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表現スタッフ日記

展示季刊「生命誌」を企画・制作する「表現を通して生きものを考えるセクター」のスタッフが、日頃に思うことや展示のメイキング裏話を紹介します。月二回、スタッフが交替で更新しています。

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【最終講義】

山岸 敦
 大学の掲示板には、3月になると「○○先生最終講義」の案内が貼り出されます。私が主に担当しているサイエンティストライブラリーでは、大学を退官されてしばらく経った方をインタビューする場合が多いのですが、次の61号の取材でちょうど今年度退官される方を取り上げる機会があり、私にも最終講義の招待をいただけました。この模様を記録しておけば記事に添える写真が一つ増えますから、ありがたく拝聴しに行くつもりです。
 私がまだ理学部の学生だった10年ほど前、日本の分子生物学の初期に活躍された方々の退官に立ち会う機会が幾度かありました。普通に学生として聴講することもあれば、大学の新聞部に所属していたので、退官教官インタビューをしたり、記念祝賀会のカメラ係を頼まれたりと実は今と似たようなこともそのときから始めていました。
 さてそのときの講義で印象に残っているのは、終戦の前後に少年期・青年期を過ごし、「戦争に負けた日本に、科学という文化を根付かせるのだ」という使命感を持ったものの、実際に研究の道に進むと、大戦の真っ最中でも科学の営みを止めず、戦後も変わらず研究をリードし続けた「欧米諸国の基礎科学に対する恐るべき情熱」に彼我の差を思い知らされたという内容です。分野の違いを超えて複数の先生がこのように言われるのを聞くと、一介の学生に過ぎない私もその比較文化論が気になります。大学院の重点化や研究予算の増額は確かに僕らの日常生活に影響を及ぼしているけれど、「基礎科学に対する恐るべき情熱」という言葉には、そのようなレベルとは異なる重みを感じました。
 サイエンティストライブラリーをお読みになるとわかると思いますが、日本人研究者が海外の研究者に劣っているなどということはありません。国内よりも海外で知名度が高い方もたくさんいます。では個人を取り巻くシステムはどうなっているのか。今年度の生命誌の年間テーマは「続く」でしたが、基礎研究が自ずと続くシステムがあるとすれば、効率主義ではなく無駄を抱え込むような生きものらしいシステムなのかもしれません?

 [ 山岸 敦 ]

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