中村桂子のちょっと一言
2025.06.17
なんだかおかしいと思っていた理由がわかり納得です
AIという言葉を聞かない日はない昨今です。クラス会のお知らせに、「ChatGPTとやらを使ってやろうと意気込みましたが、最初に出てきた文はどうも気に入らない。何度も何度も直したものがこれです」と書いてありました。いつものお手紙はすばらしい文章なので、最初からご自身で書いて下さればよかったのにと思いながら読みました。研究や医療のようなさまざまな技術の現場では、大量のデータ処理によって新しいことが分かったり、できるようになったりする場合があるでしょうから、そのようなところでAIを利用するのはわかります。でも、文章にAIを利用することには違和感があります。どうしてかしら。それが気になっていました。
認知心理学の今井むつみ慶應大学名誉教授の最終講義を読んで、どうも落ち着かない理由が分かりました。答えは「記号接地」と「アブダクション」でした。学術用語ですので説明が必要ですが、「記号接地」は、「記号(言葉など)の意味を理解するには、現実世界から受け取る具体的な情報について具体的な感覚をもつ必要がある」ということだとありました。リンゴと言われたら、齧った時の歯の感触、しかもそれがフジと紅玉では微妙に違うことなど、さまざまな体験が思い出され、それが私にとってのリンゴという単語の意味です。子どもは、リンゴという言葉と日常の体験から言葉を覚えますから、意味が分かって行きます。辞書にある「球形で赤く甘酸っぱい果実」という文字を読んでも、体験がなければこの意味は浮かんできません。AIには、「記号接地」がない、つまり意味のない単語を並べているのです。これに何の意味があるのでしょうか。
意味のわからないままに単語を並べて、それらしい文を作るために、子どもが学ぶのとは桁違いの情報を取り入れる必要があり、そこから文を作るにも大量の情報チェックが必要な訳です。ここで大量のエネルギーがいる。こんなことに何の意味があるのでしょう。
もう一つの「アブダクション」は、「正解が一義的に決まらない、論理の飛躍を伴う推論」とあります。会話の中で「トリ」という単語が出てきた時、レストランで話しているのか、動物園で話しているのかで意味は違いますし、お互いそうだろうなと思って話しますね。こうだろうなと思いながら考える。更にこれが仮説を立てて考えるところにまで発展します。科学の発見などは、こうして行われるわけです。ここにこそ言葉を使う面白さがあると私は思います。AIにはこれがないと今井先生は語ります。
最終講義はまだまだ続きますが、途中は省略。結論は、知識を具体化していくことの大切さ、面白さが生きていることの喜びであり、これを失ったら人間である意味がないということです。莫大なエネルギーを使って、人間とは全く違うことをごまかして人間もどきとすることに懸命になるのは、バカげていると思わざるを得ません。人間が人間らしく生きることを楽しむ社会にして行きたいと思っている「生命誌」の立場でのお勉強でした。
〈付録〉この文を書くのと並んで、『細胞の分子生物学』の新版を翻訳のために読んでいましたら、「平均的な人間は1日あたり50Kgを超えるATPを代謝している。マラソン選手なら数百㎏となることがある」という文章に出会い、びっくりしました。何度も読んだはずですが、数字はすぐ忘れるものですから(AIは忘れないのでしょうね)。50Kgとは。毎日生きていくのは大変なんですね。
認知心理学の今井むつみ慶應大学名誉教授の最終講義を読んで、どうも落ち着かない理由が分かりました。答えは「記号接地」と「アブダクション」でした。学術用語ですので説明が必要ですが、「記号接地」は、「記号(言葉など)の意味を理解するには、現実世界から受け取る具体的な情報について具体的な感覚をもつ必要がある」ということだとありました。リンゴと言われたら、齧った時の歯の感触、しかもそれがフジと紅玉では微妙に違うことなど、さまざまな体験が思い出され、それが私にとってのリンゴという単語の意味です。子どもは、リンゴという言葉と日常の体験から言葉を覚えますから、意味が分かって行きます。辞書にある「球形で赤く甘酸っぱい果実」という文字を読んでも、体験がなければこの意味は浮かんできません。AIには、「記号接地」がない、つまり意味のない単語を並べているのです。これに何の意味があるのでしょうか。
意味のわからないままに単語を並べて、それらしい文を作るために、子どもが学ぶのとは桁違いの情報を取り入れる必要があり、そこから文を作るにも大量の情報チェックが必要な訳です。ここで大量のエネルギーがいる。こんなことに何の意味があるのでしょう。
もう一つの「アブダクション」は、「正解が一義的に決まらない、論理の飛躍を伴う推論」とあります。会話の中で「トリ」という単語が出てきた時、レストランで話しているのか、動物園で話しているのかで意味は違いますし、お互いそうだろうなと思って話しますね。こうだろうなと思いながら考える。更にこれが仮説を立てて考えるところにまで発展します。科学の発見などは、こうして行われるわけです。ここにこそ言葉を使う面白さがあると私は思います。AIにはこれがないと今井先生は語ります。
最終講義はまだまだ続きますが、途中は省略。結論は、知識を具体化していくことの大切さ、面白さが生きていることの喜びであり、これを失ったら人間である意味がないということです。莫大なエネルギーを使って、人間とは全く違うことをごまかして人間もどきとすることに懸命になるのは、バカげていると思わざるを得ません。人間が人間らしく生きることを楽しむ社会にして行きたいと思っている「生命誌」の立場でのお勉強でした。
〈付録〉この文を書くのと並んで、『細胞の分子生物学』の新版を翻訳のために読んでいましたら、「平均的な人間は1日あたり50Kgを超えるATPを代謝している。マラソン選手なら数百㎏となることがある」という文章に出会い、びっくりしました。何度も読んだはずですが、数字はすぐ忘れるものですから(AIは忘れないのでしょうね)。50Kgとは。毎日生きていくのは大変なんですね。
中村桂子 (名誉館長)
名誉館長よりご挨拶