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研究館より

中村桂子のちょっと一言

2022.10.18

民主主義の民は私のこと

分断や戦争を思わずにはいられない毎日が続き、こんな時こそ「食べる」という日常を大切にしようという気持ちから北海道での話を書きました。世界全体では飢餓が問題になっているけれど日本は大丈夫、いろいろな食材を使って世界中の料理が食べられる豊かな国だと思ってきましたが、満足な食事ができない子どもや若者が少なからずいるのが現実になっています。食について、基本から考える必要があります。

分断や戦争が考えさせる日常として、もう一つ思うのは「自由」です。元ドイツ首相のメルケルさんの演説集を読みいろいろ考えさせられました。東独で育ったメルケルさんは物理学を勉強していたのですが、ベルリンの壁が壊れ、統一ドイツができる時に政治の道を選びます。「民主的自由」のすばらしさを感じたからです。私は幸い、太平洋戦争敗戦後の77年間を、自由と民主主義に支えられ、暮らしやすい国として評価される日本で過ごしました。残念ながら自由のない国はたくさんあります。メルケルさんは、民主主義と自由は自然に与えられるものではなく、自分たちの努力で手にするものだということを実感した体験から、それを活かした政治を求めて努力するのだと語っています。ドイツでは今も、主要な役職は元西側だった人たちが占めているのだそうです。自分たちが勝ったのだという意識があるのでしょう。大間違いなのに。

たまたま同じ頃出された「ゴルバチョフ自伝」も読みました。ゴルバチョフさんが、レーガン大統領やサッチャー首相と笑顔で語り合っている写真を見ると、なぜこの時西側の人たちがみんな仲間だという意識で世界を作ろうとしなかったのかと残念でなりません。この時の西側の勘違いが、プーチンによるウクライナ侵攻にまでつながってしまったのではないでしょうか。真の民主主義と自由を身につけていたのなら、あの時のゴルバチョフさんの言葉に耳を傾け、共に本当のグローバルを目指し、地球を一つにすることができたはずです。
メルケルさんは「一人一人の人間を大切にすること」を基本に行動を決めると言います。世界中の首脳がこの考え方で動けるチャンスがあったのに、ことはどんどん悪い方へ進み、覇権主義をはびこらせました。

先回は、食べものがあやしくなったことが気になるところから考えましたが、これまであたりまえと思ってきたことがあやしくなっているという点では、自由と民主主義にもそれが言えるとお思いになりませんか。日本には自由と民主主義がある。憲法はそれを保証し、そのうえで平和の大切さを示している。原則はそうですが、実態は少しずつ変化しています。「一人一人が自分で考え」、大事なのは主義主張でも権力でもなく、「一人一人の人間を大切にすること」だという社会にしていかないと、とてもおかしな社会になりそうです。そのような社会では、科学技術は破滅への道を作る役割をすることになるほかありません。民主の民は私のことだということを忘れずにいたいとつくづく思います。
 

中村桂子 (名誉館長)

名誉館長よりご挨拶