跡:弥生後期)
⑦270万年前のカナブンの右の翅。17mm(三重県多度町:鮮新世後期)
⑧マークオサムシの左の翅。17mm(三重県多度町:更新世前期・約175万年前)

昆虫は全生物の中でもっとも種数が多く,水中,地表面,植物上など多様な生活空間に適応しており,食性も,食植性,食肉性,食糞性,食屍性など多岐にわたる。このような特性を利用して,土に埋もれた昆虫化石の組成から,過去の気候や植生など自然環境の変遷や,人々の暮らしぶりまで探ることができる。遺跡調査と平行して昆虫化石を見つけ,その同定・分析を始めてかれこれ13年になる。

日本各地での中世の遺跡調査の結果,ヒメコガネをはじめ食葉性昆虫がぞくぞくと出てきた。名古屋市若葉通[わかばどおり]遺跡からは,15世紀頃(室町時代)の井戸跡が発掘され,井戸底の土には,落下したと思われるたくさんの昆虫片が含まれていた。総点数452点,その95%はヒメコガネで,残りもドウガネブイブイやマメコガネなど,マメ科植物や果樹などの葉を食べる昆虫が大半を占めた。

12~13世紀(鎌倉時代)の愛知県大毛沖[おおけおき]遺跡では,溝のへり付近に掘られた9ヵ所の穴に,それぞれ何十匹ものヒメコガネが押し込まれていた。人による駆除の跡と思われ,同時代の他の遺跡からも,そのような痕跡が大量に見つかった。

⑨昆虫組成の推移(愛知県松河戸遺跡群)。
鎌倉時代から江戸時代にかけて,ヒメコガネ・ドウガネブイブイ・サクラコガネ属・スジコガネ亜科などの食葉性昆虫の出現率が急増したことがわかる。 

中世に,人々は山林を開墾し,家の周りに盛んに畑作物や果樹などを植えたらしい。そのため,本来は林縁や雑木林内で広葉樹の葉を食べていたはずの食葉性昆虫が,畑に移動して作物に取りつき,大発生したのだろう。中世以前の遺跡における食葉性昆虫の出現率は明らかに低い。

1998年冬,青森県三内丸山[さんないまるやま]遺跡の調査担当者から,土を水洗・選別する過程で昆虫が見つかったので調べてくれないかと電話があった。巨大木柱や大型住居跡などが発見され,縄文時代としては異例ともいえる1500年もの間,大集落が営まれたとされる遺跡だ。

送られてきたビンの中を見てギョッとした。大部分が汲み取り便所の中で見た覚えのある,黒いハエの蛹[さなぎ]だったのだ。それからというもの,蛹のお尻を顕微鏡でのぞき込む毎日が続いた。ハエ類(双翅目)の蛹は,末端節に見られる輪状突起と気門の形態が分類の決め手だ。結果は,人糞や獣糞,生ゴミなどに集まるクロバエの蛹だった。そのほかに,マグソコガネなどの食糞ないし食屍性昆虫類と,人間が介在した二次林や果樹に依存する食葉性昆虫で占められていた。クロバエの蛹や食糞性昆虫がやたら多いことは,それだけ人口も多く,大規模な遺跡だったことをうかがわせる。弥生時代の大集落や奈良~平安時代の役所周辺などに存在したような人工空間や人の手の入った林が,5000年前の本州北端の地にすでに出現していたことになる。一方,集落の繁栄の陰で,遺跡北斜面では生活ゴミや人糞などの腐敗臭が漂っていたに違いない。

この遺跡からはニワトコ・ヤマグワ・サルナシなどの種子からなる「ニワトコの種子集積層」と呼ばれる奇妙な堆積物も発見されている。谷の斜面に広がっていたその層の中で,小さな蛹が見つかった。完形のものだけで842頭,長さは2mmと小型で,気門の形態や環節上の刺の配置などからショウジョウバエ属の蛹と同定した。このハエはめっぽう酒好きで,発酵した果実に集まる習性がある。ニワトコなど酒造りが可能な果実の種が大量に,それが腐熟していたことを示すおびただしい数のショウジョウバエの蛹と一緒に発見されたことは,縄文人が果実酒を造っていたことの証明の一つとなろう。

⑩外見はそっくりでも,電子顕微鏡で見ると表面の構造が違う。左は,ヤマトトックリゴミムシの右の翅。長さ約6mm。右は,ツヤヒラタゴミムシ属の右の翅。下は,それぞれの電子顕微鏡写真。
⑪点刻の特徴より,わずか4mmの破片から種まで同定できた。クロコガネの前胸背板の一部。(山梨県大師東旦保遺跡:中世)


昆虫化石を産出するのは,遺跡ばかりではない。三重県多度たど町では約175万年前の第四紀初頭の地層中から,湿地に生息する昆虫の化石が多数発見された。なかには北方系のマークオサムシやエゾオオミズクサハムシが含まれており,この時期の気候や生物分布を考えるうえで重要だ。

先頃,同じく多度町で270万年前の地層からカナブンの化石を見つけたが,発掘直後の昆虫化石は色鮮やかで大変美しい。長い間土中で無酸素状態にあったため,本来の色より鮮やかに変色していることもある。こうした昆虫化石が色褪せる前に,また,これまで採集してきた膨大な数の化石標本に一刻も早く日の目を見せてやりたくて,同定と保存に奮闘する毎日である。

(もり・ゆういち/愛知県立明和高校教諭)

※所属などはすべて季刊「生命誌」掲載当時の情報です。

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