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RESEARCH

ヤマネコが語る西表島の生態系

伊澤雅子琉球大学理学部

琉球列島には様々な固有種が生息しているが、食肉目の仲間は西表島に棲むイリオモテヤマネコただ一種である。なぜヤマネコは西表島にしかいないのだろうか。そしてなぜ、イリオモテヤマネコは絶滅の危機に瀕しているのだろうか。

自動撮影で記録されたイリオモテヤマネコ

 

1.孤島に住むヤマネコ

琉球列島の生物相は固有種や固有亜種の占める割合が高く、その多くが列島内でも限られたエリアのみに生息している。そのため南北に延びた島嶼の各島または島嶼群ごとに独特の生態系が成立しており、研究対象として興味深い。大陸島にしては長くて複雑な地史をもち、しかも多くの島嶼から成るという特性が、このように特徴的な生物相形成の主要因と考えられている。一方、沖縄島をはじめいくつかの主要島では、島内に生息する種の多様性にも目を見張るものがあり、特に両生爬虫類、昆虫類の多様さはずば抜けている。これは亜熱帯としては珍しい湿潤な気候によるところが大きいと思われる。こうして、珍しい生物がたくさんおり、豊かな自然に恵まれた南の島という琉球列島のイメージができ上がっている。ただし、筆者が研究対象としている哺乳類に目を向けると、途端にこのイメージは変わる。面積の限られた島嶼という条件は、生息可能な大型動物の種数や個体数を制限するからだ。事実、琉球列島の在来種には日本人になじみのクマもタヌキもいない。

イリオモテヤマネコは琉球列島で唯一の在来食肉目であり、西表島のみに生息する。分類学的位置づけについてはこれを種と考えるかアジアに広く分布するベンガルヤマネコの亜種と考えるかも含めていまだに議論が続いているが、その起源については近年おこなわれた分子系統学的研究から、約20万年前に大陸から渡来したベンガルヤマネコであることが明らかとなっている。

西表島は琉球列島南端の八重山諸島に属し、隆起サンゴ礁からなる平たんな島の多い琉球列島の中では、その名の通り山がちな島の一つだ。大陸と地続きだった島が孤立化して20万年前以上になると考えられているが、この小さな島(面積283km2)に長い年月にわたってイリオモテヤマネコが生存していることを考えるといくつかの疑問がうまれる。

(図1) イリオモテヤマネコの渡来

大陸のベンガルヤマネコが陸伝いに西表島に来たのは約20万年前。宮古島でもネコ科の化石が発見されているが、イリオモテヤマネコとの類縁関係ははっきりしていない。

2.ネズミのいない、狭い島

まず第一の疑問は、イリオモテヤマネコが小島嶼に棲むネコであることだ。一般に島嶼では、食物連鎖の上位種になるほど生息が困難になるとされる。自然界では食物連鎖の上位種になるほどその個体数が少なくなるため、食物連鎖の下位のものから上位のものへと積み上げていくとピラミッド形になる。これを数のピラミッドと呼ぶ。ピラミッドの底辺は生産者となる植物であるが植物が棲める量は一般にその生息地の面積に大きな影響を受ける。そこで、面積が狭くなるとそれに比例してピラミッドも小さくなり、最高次消費者(肉食性の哺乳類など)が棲める余裕は急速に狭まる。そして、どこかを境にまったく棲めなくなることになる。近縁のネコ科が生息する海外の島嶼と比べると西表島は極端に小さく、西表島は本来イリオモテヤマネコのような中型の食肉目が棲めるサイズの島ではないという答えが出てくる。それなのになぜ、ここにはこのネコがいるのかという問いが生まれる。

(図2) 食物連鎖と面積の関係

中型の食肉目が最高時消費者となれる生態系(左)には一定以上の生産者の生息面積が必要であり、一般的に狭い島嶼ではその余裕がない(右)。

第二の疑問は、イリオモテヤマネコがネズミのいない島に棲むネコであることである。世界の同サイズのネコ科の食性を調べると、大半が小型哺乳類を餌としており、ネズミからウサギ程度の獲物が主である。国内に生息するもう1種のネコ科であるツシマヤマネコも餌の80%以上がネズミであることが報告されている。

