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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【子どもは面白い】

2000年3月1日

 最近の私のアフターファイブは子どもたちと遊ぶことなのですが、子どもを観察しているといろいろと面白いことがあります。子どもは2才になったばかりの双子で、名前を京香、明日香といいます。今日かな?明日かな?と出産を待ちわびていたのでこんな名前を付けたのですが、レンドラの「あすか」でも、名前を「きょうか」にするか「あすか」にするかでもめたり、あすかの子どもを「いつか」にするというシーンがあり、同じ発想ではないか笑ってしまいました。
 そんなことはどうでもいいのですが、子どもというのは本当に意外なことがわからなかったり、予想もしない遊び方をしたりするものです。たとえば、大人の感覚では、形の区別も色の区別も難しさに大差はないのですが、子どもにとってはそうではないようなのです。色の区別の方が難しいらしい。「これ何色?」ときいても、とりあえず「黄色」と答える始末で、一瞬色盲ではないかと疑ってしまいました。
 でも、考えてみたら、色の情報より形の情報の方が大切なのだから、形を先に憶えるのは当然かもしれないと思うようになりました。子どもにとって一番大切なのは、親の表情といった形に関わるもので色ではない。歩くときも形と濃淡さえわかれば差し支えないはずです。また、色の方が抽象性が高いということもあるかもしれない。形は視覚とも触覚とも関わっているけど、色は視覚に関わるだけで触ってもわからない。触覚と関連づけて記憶することができないという点で色の方が憶えにくいのかもしれません。ヴォルフ・ジンガーという脳科学者は、自意識を神秘的に感じるのは、自意識の獲得の過程を記憶していないからだと言っていますが、子どもの時の記憶がないというのは本当に残念なことだとつくづく感じます。
 子どもと遊ぶというのはいろいろな意味で楽しいものです。
[鳥居信夫]

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