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PERSPECTIVE

ゲノムが刻む生きものの時間

JT生命誌研究館
表現を通して生きものを考えるセクター

1.細胞の時間

私たちがこの世界に生を受けるのは出産の時、誕生の瞬間ですが、生まれた時に私たちの身体は、2〜3兆個の細胞からできています。生まれたての赤ちゃんは小さいながらも、すでにヒトとしての完全な身体ができています。機能としては未熟でも、目も耳も、心臓も肺も、肩も膝も、精巧につくりあげられています。この身体は、どのようにつくられるのでしょうか。

(図1) 体をつくる細胞の数

重さにすると全細胞の75パーセントは脂肪細胞と筋細胞であるが、数では0.2パーセント程度にすぎない。細胞は日々入れ替わり、約1年半で体重相当の細胞が入れ替わるが、心筋や神経の一部など、生涯にわたって使われる細胞もある。PLOS Biology, 14(8), e1002533 (2016)

両親のゲノムが1つの細胞としてはたらき始めるのは、卵子と精子が受精して接合体になり、それが2つに分裂した時です。すでにそれぞれが両親から受け継いだ2セットのゲノムをもつ細胞であり、卵子や精子の特徴をリプログラミングして、一個の胚として発生を始めます。

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胚の細胞は、半分、半分と分かれて数を増やします。この細胞は、一つひとつが完全な体をつくることのできる全能性細胞です。細胞が分かれる時、その細胞周期は時計のように一方向に手順が決まっています。まず、ゲノムをコピーして2つに複製し、それから細胞を2つに分けます。

BOX 1

細胞の時間

わたしたちの身体では、毎日1パーセントの細胞が入れ替わります。それを支えるのが、細胞分裂です。細胞分裂では、細胞は必ず2つに分かれます(M期)。細胞は分裂後、もとの大きさになるよう成長し、十分に大きくなると次の分裂の準備に入ります(G1期)。そのきっかけが、細胞の大きさに対するタンパク質の量です。細胞の体積が大きくなり、タンパク質の量が増えなければ、濃度が下がります。それをもとに戻そうと見張り役のタンパク質が分裂の時を知らせるのです。

細胞は同じ2つの細胞に分かれるため、まずゲノムDNAを2倍に複製します(S期)。複製しながらDNAに間違いがないかチェックして修復していきます。多量の薬剤にさらされた時など、間違いや損傷が多い場合は細胞周期を止めて修復し、修復できない場合は、細胞死を誘導します(G2期)。

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2.初期発生の時間

卵が分かれる卵割は、細胞の数を増やします。3回目の分裂が進んで8つの細胞に分かれた頃、哺乳類の胚は、中に空間をもつ細胞の塊である胚盤胞に変化し、内側と外側とが分かれます。内側の細胞「内部細胞塊(ICM)」は体をつくる細胞、外側の細胞は栄養外胚葉となり胎盤をつくります。ここで、胚は卵の殻であった透明体から抜け出します。哺乳類の胚はここで孵化してしまうのです。目指すのは子宮です。

ICMは、これから体のあらゆる組織をつくることのできる細胞、万能細胞です。この細胞を取り出して培養したものがES細胞で、勢いよく増えさまざまな組織をつくることができます。ICMは、子宮に着床する間に、さらにエピブラストとハイポブラストに分かれます。

BOX 2

初期発生の時間

受精卵は1つの細胞ですが、発生を始めると細胞分裂により卵割(胚全体の大きさを変えることなく細胞数をふやす細胞分裂)します。ゲノムを複製するS期と分裂するM期が続いておこり、細胞の成長を待つG1期がないので、細胞は小さくなります。周期も短く、短時間で勢いよく細胞を増やすのです。十分な数になると中に空間をもつ胚盤胞に変化し、形をつくる準備が整います。哺乳類では、胚盤胞の内側の体をつくる細胞の内部細胞塊のうち体自身を作る部分は、子宮に着床後、より発生が進んだエピブラストとなります。

FEBS Letters, 594(3), 2031-2045 (2020)

そして、ついに細胞の塊から組織への変化が始まります。この身体を作る変化が始まる頃、「原腸陥入」という大規模な細胞移動が始まります。言葉が誤解を生みやすいのですが「腸を作る」ということではありません。万能細胞であったエピブラストが体をつくる組織へと変わり始める時に起きる細胞の並び替えをこう呼んでいます。同じ細胞から分裂して隣り合っていた細胞が別れ別れになったり、その場を離れて動きまわったり、いく先で新たな集団と合流したりして、体の中でさまざまな組織をつくり始めます。将来、体をつくる細胞と次の世代をつくるための生殖細胞が分かれるのもこの時期です。