ところが西表島には、他の同サイズのネコ科が主食とするネズミ類やウサギ類などが在来分布していない。イリオモテヤマネコの餌メニューの中にでてくる哺乳類で在来分布のものは、ヤエヤマオオコウモリとリュウキュウイノシシだけである。しかし飛翔性のオオコウモリはヤマネコにとって利用しやすい餌とはいい難いし、また、リュウキュウイノシシは大きすぎる。ヤマネコが利用できるのは傷病の個体か親から離れた幼獣くらいだろう。どちらも主食とは思えない。なお現在イリオモテヤマネコの餌としてはクマネズミがあげられるが、これは人間の移動とともに最近持ち込まれた外来種である。

もともとネコ科の行動に興味を持っていた私は、この二つの疑問を解決するためにイリオモテヤマネコの食性や行動の調査を始めた。そこから見えてきたのは、西表島の生態系で生き残る工夫を見せるヤマネコの生き方だった。

3.カエルを食べ河を泳ぐヤマネコ

まずイリオモテヤマネコの糞を集め、未消化物(食べられた動物の毛、骨、うろこ、くちばし、羽、足など)からその餌メニューを調べた。その結果、前述したヤエヤマオオコウモリ、クマネズミなどの哺乳類の他、シロハラクイナ、シロハラなどの鳥類、キノボリトカゲ、キシノウエトカゲ、サキシママダラなどの爬虫類、ヌマガエル、ハラブチガエルなどの両生類(カエル類)、マダラコオロギなどの昆虫類、エビ・カニなどの甲殻類と幅広い分類群の動物を食べていることが確認された。割合をみたところ、さまざまな分類群の餌を偏らずに食べていることがわかり、驚いた。ネコ科の他種と比べ、食性幅が著しく広いことはイリオモテヤマネコの大きな特徴である。特に両生爬虫類、中でも普通ネコが手を出さないカエル類を高い割合で利用しているという予想外のデータには驚くほかなかった。祖先を同じくすると考えられる対馬やタイ、インドネシアなどに生息するベンガルヤマネコでもカエルを食べる例はほとんどないからだ。

(図3)ヤマネコの餌メニュー比較

糞を拾い集めて、餌の未消化物が見つかる頻度を調べた。イリオモテヤマネコは幅広い動物を偏りなく食べている。

次いで、ラジオ・トラッキング調査(註)と環境解析の結果から、イリオモテヤマネコの水系への強い依存性が明らかになった。「ヤマネコ」という名がついているのに、照葉樹林に覆われた山地部よりは標高の低い沿岸低地部でよく活動し、島全体をみても沿岸低地部で個体群密度が高いことがわかったのである。沿岸低地部は、マングローブ林、湿地、草原、林縁などさまざまな環境がモザイク状に入り組んでおり、水系の複雑な場所は小動物の多様性も高い。イリオモテヤマネコの行動が集中していたのも沢沿いであるのは、餌となる生きものがいるからだろう。なおイリオモテヤマネコはネコ科としては珍しく水に入ることを嫌がらず、かなり大きな河を泳いで渡るところも観察されている。

餌メニューの特徴と行動パターンを合わせて考えると、イリオモテヤマネコは森林で小哺乳類を狩るという通常ネコ科がとる行動をとらずに、水系や水系の入り込む湿潤な林縁部で鳥類、両生爬虫類、昆虫類など様々な動物を餌としてきたと考えてよいだろう。イリオモテヤマネコが面積の小さい、かつ小哺乳類のいないこの島で生き延びることができたのは、この戦略の獲得に負うところが大きいと考えられる。西表島の山がちな地形と年間2000mmを越す降水量とが豊かな水環境を生み、そこに棲む多様な小動物がイリオモテヤマネコと支えてきたのである。

