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2025.05.02

現実味ということ

参照記事「研究館より」

丹藤由希子

切符の数字を足して10にする、まさに大学生の頃にやっていた懐かしい記憶が呼び起こされました。ほどなくしてSuicaを入手したので、ちょうど電子マネーの爆発的普及の目前だったかと思います。2116年という数字を見て、自分は生きていないだろうが、どんな世の中だろう、と漠然と思いました。そして、ふと思いついて、わが子が何歳になるかを計算したら、102歳でした。生きている可能性が十分にあります。それが分かったとたん、2116年が如実に現実味を帯びて迫ってきました。102歳のわが子が生きる時代に人間がいないかもしれないと考えると、是が非でもそうならないで欲しい、と言い切れました。自分事と捉えるかどうかで、こんなにも考え方が変わるものなのですね。今の世の中、他人事に捉えられていることが多過ぎるのかな、なんて思いしまた。

2025.05.13

1. 中村桂子(名誉館長)

丹藤様
 なるほど。お子様が実感する時としてイメージすると身近になりますね。逆に時間をさかのぼってみますと、、私の世代は親が明治生まれですから、明治時代は歴史ではなく、実生活としての話を聞いているのです。祖父母は日露戦争を体験しているのですから。このように考えると、歴史という抽象的なことではなく、親から子へ、子から孫へという生活のつながりになりますね。
 そうなれば、戦争は身近な人のいのちの問題として考えることになります。そうしましょう
                   中村桂子

2025.05.15

2. かも

私の祖母も、明治15年生まれです。日清戦争も日露戦争も理解して知っている世代です。西南戦争が明治10年ですからとんでもないことです。それでも昭和まで生き抜いて、94才で亡くなりました。
私も昭和20年生まれですから其の間の日本の時間流れをつぶさに体験してきました。
私たちの子供の時代に合って、今ないもの。
当時の学校の先生は皆戦前に生まれて、徹底して修身を教え込まれ、教育勅語で社会への献身や貢献、あるいは家族のあり方などをすり込まれた世代です。
其の先生達が戦争という大敗北を喫して、民主主義に出会い悔い改めて人権や平和や自由や博愛や平等を実現しようとした人たちでした。
其の人々が考えたことは、絶対にに戦争はしない。平和で自由で平等で誰でもが大切にされる時代を作ることだという理想に燃えている時代でもありました。
私たちは、其の未来に希望を託す縁として当時の人々の希望の星であったのです。
今でも、年老いた先生達が、お前達は21世紀を見ることができる。平和で豊かな時代を作れ、誰もが幸せになれる社会を作れ。そんな話をことある毎に聞いて育ったものです。
義務教育の中でも、道徳教育も戦前ような修身教育もなくとも、先生達は毎日子供達を講堂に集めて、心に語り訓話をして、こんなことがあった、こんなことをしてはいけない.こんなふうに生きることが美しいと語りかけていたのです。教室でも毎日朝の会で担任の先生が、子供達の心を育てる語りかけに専心していました。制度も教本もなくとも子供達をこんなふうに育てたい言う夢が大人達の誰の心にもあった時代です。
今、子供の心を誰が育てているのだろうか。親の躾と言いますが、親には絶対出来ない心を育てることをして居ないような気がします。
もう一度子供達に語りかけることが絶対必要だと思います。
昨年生まれた孫は、22世紀を生きることが出来るのです。それが希望に満ちたものであったほしいと考えます。

2025.05.15

3. 中村桂子(名誉館長)

かもさま
 私より少し下でいらっしゃるけれど、同じような感覚をお持ちだなと思いました。明治から始まり、大正、昭和、平成、令和と続いた時代であり、別の見方をするなら、19世紀、20世紀、21世紀となる時の流れを、身近な人で考えるのは面白いですし意味のあることですね。歴史は、「生活誌」なのだと思います。
                  中村桂子

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