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3.細胞が分化してゆく時間

どの細胞が何に変化するかを決めるのは、細胞の大きさや細胞質と核の大きさの比といった形やゲノム構造のエピジェネティックな修飾、また細胞集団の中の細胞間でやり取りするシグナルの種類と量といった情報の変化です。胚の外側にある細胞を外胚葉と呼び、それらは主に、表皮、感覚器、神経系をつくります。最も内側にあって消化管の内層をつくる細胞を内胚葉、その間に挟まれた雑多な細胞群(血液や心臓、骨や筋肉のもとなど多種多様)を一括りで中胚葉と呼び、これらは解剖学的な用語で、胚の中での組織の位置を示しています。ここで運命が分かれるというよりは、行きつ戻りつ、周囲の細胞との相互作用や状態で柔軟に決まっていくようです。この過程で、体の向きが決まり、位置が決まり、そこに器官がつくられていきます。

BOX 3

細胞が分化してゆく時間

多能性の細胞は、体の中で役目をもつ組織の細胞に分化していきます。それが始まる原腸形成期になると細胞の分裂は遅くなり、はっきりとしたG1期やG2期が現れます。分化してゆく細胞は似通った細胞同士が集団をつくりながら、新たな遺伝子をはたらかせ始め、細胞集団ごとに特徴的な細胞の形やはたらきを生み出して、体の中の組織や臓器をつくります。一つひとつの細胞を見ると、核の中のゲノムのさまざまな領域は、盛んに遺伝子が発現している場所(Aコンパートメント)と核の周辺にあって遺伝子をはたらかせない場所(Bコンパートメント)に分かれます。細胞の分化が進む過程の細胞では、G1期にある領域のA からBへの移動、また別の領域のBからAの移動が起きるということを繰り返して、細胞分裂とともに次々と新しい性質を生み出していきます。膨大なゲノム情報の中から、時間とともに一部だけを選んで取り出してゆく、柔軟で巧妙なしくみを見ることができます。

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発生の初期におきる遺伝子発現の転写制御のしくみが見えてきました。
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ICMからハイポブラストになった細胞には、胚が育つ間に必要な胚膜をつくる役目があります。水のない陸上で、卵を孵す鳥や爬虫類は、水を保つ羊膜、栄養をためておく卵黄膜、空気の交換のための絨毛膜、老廃物をためる尿膜をつくって胚の成長を支えます。子宮を住処とする、哺乳類の胚では、絨毛膜と尿膜が一緒になった胎盤を通して、母体に酸素や栄養の供給、老廃物の処理を委ねます。

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陸上で卵を孵す昆虫も胚膜をもちます。昆虫の胚と環境の関わりを見てみましょう。
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脊椎動物では、エピブラストの前側の領域に脳の前駆体である前部神経板ができ、それがまるまって閉じて中空の管である前部神経管となります。

(図2) ヒト胚の神経管の形成

前部神経板の後の部分に細めの神経板(後部神経板)となる細胞が次々と追加され、細い後部神経管に丸まり、それがのちの脊髄になります。神経系に限らず、大まかに言えば、胚の中では、頭部組織が先につくられ、体の後方(尾の方向)の組織は後になってつくられます。これも、胚発生の中での一つの時間と見ることができます。

脳ができる際には前部神経管が膨らみ、次いでその管を構成する神経幹細胞からニューロンやグリア細胞が生み出されて脳ができます。哺乳類の大脳皮質では、つくられたニューロンは、内側から層をつくり、後からできた細胞がその層を追い越すことで厚みを増して、6層の構造をつくります。

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哺乳類の大脳皮質の層構造をつくるニューロンの形と動きがわかってきました。
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4.体節の時間

胴体の神経管の両側には、左右対象に体節というブロック状の組織が尾側から前に押し出されてつくられます。ニワトリでは90分に1回、ヒトでは約5時間と時計遺伝子の発現の波に合わせてブロックができてくるので、分節時計と呼ばれます。最終的にはニワトリで50対の体節ができますが、生物によって数は異なり、蛇では200以上にもなるそうです。体節は脊椎骨や胴体の筋肉などをつくりますが、この体節ができる位置によって異なる性質をもつことで、位置にあった体の形ができるのです。

