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2025.12.26

世の中の形式化

参照記事「研究館より」

よう

中村さんの(恐らく希少な)お考えに感銘を受けました。
少子化を初めとした様々な問題は、言わば個人主義的な経済的打算的合理化等の様々な「形式化」を主因とするものと考えられます。
このような広範に及ぶ社会的意識の低下には、根本的な教育の問題が寄与していると思います。

2025.12.26

1. 中村桂子(名誉館長)

よう様
 コメントありがとうございます。
人間は生きものというのはあたりまえのことですが、実は、科学は当たり前のことを実証するのが苦手なところがあります。「人間は生きもの」については、DNA,ゲノム、細胞などを通して、科学が明確にそれを示しましたので、これを大事にしたいと思って「生命誌」という知を創りました。以来30年以上、やっとそれが分かっていただけるようになったと実感する1年でした。これから、生命誌が希少でなくなるようにと願っております。
 形式化とおっしゃることその通りと思います。心のなかではおかしいなと思うこと
がたくさんありますのに、学校でも職場でも既存の形に縛られていることが多いですね。子どもみたいに素直になりましょうと言いたいのですが、最近は子どもも形式化に取り込まれているようにも思えます。あたりまえ、素直などという言葉を大事にしたいと思っています。
                   中村桂子

2026.01.10

2. かも

「少子化を初めとした様々な問題は、・・・・・様々な「形式化」を主因とするものと考えられます。」
其の根底にある教育の問題という論点について、私も思うところがあり少し書き込ませてください。
日本の教育が間違えたのは、個性重視と個別指導と考える力を育てるという教育だと思っています。
もう一つ深刻な問題は教師が指導するという教育です。
明治以来この国の教育は徹頭徹尾集団教育です。全員の子供たちが同じ環境で同じように考えて同じように行動することを厳しく指導されました。
戦後の個性を育てる、個性を伸ばすという教育が間違いの本体だと考えています。
子供は画一を与えられるから違いがわかるのです。其れで子供が一人一人の違いを認めて、自分の足りないところや優れているところを知ることが出来ます。
個性を育て得るのは教育では無くて子供たち自身なのです。
そこに間違いがあります。
もう一つの間違いは、教師が教えるという教育です。
子供たちは、読み方を教えられ書き方を教えられ言葉の意味や使い方を教えられればその言葉を使って学ぶことが出来ます。
読めば解る教科書を与えるだけで子供たちは自分で学ぶことが出来ます。
私達の教科書は分厚くて、算数でも国語でも理科でも社会でも読むことがとても楽しくて、読めばほぼ理解できる物になっていました。其れで予習も復習も出来たのです。
ところが、今子供達の教科書を開いてみると驚くほどに薄くて内容が全くないのです。教えるのは教師だからという教科書でえす。それで教師は時間をかけて教案を作り、短い時間の中で子供達に教え込もうとします。
これ間違いです。教科書で、例題を与え例解を書き込んでおけば子供達はそれを読んで問題が解けるようになります。其れで演習問題を繰り返して習熟度を上げることができます。
子供達は自分で学ぶ力を持っているのです。
其の時間を与えれば良いのです。

2026.01.10

3. 中村桂子(名誉館長)

かも様
 生態の研究から、多くの動物たちが学んではいるけれど、教えることはないという事になっていますね。かの有名なお勉強好きのチンパンジーの
アイちゃん親子でさえ、決して教えることはなかったそうです。
 教育は人間に特有のことであり、生きものとしての本来にはない行為ですから、どのようであったらよいのかはとても難しいですね。人間の歴史の中で
試行を続けてきたのではないでしょうか。
 私は、農業教育が大好きで、農業高校や農業科のある小学校でここに教育の原点があると感じています。先生と生徒が人間としてお互いを尊重し合っている
ことが基本にあり、具体的には規律ある一斉の教えも、個性あふれる学びもあるのです。
 理想的教育とは何かは分かりませんが、農業を通して、生きものである自分を知り、そのうえで行動する場は悪くないと思っています。
                中村桂子