 

(註)ラジオ・トラッキング調査

動物個体に発信機を取りつけ、受信機を持った調査員が移動しながら電波の発信場所を追跡していく方法。

4.数100頭で生き延びた20万年

イリオモテヤマネコには第三の謎がある。その個体数だ。近年、保全生物学の分野でMVP(minimum viable population = 最少生存可能個体数)という考え方が出されている。これは人口学的揺らぎ、環境のゆらぎ、遺伝学的ゆらぎなどあらゆる機会的な変動を考慮した場合、どのくらいの個体数があれば100年後、1000年後まで生き延びることができるかという理論的推定値である。もちろんその計算にはそれぞれの種の個体群のパラメターの正確な数値が必要であり推定は難しい。イリオモテヤマネコの個体数は現在約100頭と推定されており、これは、中型の哺乳類として考えた場合その個体群が長期間存続するにはあまりに小さい数である。しかし、そもそも西表島のサイズを考えると、ここに棲めるヤマネコの数には限界があり、多く見積もっても数百頭のレベルだろう。西表島が島嶼化して以降20万年間、これ以上の数が住めることはなかったと考えるのが自然である。小集団がこれだけ長い間存続してきたとすると、それは生態学的に極めてまれな例である。実際、イリオモテヤマネコは遺伝的に極めて均一化した集団であり、小規模の集団が近親交配を繰り返した結果と見られている。現在解析が進んでいるが、個体間で免疫拒絶反応が起きないほど均一化が進んだとされるチーターよりも、遺伝的多様性が低いらしい。一般的には集団から遺伝的多様性が失われることは存続には不利だが、イリオモテヤマネコはここでも例外である。

孤立した島嶼は閉鎖的であるがゆえに非常に安定した環境となり、独特な生態系を作り上げる傾向が強い。イリオモテヤマネコの行動や餌の嗜好は、ネズミのいない湿潤亜熱帯の環境に見事に適応している。哺乳類の中でも最も肉食性が強いネコ科は、食物連鎖の頂点に位置する場合が多く、それぞれの生態系を特徴付ける鍵となる存在である。少数の均一化した集団として生きてきたイリオモテヤマネコは、豊かで安定した西表島の生態系を象徴しているのである。

5.イリオモテヤマネコからの警鐘

近年様々な形で人間活動の影響を強く受けている琉球の島々。閉鎖的で安定した環境が支えてきた独特の生態系は、皮肉なことにこれらの変化に対しては極めて脆いのである。例えば琉球列島の生態系の特徴として、近隣の大陸や台湾などで食物連鎖の頂点に位置している肉食動物のニッチが空いていることが挙げられる。これは人為的に持ち込まれた肉食性哺乳類の定着が容易であることを意味し、在来種や在来生態系全体を保全する上での大きな問題点となっている。

人為的な大規模で急激な環境の改変、外来種の持ち込みなどの問題は西表島でも現実のものだ。遺伝的均一化の進んだイリオモテヤマネコが、環境の変化や新たな感染症に対応することは困難だろう。イリオモテヤマネコを支える多様な動物群、豊かな水環境のどれか一つの小さな変化でも彼らにとっての大きな脅威となりうる。存続ぎりぎりの個体数は、あっというまに消えてしまう危険をはらんでいるのだ。イリオモテヤマネコを通して西表島の生態系全体のモニタリングを続けることで、この興味深い島にすむ生物たちの生きる様子のさらなる解明をすすめるとともに、その存続に対する警鐘にも耳をすまし、人間の浅薄な行為によって、この独特で豊かな生態系を壊さないようにするための努力につなげておきたいと考えている。

伊澤雅子(いざわ・まさこ)

1984年九州大学大学院理学研究科博士後期課程退学。理学博士。北九州市立自然史博物館を経て、1991年より琉球大学理学部海洋自然学科助教授。

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