BOX 4

体節の時間

脊椎動物の背骨はよく似た椎骨が規則的に並んでおり、鳥類や哺乳類は沢山の脊椎骨をつなげてよく曲がる首をつくります。哺乳類の首の骨の数は決まっていて、ヒトでもキリンでもクジラでも7個です。この規則的に並んだ椎骨は、胚の中にできる規則構造である体節に由来します。体節は脊椎や肋骨、骨格筋、真皮などのもととなる未熟な組織です。胚の発生では、まず頭部ができて、そのあと胴部が前から後ろ側に向けてつくられていきます。その形成された胴部が後に伸びるとともに、中央の神経系の両側に位置するソーセージのような形をした体節の前駆体ができて伸びていきます。そして体節前駆体の後端からシグナル調節遺伝子や転写調節遺伝子の発現と抑制からなる波が一定の周期で次々と繰り出され、それがいわば波の停止線にあたる場所に行き着くと体節1個分がくびり切れます。これが、胴部の後ろに向けての伸長と同期しているので、ほぼ一定の時間間隔で、そしてほぼ同じ大きさの体節が次々とつくられていきます。

体節がくびり切れる間隔は、ヒトで約5時間、マウスで120分、ニワトリ90分、ゼブラフィッシュ30分と生きものによって異なります。

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体節からどのように背骨ができるのでしょうか?
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体に節ができて、頭、胸、腹といった体がつくられるしくみは動物に共通で、昆虫などの節足動物の体の節も同じと考えられています。それぞれの節の特徴を決めているのは、脊椎動物も無脊椎動物もHox遺伝子で、身体の位置の順序と遺伝子の並びの順序が一致しています。

(図3)Hoxクラスターの遺伝子群は多細胞動物の共通祖先から受け継がれ、動物のかたちの多様性を根幹で支えていると考えられる

季刊「生命誌」103号「生きものを形づくるゲノム」より

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後ろ足のできる位置は、体節の位置が決める椎骨できまります。
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5.発生の時間

さて、両親のゲノムが合わさって細胞が分裂し、身体の機能を支える細胞がはたらき、個体の構造ができると、いよいよ誕生の時を迎えます。ヒトは妊娠約14週間、体長約4cmでほぼ器官形成を終え、その後は機能を発達させながら、成長の時期を過ごします。出生時の大きさにかかわらず、発生過程の胚のサイズの違いは生きものの間で小さいことから、細胞の移動や細胞間の相互作用のためのシグナル分子を受け渡しできる距離などが影響していると考えられます。妊娠時期の長い動物は、成長に十分時間をかけていることになります。

BOX 5

発生の時間

哺乳類の受精卵はどれも直径0.1mm程度で、発生の出発点の大きさは変わりませんが、出生時の体重が大きい動物は長い妊娠時間をもち、大きくなるまで胎内で成長します。陸上哺乳類で最も体の大きなゾウは、妊娠期間が二年にもわたりますが、十分成長した新生児はすぐに群の一員として活動できます。お腹に袋を持つ有袋類は胎盤機能が未発達なので、哺乳類に比べると未熟な段階で子供を産み、新生児は発達した前肢で袋に入りこみ成長を続けます。受精した胚の発生をコントロールするものもいます。カンガルーは袋で子供を育てる間、お腹に休眠した受精卵をもち、子育てが終わると出産の準備に入ります。海で暮らすクジラやアザラシは気候のよい時に合わせて妊娠期間を調節することができます。

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博物館に眠る胎児たちが、哺乳類の脳の進化を語ります。
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卵の中で育つ胚は外の環境で暮らせる状態になると、殻を破って孵化します。多くの昆虫では、季節(日長)や温度、湿度といった環境が条件になります。母親の体内で育つ哺乳類は、妊娠の期間が決まっており、胎児の発育による刺激が分娩シグナルを活性化して出産を促しますが、着床の前の胚盤胞で成長を停止する胚休眠が100種以上の哺乳類で知られており、子育てや季節などに応じて妊娠をコントロールできるようです。

受精卵から生まれるまでの時間には、細胞増殖の時間、集団としての細胞が組織となり器官を形作る時間、さらにそれらが発達して個体のなかで動き出す時間と、さまざまな時間が関わります。時計と言っていいほど正確に決まっている現象もありますが、個々の細胞は機械のようにはたらいているのではなく、関わり合いのなかで集団として見るとうまくできているということです。私たちの身体は、何兆個もの細胞でできています。すべてがきちんとはたらくのはとても無理でしょう。その奇跡を細胞同士の関わり合いでつくりあげてきたのです。

文責:平川美夏

JT生命誌研究館 表現を通して生きものを考えるセクター

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