2026.01.17

4. よう

中村様、かも様
コメントありがとうございます。
「中村さんの(恐らく希少な)お考えに感銘を受けた」というのは、著書の中で確か「歪んだ豊かさ」について触れていらっしゃったことが切っ掛けです。
「内なる自然」に対するAIの悪影響を懸念されていらっしゃるようですが、法治主義や法の支配についても同様の懸念があり、結局はそのような「形式化」に帰するのではないかと思います。
法もAIも、本来は人を支配するものではなく、飽くまで人が利用すべきものであり、本質的な正しさを人が自ら考えることをやめてはならないでしょう。

かもさんの教育問題についてですが、教育において個人主義的な考え方が台頭することによって、社会的な意識を低下させてしまっているであろうことが問題だと思います。
何より大事なのは、できれば相互理解を伴う思いやりだと思います。
個人の能力は千差万別ですし、自分自身(と教科書等)だけでは自ら学ぶのが難しい子供達が大半でしょうから、理想的には一人一人に合った教育が必要だと思いますが、ある程度は画一的にせざるを得ないと思いますし、集団的な意識を育むことも大事だと思います。
また、いつ頃の教科書のことを仰っているのか分かりませんが、一時的に10年程度ゆとり教育等があったものの、日本の教育は従来より基本的に詰め込み教育であり、求められる知識量は以前より増えているでしょう。昔の教科書等は紙が厚かったのでしょうか。
理想の教育については、できればある程度少なくとも心の双方向的なものが望ましいと思いますが、知識や機械的な思考力等の形式的なものばかりではなく、もっと内面的根本的本質的なものを土台に、一人一人に合ったものが行われることが望ましいと思います。

2026.01.17

5. かも

ご回答有り難うございました。映画、国宝を見て、あの完璧な映像美を作り上げた日本の伝統芸能の世界を見聞き為るに付け、どんな場面でも初学者が自分で考えて自己流ですることを断固として禁じられていたと聞きます。
真似ること、完全に習うこと、習って習って極めて其れで初めて自分の芸が開陳できる。其れは芸事にに止まらず、学問の学習についても同じことが言えるのではないか。算数の基礎がキチンと全部出来て、数学の基礎が全部出来て其れで漸く高等数学が理解できるようになる。その間に自分で考えて為る算数も数学も無い。兎に角、大量の例解を大量に記憶して繰り返して数学という学問が完成する。
それを初学者の子供達に考えろと言われたら子供達は戸惑うばかりです。
九九を完全にい暗唱して、数理規則を全部覚えて整数も小数も負数も加算も減算も公式も公理も全部覚えてそれで数学は中学に進みます。それが理解できないままに次々と自分で考えろと言われたって子供達はどうしていいか解らない。
理科も社会も英語も歴史も国語も全部同じだと思うのです。
農業も、体験だけでは駄目です。全部の知識を間違いなく覚えてえ正しく教えられてしないと稲も野菜も育ちません。それは座学だけで無く種の蒔き方から畑の起こし方、日常の手入れ水やり、肥料消毒防除全部必要です。
子供達がするにしてもそれを全部知っていなければ作物を育てて収穫することは出来ません。
それを後から読み返して学ぶことができる教科書が絶対必要です。
中学生になってから小学生の教科書を読み直すという経験がたくさんあります。紙でもいいタブレットでもいい。其の手続きを子供達に是非教えてやって欲しいのです。
子供は自ら学ぶことが出来ます。
教師に教わらなければ理解できないというのは間違いです。或いは教師が教えるという間違いがそこにあります。常にどんな場面でも子供達は自分で学んで理解するのだと思います。
今そういう教科書が無い。参考書はいくらでもありますが、体系づけられ得た知識の系統付けをしてプログラムされた教科書が必要です。
其れをやらないから子供達の考える力が育たないのでは無いでしょうか。
詰め込みでは無い理解する力を教育こそがそこにあるような気がします。

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