その他
2026.08.18
終戦の日に
うりちゃん
新聞のコラムに、詩人の石垣りんさんの「雪崩のとき」が取り上げられていました。長くなりますが新聞では省略されていた部分も加えて紹介します。〈人は/その時が来たのだ、という/雪崩のおこるのは/雪崩の季節がきたため、と/武装を捨てた頃の/あの永世の誓いや心の平静/世界の国々の権力や争いをそとにした/つつましい民族の冬ごもりは/色々な不自由があっても/またよいものであった。/平和/平和一色の銀世界/そうだ、平和という言葉が/この狭くなった日本の国土に/粉雪のように舞い/どっさり降り積もっていた。/(中略)雪はとうに降りやんでしまった。/降り積もった雪の下には/もうちいさく野心や、いつわりや/欲望の芽が隠されていて/“すべてがそうなってきたのだから/仕方がない”というひとつの言葉が/遠い
嶺のあたりでころげ出すと/もう他の雪をさそって/しかたがない、しかたがない/しかたがない/と、落ちてくる。/嗚呼、あの雪崩、/あの言葉の/だんだん勢いづき/次第にひろがってくるのがそれが近づいてくるのが/私にはきこえる/私にはきこえる。〉…幾百万の命と引き換えに得た平和がいかに温かく、そしてもろいかを静かに綴った1951年の作。前年に朝鮮戦争が勃発した年です。私たちは今の情勢を「しかたがない」と傍観するだけでいいのでしょうか。
2026.08.18
1. 中村桂子(名誉館長)
うりちゃん様
とても大事なご指摘です。自分の頭でよく考え、人として納得のいく言葉を語り、行動するのが生きるということです。そう考えたら、石垣さんがここで示している「しかたがない」は、自分を生きるということと一番遠く、本当の意味での言葉ではありませんね。多くの人がこう言わざるを得ない状況を作るのを悪政と言わずして何というのでしょう。私の少し上の世代の女性は、戦争体験もあってのことでしょうか。凛としていますね。引用して下さった石垣さんがそうですし、茨木のり子さんも素晴らしい。「自分の感受性くらい」という詩は「駄目なことの一切を/時代のせいにするな/わずかに光る尊厳の放棄/自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」と言う言葉で終わります。
〈倚りかからず>もキッパリしていています。できあいの思想、宗教、学問などに倚りかからずに生きようと呼びかけ、「自分の二本足のみで立っている/なに不都合なことやある/倚りかかるとすれば/椅子の背もたれだけ」と言い切ります。
トンでもないリーダーの思うがままの動きを、「しかたがない」と言っていると、いつの間にか熱狂的に支持する人になっている危険性がありことを歴史が示しています。ベルリンの壁が崩壊し、ブランデンブルク門を通って西ベルリンに入る東ベルリンの女性たちのはじけるような笑顔と、ヒットラーの演説に賛同して大きく手を振っている女性たちの笑顔がそっくりだということに気づいた時に感じた恐さは忘れられません。日本も同じでした。
特別のイデオロギーも宗教も持たずに、のんびり暮らすふつうの人間ではあっても、石垣さんや茨木さんの言葉を噛みしめて、自分で考え、行動することを忘れてはいけないと思っています。
中村桂子

