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ラボ日記

研究セクターのスタッフが、日常で思ったことや実験の現場の様子を紹介します。
月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【無くすのも、時には得なのかな】

小田広樹

 大事なものを無くせば、誰もが悔しがったり、悲しい気分になったりする。概して、“もの”を無くすのはあまりいいことではない。しかし、苦い出来事を忘れるみたいに、都合よく記憶を無くすことは、前向きに生きるために重要であったりもする。
 動物の進化では、あっさりと大事なものを無くすことがあるみたいだ。例えば、ヘビなんか。同じ仲間のワニやトカゲ、カメはみんな脚があるのに、ヘビだけ脚がない。どう考えても祖先は脚を持っていたはずで、どこかで脚を無くしたようだ。また別の例として、ハチと同じ仲間のアリも進化の過程ではねを無くしてしまったようだ。このような変化を退化と言うが、これが進化の研究を難しくしているように思える。
 上の2つの例では、比較的近い過去に起こった変化であることもあり、手がかりが得られやすく、ほぼ間違いなく退化が起こったと判断することができるが、多くの場合、「もともと無かった」のか、「有る状態から無くなった」のかを区別することが難しい。にもかかわらず、人間は無い状態を直感的に下等であると判断してしまう傾向がある。つまり、「有る状態から無くなった」という可能性をあまり深く考えないことがあるということだ。
 現在、いろいろな動物でゲノムプロジェクトが完了している、もしくは、完了しつつある。線虫から始まり、ショウジョウバエ、ヒト、フグ、蚊、ホヤ。それぞれの動物の祖先がどんな遺伝子を獲得し、どの遺伝子を無くしたのか。今、進化の過程で起こった遺伝的な変化がゲノムの比較によって明らかになりつつある。
 遺伝子を無くしても、ある動物にとってはそれが次へのステップになったかもしれない、と思うことがある。


[ハエとクモ、そしてヒトの祖先を知ろうラボ 研究員 小田広樹]

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